2010年12月3日金曜日

ウィキリークスで露呈した情報流出対策の不備、改善は?

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☆★ウィキリークスで露呈した情報流出対策の不備、改善は?
CNN 2010.12.03 Fri posted at: 12:44 JST
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http://www.cnn.co.jp/fringe/30001101.html

(CNN) 米政府の機密文書を相次いで暴露し世界中で物議を醸している告発サイト「ウィキリークス」。この夏に第一陣の機密文書が公開された際、米国防総省は情報流出の原因となったコンピューターシステムの抜け穴をふさぐと言明した。情報は23歳の兵士がCDとメモリースティックを使って持ち出した疑いがかけられている。

11月28日にウィキリークスが大量の外交公電を暴露する数時間前、国防総省の報道官は報道各社に宛てた電子メールで、同省のコンピューターシステムの60%に「情報への不審なアクセスや利用を監視する」ソフトウェアを導入したと発表した。

しかし、コンピューターセキュリティー専門家のヘム・ニガム氏は、「たった60%とは馬鹿げている。サイバーセキュリティーが90%以下と公言する企業など聞いたことがない」と指摘。国防総省の対策はすべて「極めて基本的なことばかりで、極めて遅れている」との見方を示した。同氏は国際刑事警察機構や米連邦捜査局(FBI)と協力したり、司法省でサイバー犯罪の訴追にかかわったりした経歴を持つ。

国防総省によれば、ゲーツ国防長官は8月以来、「どのようなポリシーや手順、技術的不備が原因となってウィキリークスのサイトに無許可で情報が掲載されるに至ったのかを突き止めるため、調査を2回実施した」という。

しかし米国務省広報担当のクローリー氏は1日、軍のコンピューターからどの文書が持ち出されたのかは現時点でまだ分からないと述べ、「国防総省と国務省全体で科学捜査を実施したが、(ウィキリークス)はさらに多くの文書を持っている。それが何なのか、われわれも完全には把握していない」と打ち明けた。

・・・以下、略

ウィキリークスにサイバー攻撃

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☆★ウィキリークス、一時閲覧不能に=サイバー攻撃でサービス停止
時事通信 12月3日(金)18時6分配信
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101203-00000109-jij-int

 大量の米公電を相次いで公開し波紋を広げている内部告発サイト「ウィキリークス」が3日午後から約6時間にわたり閲覧できない状態に陥った。ウィキリークスのドメイン名(インターネット上の住所)を管理する米国の会社が、外部からの大量のサイバー攻撃を理由に、ウィキリークスへのサービス提供を停止した。

 ドメイン管理会社は、ウィキリークスを標的としたサイバー攻撃によって、同社の設備が不安定な状態に陥る危険があるため、利用規則に基づいて米東部時間2日午後10時(日本時間3日正午)からサービス提供を打ち切ったとしている。ウィキリークス側はその後、新しいドメイン名でサイト運営を再開した。 

wikileaks 新しいサイト開設

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☆★wikileaks 新しいサイト開設
イラク情勢ニュース
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 サイバー攻撃を受けてアクセスが困難になったり、サービス提供会社(米国企業)からもサービス提供を拒否されたウィキリークスだが、新しいドメインでサイトを再開した。

http://213.251.145.96/

WikiLeaks is a non-profit media organization dedicated to bringing important news and information to the public. We provide an innovative, secure and anonymous way for independent sources around the world to leak information to our journalists. We publish material of ethical, political and historical significance while keeping the identity of our sources anonymous, thus providing a universal way for the revealing of suppressed and censored injustices.

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2010年11月16日火曜日

新政府づくりへの妥協が成立  AP

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☆★新政府づくりへの妥協が成立
Iraq lawmakers approve deal to form new government
AP 2010年11月13日 (米東部時間)
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http://news.yahoo.com/s/ap/20101113/ap_on_re_mi_ea/ml_iraq

by Bushra Juhi, Associated Press
Sat Nov 13, 3:46 pm ET

バグダッド発、AP

 互いに反目する全会派をマリキの率いる新政府に押し込もう、という妥協案が15日、イラク国民議会の議員たちに承認されたが、スンニ派をどう処遇するかについては意見の不一致を残した。

 この妥協案は、新政府が樹立されないまま、宗派対立の再燃が懸念されるなかで、8ヶ月続いた膠着状態を打開するもの。しかしこの合意は、根深い相互不信ゆえに、破滅の瀬戸際まで来てやっと達成された。

 スンニ派に支持されたイラキーヤ会派は、11日に会合から退席したあと、13日の会合をボイコットするとほのめかしていて、新政府に参加しないおそれもあった。

 イラキーヤのメンバーは、マリキのシーア派連合に裏切られたと述べ、新政府では自分たちが日陰に追いやられるのではないかと疑っていた。

 異なる意見を調整するために、主要勢力のリーダーが13日に会合を開き、なんとか同意をとりまとめた。その日の内に国民議会が招集され、イラキーヤも出席して、パワーシェアリングの合意に賛成票を投じた。

 「前回の会合では誤解があった」とイラキーヤの広報担当が表明した。ハイデル・アル・ムッラー議員は、「全国民的な統合政府を樹立するため、われわれは積極的な役割を担うことを強調する」と語った。

 この日の議会への出席者や合意を承認した議員の正確な数はまだ不明で、その全容は新政府に報告されるという。

 今回の合意によると、マリキ首相とタラバニ大統領は現在のポストに留任し、国民議会の議長ポストと、マリキ政権のチェック役となる委員会のトップはイラキーヤに割り振られる。イラキーヤを率いるアラウィが、その後者の職務に就くとみられる。

 しかし12日に行われたCNNへのコメントのなかで、アラウィはマリキ政府には参加しないだろうと述べ、パワーシェアリングについても「死に体」だと評していた。アラウィは15日の議会には出席しておらず、別の議員はアラウィは出国したと話した。

 アラウィは欠席したが、イラキーヤの幹部によると、他の議員の過半数は出席したという。

 13日の議会は、さらに、立候補を取り消されていたイラキーヤの3人のメンバーについて、立候補禁止措置を解除することを決めた。マリキと同じシーア派政党のハジ・アル・アマリ議員が明らかにした。立候補禁止措置を解除するかどうかが、イラキーヤの議員が11日の会合を退席した理由でもあった。

 オバマ大統領が今回のパワーシェアリングを賞賛した翌日、イランのアハマディネジャド大統領もこれを支持し、この合意を「イラク国民の偉大な勝利」と形容した。

 イランの国営放送IRNAによると、アハマディネジャドは14日にマリキ首相およびタラバニ大統領と電話で会談し、彼らに祝意を伝えたという。

 イランはバグダッドにシーア派の政権を確保する方策として、マリキが続投にむけて奔走するのを支持してきた。イランはまた、新政府のなかでスンニ派を脇に追いやるための画策も行っている。

議員たちは権力共有に望み託す  AFP

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☆★議員たちは権力共有に望み託す
Iraqi MPs salvage power-sharing pact after walk-out
AFP 2010年11月14日 (米東部時間)
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http://news.yahoo.com/s/afp/20101114/wl_afp/iraqpoliticsgovernment

by Salam Faraj - Sun Nov 14, 9:05 am ET

バグダッド発、AFP

 イラクの国民議会議員は、かつてのライバルが議会を退席した数日後、パワーシェアリング(国家権力の共有or分割)という妥協案を崩壊させないよう、マリキ首相を首相として続投させると発表した。

 この妥協案は10日に署名されたものの、成否が危ぶまれていたもので、オバマ大統領を含む世界の指導者たちからは、3月の選挙後に新政府が樹立できない状況が続いていたため、一歩前進として賞賛された。

 妥協案に合意した3つの会派のリーダーは、13日の議会開会前に会合を開いて、異見を調整したあと、スンニ派の支持を集めるアラウィ元首相の会派からの抗議に対処した。

 議員たちの賛同が表明されたあと、議会の幹部がAFPの取材に応じ、アラウィ元首相の率いるイラキーヤのメンバーが、自分たち60人の会派が退席した理由を説明する声明を読み上げた。

 イラキーヤ所属の国民議会議員であるハイダル・アル・ムッラーは、「われわれが退席した理由は、合意事項の実現をめぐって認識の違いがあったからだ」と述べた。

 匿名で取材に応じた議会の幹部は、現時点でパワーシェアリングに合意しているのは、総数325人のうち約250人だ」と話した。なぜ75人が合意していないのか、また彼らの所属会派がどこなのかは、まだ分かっていない。

 さらにムッラーは、バース党と関係があるとして3月の選挙に立候補を取り消された3人のイラキーヤ幹部が、10日以内に復帰するだろう、と語った。

 会派代表者会議の次回会合は、11月21日に予定されている。


 パワーシェアリングという妥協案は、シーア派のマリキ首相とクルドのタラバニ大統領を留任させ、スンニ派アラブ人から国会議長を選出するよう提案している。 またアラウィを誘うための餌(えさ)として治安を監督する新たな法的機関を創設した。

 3月7日の選挙でからくも第1党になり、スンニ派地域で最多議席を獲得したアラウィ率いるイラキーヤの同意は、宗派対立の再燃を防止するために不可欠だと見られている。

 サダム・フセイン政権を支えたスンニ派アラブ人は、2003年の米軍侵攻以後、反米ゲリラ勢力の温床でもあった。

 11日の会合は選挙後2度目のものだが、マリキとアラウィが並んで着席し、良い雰囲気でスタートを切った。

 だがスンニ派アラブ人でイラキーヤに所属するオサマ・アル・ナジャフィが議長に選出された直後、その扱いにイラキーヤが不満を表明したことで非難の応酬が始まった。

 イラキーヤは、大統領が選出される前に、立候補を禁じられた3人の幹部の復帰が実現されるべきだと主張した。そしてこの要求が受け入れられなかったため、60人の議員が退席した。しばらくして、残った議員たちはタラバニを大統領に再選する投票を始めた。

2010年10月7日木曜日

史上最悪の犯罪

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☆★史上最悪の犯罪の一つ
One of History's Greatest Crimes
by Stephen Lendman 2010年9月26日
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http://www.uruknet.info/?p=70149

September 26, 2010

 アメリカの隠された歴史は醜く、穏やかならざるものがある。どの国もこれに追随できない。イラクに対してだけでも、この20年間にわたって、大量虐殺と破壊、テロル、占領、そして汚染が現在に至るも続いており、それはぞっとする恐ろしい犯罪の連鎖だが、西側諸国の公式談話には取り上げられることもない。

 環境工学を研究しているソアド・N・アル・アッザウィ教授は、『世紀の犯罪--イラク占領と劣化ウラン汚染』と題する報告のなかでそれを取り上げたが、アメリカの犯罪を克明に記録したものとなっている。

 アメリカの戦略的目標について、彼女は次のように説明する。

 ・世界の石油資源と他の天然資源の大半を支配すること

 ・世界の人口の8割が住む3つの大陸が交差する中東地域に、永遠に居座り続けること

 ・もし上記2つの目標が達成されるなら、アメリカが世界経済を支配するか、それに等しい事態になるだろう

 劣化ウランが広い範囲で使用されるなら、その放射能汚染と化学的毒性ゆえに、それは大量破壊兵器と言える。

 食料、空気、水その他を媒介として摂取ないし吸引されると、人体にとりこまれた劣化ウランは何十年も体内に残ることになる。その危険性を報告した既存の論文は、次のURLからリンクすることができる。

http://sjlendman.blogspot.com/2006/01/depleted-uranium-hidden-looming_16.html

 この論文は、劣化ウランの継続的使用は地球の生命を絶滅させるだけの潜在的能力を有しているが、その危険性はまだほとんど知られておらず、1991年の湾岸戦争を皮切りにして、アメリカが戦争を起こすところでは、兵器の一部としてミサイルや爆弾、砲弾、弾丸に使用されるのが常態化している。

 その危険性は、使用後も残存する放射線から派生する。劣化ウランを使用した弾頭が目標物を貫通すると、その衝撃によって、霧のように飛沫化して飛び散り、周囲の空気、水、土壌を汚染する。それは顕微鏡の世界かそれに近い状態で、永久に続く。

 放射能の粉塵となっては大気中に拡散されると、その汚染たるや、激しい頭痛から筋肉痛、疲労全般から重傷の出生異常、感染症、鬱(うつ)病、心血管症、さらには多種多様なガンまで、事実上ありとあらゆる病気を引き起こすことになる。それゆえの身体障害と死も永遠に引き起こされる。

 イラクにおけるだけでも、この20年の間に、何百、いや何千トンもの劣化ウランが使用され、国中を放射線が照射し、一部の地域では他の通常レベルを上回っている。2009年10月、マレーシアのクアラルンプールで開かれた、戦争犯罪をめぐる国際会議における彼女の報告の中では、アッザウィ教授はアメリカとイギリスを非難して次のように述べた。

 「20年間の長きにわたって、意図的に放射能を使った兵器と制裁によって、じわじわと死に追いやられ拷問されてきたが、それはイラクの国民全体をターゲットにしていた。(こうした)兵器の連続的かつ意図的な使用は、汚染された地域においては、一般住民に対して、戦闘終了後も何十年間も健康被害を及ぼすことになるため、人道的犯罪とされている。」

 放射線は、事実として、まだ生まれていない世代に対しても、現在生きている人間に対してと同様、永久に影響を及ぼすのである。

 湾岸戦争の期間には、約320トンがイラク南部で使用され、バスラ一帯を汚染した。湾岸戦争後、包括的な調査が行われ、特にバスラ市内とその周辺で検査された結果は、

 --ガンマ線レベルが異常に高い。

 --39地点で採取された土壌が、自然界での放射線レベルより高かった。

 --用水路の堆積物の表面からも、自然界レベルより2倍ないし3倍の放射線が測定された。

 汚染が広がって、その地域住民の45%以上とイラク軍兵士、そして多国籍軍の兵士に影響が出ている。結果として、劣化ウラン酸化物で被爆した兵士(および一般住民)は、1000人につき70人の割でガンを発症すると観られている。おそらく発生率は高くなり、他の病気や伝染病とのとの合併症もあるだろう。

 その後のバスラにおける追跡調査では、子どものあいだで悪性腫瘍の発生率が5倍以上に増え、1995年以降、現在も注目されるべき事態となっている。

 ※原文では、このあとも報告が続きます。余力があれば紹介するつもりですが、いったん、ここで止めておきます。

イラキーヤはマリキ続投に反対

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☆★イラキーヤはマリキ続投に反対
Iraqiya says 'no' to a Maliki government
UPI   2010年10月4日
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http://www.upi.com/Top_News/Special/2010/10/04/Iraqiya-says-no-to-a-Maliki-government/UPI-20681286211848/

 バグダッド発:

 世俗派の連合会派イラキーヤのスポークスマンによると、マリキ首相が続投するなら、イラキーヤはイラク政府に参画することはないという。

 元暫定首相のアヤド・アラウィが率いるイラキーヤは、3月に行われた選挙において、2議席差で第一党の座を獲得したが、単独で政府を形成するのに必要な過半数には及ばなかった。

 イラキーヤの広報担当であるマイスーン・アル・ダムルジは、イラクの法律によると、まず政府を形成する権利は世俗派政党(イラキーヤ)に与えられた、と強調した。

 シーア派のムクタダ・サドルに従うイラクの政党は、1日、マリキ続投を支持している、と発表した。しかし、ロンドンで発行される日刊紙『アッシャルク・アル・アウサト』は、一定の譲歩があるだろうという。

 趨勢はマリキに有利で、イラク政府の与党形成に必要な過半数163議席に、数議席足りないだけである。サドル信奉者は3月の総選挙で総議席の約1割を獲得し、バグダッドの政界に重要な影響力を持つことになった。

 しかし、アメリカ政府はサドル勢力に大きな影響力を与えることには反対している。イラク戦争の初期においては、サドルはアメリカの軍事行動の攻撃目標になったこともあった。

 選挙後に政府が樹立されるまでに要する期間は、10月1日時点で、イラクが最長記録を更新することになった。これまでの記録は、1977年にオランダで記録された207日だった。

2010年9月18日土曜日

ファルージャは三日間の服喪を宣言

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☆★ファルージャは三日間の服喪を宣言
アッザマン/azzaman   2010年9月16日付
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http://www.azzaman.com/english/index.asp?fname=news\2010-09-16\kurd.htm

By Omar al-Mansouri

September 16, 2010

 イラクのファルージャ市は、米軍とイラク軍の合同攻撃で少なくとも10人以上の市民が殺され多数の負傷者も出たことに抗議して、三日間の服喪に入ると宣言した。

 さる9月15日に行われた米軍等による襲撃は、市内に緊張を高め、アンバル州に住む200万人近いスンニ派イスラム教徒とファルージャ市民の怒りを招いた。

 イラクに住むスンニ派イスラム教徒の宗教指導者団体として権威のあるイスラム法学者協会は、今回の襲撃を「大量虐殺である」と非難し、これによって2人の子どもも殺されたと証言した。

米軍並びにイラク当局は、この攻撃で殺したのはイラクのアルカイダ・グループと関係を持つ元イラク軍将校だ、と主張した。

 しかし、その主張に裏付けはなく、目撃者も市当局も死傷者はすべて民間人だと述べた。

 ファルージャ市内の学校、会社、商店は、今回の攻撃に抗議して16日は休業し、アンバル州政府も強い非難を行った。

 アンバル州はレジスタンスの主要拠点であり、制圧しようとする米軍の攻撃を繰り返しはね返したところである。米軍はアルカイダと戦ったスンニ派部族の民を雇い入れることによって、辛うじて相対的な平穏を維持しているにすぎない。

 知事の顧問であるモハメド・ファシの話によると、アンバル州の当局者たちはマリキ首相に今回の攻撃の調査を行うことを要求している。

 ファシは、「カセム知事はマリキと接触したが、マリキは事件の調査委員会を設置することに同意した」と述べた。

 ファシは、「犠牲者は、軍の攻撃目標となった家の所有者を含めて、すべて民間人だった」と指摘した。

 

2010年9月12日日曜日

米軍駐留の長期化は公然の秘密

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☆★イラク防衛相、2016年までの米軍駐留を示唆
Iraqi official foresees a U.S. military presence until 2016
ロサンゼルス・タイムズ   2010年9月12日
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http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-iraq-troop-presence-20100909,0,6527204.story

By Liz Sly, Los Angeles Times

September 8, 2010

 バグダッドからのレポート - イラクがアメリカに発注している膨大な軍事装備や兵器を管理するために、また訓練と支援を受けるために、少なくとも2016年までは、米軍がなんらかの形でイラクに駐留(延長)する必要がある--イラク国防大臣のアブドル・カデル・オバイディが言った。

 オバイディはさらに言葉を続けた--情報収集の面でも、2011年以降もイラクは支援を必要とするし、未熟なイラク空軍は自国の領空防衛能力を獲得するのに2020年という期限を設定しており、少なくともそれまで(2020年まで)は米軍の助けを必要とする。

 このコメントは、オバマ大統領が米軍の戦闘作戦は終結し、2011年末までに全ての米軍を撤退させるという方針を発表した1週間後、あるインタビューのなかで発言された。2011年末という撤退期限は、2008年にブッシュ大統領とイラク政府との間で合意された安全保障条約にもとづいている。

 「いつまで米軍の助けを借りるのか」と質問されたオバイディは、「おそらく無期限だろう」と答えた。「イラクが軍隊を保有し、またイラクが第三世界の国である限り、アメリカの助けを借りる以上の選択肢は、私には考えつかない」と。

 彼は、「アメリカと欧州諸国からの差し伸べられた手を振り払うのは賢明ではない」と述べた。11月までの期限付きだが、イラクはイギリスとの間にも、海軍と水上パトロール部隊の育成で支援を受ける条約を結んでいる。

 ヌーリ・マリキ首相の側近とみられているオバイディ国防相は、全部隊の撤退期限とされる2011年12月31日以降も、イラクに米軍基地を存続させるという要求を引っ込めなかった。この点について言えば、イラク軍への助言と支援のために、5万人の米軍兵力がイラクに駐留している。将来の駐留形態は次のイラク政府次第であり、アメリカ政府との交渉で決まる、とオバイディは説明した。

 しかし、ますます明らかになりつつある事実は、イラクの軍関係者の多くが、米軍内でも同じだが、イラクの治安部隊は米軍の助けを何年も必要とすると考えている、ということである。

 先月行われたインタビューでは、イラク軍の参謀総長バキル・ゼバリ大将が、2020年までイラクに米軍がとどまる必要性を語り、ありうる近隣諸国からの脅威に備えるためには米軍が「三つないし四つの基地」を維持することが望ましいと述べた。アメリカ政府高官も、イラク軍は2011年以降も米軍の助けを必要とするだろう、と指摘してきた。

 オバイディは、たとえイラク軍が2016年までに国境防衛ができる状態にならなくとも、米軍の助けを借りることは想定してなかったと言った。隣国と平和条約を結ぶなど、国を守るためには他にも方法がある、と彼は説明した。しかし、軍事顧問や軍事トレーナーが必要である以上、彼らを守る軍隊は必要になるだろう、と彼は言う。

 イラクは、F16戦闘機18機の購入など、アメリカの兵器130億ドル相当を発注している。たとえ注文が議会で早急に承認されたとしても、それらが遅くとも2013年までに到着するとは思えない。

 「われわれは戦車、航空機、海軍の装備などの兵器を持っているが、それは全部アメリカから購入した。2016年までに全部がそろうわけではなく、どうやってその訓練をすればいよい? 専門家や軍事トレーナーの支援が必要であり、彼らもまた生活があり、それを守る軍隊も必要になるだろう」と彼は言った。そうでないと、「これまでのイラクの出費が・・・無駄になるじゃないか」と付け足した。

 どのような形態の米軍駐留が必要になるかという問題は、新しいイラク政府が発足して以後の課題となりそうだ。各政治勢力の間での交渉は、今週で7ヶ月目となるが、誰が政権を担うかの合意にむけた進展はまだない。

 米軍駐留の継続という問題は、イラク政府でもアメリカ政府でも、政治的に敏感な問題である。次の政府を担おうと野心を燃やすイラクの政治家のなかには、2003年に自分の国を侵略した米軍に駐留延長を求めるリスクを冒そうとする者はいない。

 次期政府に発言力を持つであろうムクタダ・サドルを信奉する過激なシーア派勢力は、2011年以後も米軍駐留を認める条約に反対してきたし、これ以上の駐留延長を容認する政府なら支持しないと言明してきた。

 隣国イランは、かつて2008年の安全保障条約の調印を阻止しようと厳しいキャンペーンを張り、イラク政府内のシーア派勢力に米軍の長期駐留を認めないよう圧力をかけた。

 新政府でも指導的ポストを狙ってるマリキは、オバマ大統領が先週アメリカ国民に向けて行った演説に合わせて、戦闘任務の終結を歓迎するとともに、米軍駐留の長期化を認める政府は支持できないと表明した。

 しかし新政府発足後もアメリカの助けを借りようという要求は、それほど物議を醸すようにも見えない、とオバイディはほのめかした。

 「街頭でも政治家の間でも、大多数は安全を求めている」と彼は言う。「そしてイラクには、友好国と盟国、それも強い友好国と強い同盟国が必要なんだ」と彼は指摘した。

2010年8月24日火曜日

オバマの「任務達成」宣言

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☆★オバマの「任務達成」宣言
Obama’s “Mission Accomplished”
by Bill Van Auken, WSWS  2010年8月20日
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http://www.wsws.org/articles/2010/aug2010/pers-a20.shtml

World Socialist Web Site
August 20, 2010

 ホワイトハウスと米国防総省は、報道機関の奴隷根性に助けられて、さる19日にストライカー旅団がイラクから撤退したことを、イラクにおける「戦闘任務」を完了したと誇張し、7年前にブッシュ大統領が演出したあの呪われた宣言を思い出させた。

 しかし、ウソの宣伝を演出するのはブッシュよりオバマの方が上手で、前任者(ブッシュ/訳注)の失敗から学んでいたことは確かである。2003年5月1日、ブッシュは声明を発表するにあたって、「任務達成」と大書された垂れ幕の下、米空母エイブラハム・リンカーンの甲板に降り立ち、イラクでの「主要な戦闘作戦」は完了した、と宣言した。海軍で任務に当たった者たちは、笑顔に満ちたエキストラ役として、その甲板上に集められた。

 オバマはといえば、クウェートに飛んで装甲車両の上から同様の演説を行うことをしなかっただけ、ブッシュよりも賢かった。オバマはホワイトハウスから声明を発表しただけで、テレビの放送網と「エンベッド」記者たちにまかせた。記者たちは、クウェートへと国境を超える「最後の旅団」に同行して、政府と軍がお膳立てしたプロパガンダを繰り返したのである。

 ブッシュが演説を行った7年前、イラク戦争での米軍兵士の戦死者は139人だった。その後、4300人近くが戦死した。「衝撃と畏怖」作戦における空爆と、2003年3月からのイラク侵攻によって、イラクは切り裂かれ、虐殺の修羅場と化し、アメリカの仕掛けた戦争で100万人以上の命が失われ、その何倍もが負傷し、約400万人が家を失って難民化し、そしてアブグレイブのように米軍の管理する監獄では何千人もが囚われて拷問された。

 イラクにおける武力事件は、先月、過去2年間で最悪のレベルに達した。しかし、ここ何週間の流血の惨事で、イラク人犠牲者の数は先月を上回る趨勢である。実際、最後のストライカー旅団が撤退する模様はと言えば、同行記者たちは秘密にすることを誓約させられたが、F16戦闘機と機関砲を備えた攻撃ヘリが上空から援護しなければならない状況であり、そのこと自体がイラク人武装勢力による脅威が続いていることを物語っていた。

 イラク人自身にとっては、この数年のあいだは、社会的な破滅と人道的危機が深まるだけであった。人口の半数以上が失業し、仕事をしている者でも4分の1以上が極貧ラインである1日2.2ドル以下の収入しかない。ほとんどのイラク人が、清潔な水、十分な公衆衛生、まともな住居、そして医療からは無縁という状態で、電気もほとんど通じることがない。

 このように血に汚れた犯罪的な遺産こそが、オバマの演説を、言葉は慎み深いものの、エゲツなさではブッシュの虚勢を上回るものにしている。

 オバマは18日の演説で、「われわれの戦闘任務は今月で終わり、われわれは思い切った兵力の撤収を完遂する」と述べた。「そしてイラク政府との合意のもとに、全兵力を来年末までにイラクから引き揚げる」と。

 彼は第2歩兵師団第4ストライカー旅団の撤退を、アメリカの対イラク軍事侵略を終わらせる「一里塚」だと宣言した。

 アメリカの報道機関は、こうした演説の短い断片を、アメリカ流儀のミリタリズムを祝う旗の波で飾り立て、この戦争が始めから侵略戦争(戦争犯罪)であった事実、「大量破壊兵器」が存在せずイラクとアルカイダは無関係だった点でもアメリカ国民はウソでだまされてきた事実を曖昧(あいまい)なものにした。

 オバマはその演説のなかで、「責任をもってイラク戦争を終わらせる」という決断を定式化すると繰り返したが、アメリカ国民への責任については何も触れなかった。

 ・・・・(中略)

 これらの短い言辞は、一連のウソとつながっている。今回の米軍の部分撤退は、オバマが大統領選挙のキャンペーンで行った公約とは異なっている。当時、彼は16ヶ月以内にイラクから全米軍部隊を引き揚げると言っていた。今オバマが口にしている撤退期限は、2008年にイラク政府と結んだ(米軍駐留の)地位協定にブッシュが盛り込んだ内容である。

 撤退期限の件を棚上げするにしても、イラクから全部隊を撤退させるというオバマの公約は、2011年末までイラクに5万人の米軍兵力を残すというものにスリ替えられている。居残り部隊も、今回クウェートに引き揚げた部隊も、違いがあるわけではない。居残り部隊は、イラクに残って「助言と支援」を行うだけの「過渡期」な兵力だと呼び名が変わっただけで、彼らも戦闘作戦を遂行する完全な能力を持っていることに変わりはない。

 米軍の飛行部隊と攻撃ヘリは、今もイラクの領空を支配しており、2011年12月までずっとその任務を続けるだろう。そして特殊部隊も、対ゲリラ作戦と「標的を定めた」殺人任務を遂行(要するに暗殺/訳注)するために、イラクに残っている。

 しかも、2011年12月を期限として、全米軍部隊の撤退が実現すると信じる者は、軍事や外交政策に関わる機関の中には一人もいない。

 さらに、ニューヨーク・タイムズが19日付で報道したところによると、アメリカの国務省は、自前の兵力として民間人7000人からなる「警護要員を雇い入れる」計画を策定中である。そうした傭兵部隊は、植民地スタイルの要塞に配置されたり、「緊急即応部隊」として編成され、軍の一翼を担うもので、国務省が国防総省に配置転換を要請している。

2010年8月8日日曜日

生きているというより死んでないだけ

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☆★生きているというより死んでないだけ
'We're Not Living, Just Not Dying'
By Jake Hess < IPS News   2010年8月4日付
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http://ipsnews.net/news.asp?idnews=52374

By Jake Hess
IPS News - Iraq and the Middle East

 スレイマニヤ(イラク)発、2010/08/04 - イラク北部に国内移住したクルド人に比較すると、シャマル・カディルは幸運といえる。7月1日の空襲の真っ最中に、トルコ軍が彼の住むクジン村に進行してからは、彼はある学校の校舎に寝泊まりしている。教室の温度は快適で、基本的なものには不足しない。

 「私の家族は1996年、クジン村に土地を買って家を建てようとした。それは子どもたちのためで、そうすれば子どもたちは将来にわたって住む家を確保できることになる」とカディルはIPSの取材に答えた。「しかし、今ではその夢は奪われてしまった」。

 5月24日以降、トルコ軍とイラン軍の砲爆撃がイラク北部の国境地帯にあるクルド人居住地を脅かすなかで、カディルは居住地を追われたクルド人6500人のなかの一人である。移住のやむなきにいたったクルド人の3分の2は、不毛の山岳地帯に点在するテント村に住んでおり、彼らの生活必需品は地方行政当局と国際援助機関によってかろうじて補われている状況だ。

 サンガサル町のドリ・サヒダン地区に住む国内移住民ハリマ・イスマイル(女性)は、「劣悪な環境なので、ラマダンの早い時期に住民はここで死ぬだろう」と説明した。

 ドリ・サヒダンの住人であるシャム・アハメット(92歳)は、「私は着の身着のままで逃げてきた」という。「援助組織がテントを届けてくれるまで、私たちは何日も野宿した」。

 イラク北部の都市スレイマニヤにある国連難民機関の事務所は、「秋雨で川の水量があがるので、ドリ・サヒダンに住む約500家族は3ヶ月以内に再び移住することになるかもしれない」と言う。

 国内移住民キャンプに住む人々は、支援が貧弱だとか、健康管理体制あるいは夏の猛暑、そして電気が来ないことについて不満を募らせている。多くの者が、収入源だった農作物の作付け時期に土地から追われたので、経済的にも破局に直面している。

 ゴジャル国内移住民キャンプに住む男性アブドッラーは、「畑も穀物もブドウ園も、すべてが爆撃で焼き払われた」とIPS記者に語った。「ここでは収入が得られない。生活といえる状況ではない。生きているというより、死んでないだけ」。

 スレイマニヤに駐在する赤十字の職員は、このキャンプでは、現在のところ、差し迫った人道危機という状況はないが、適切なトイレ施設がなく、ゴミ処理にも問題を抱えているので、衛生状態が悪化しかねない中程度の脅威が存在する、と指摘する。

 それにここは攻撃にもさらされている。最近の砲爆撃の結果、少なくとも子ども2人が死亡したほか、数人の住民が負傷した。

 トルコ政府は、この攻撃は左翼ゲリラであるクルド労働党(PKK)を狙ったものだという。PKKはトルコに住むクルド人の自由と権利の拡張を要求している。トルコ政府は、PKKが軍事作戦を開始するよりも早い時期から、イラク北部を定期的に砲撃してきた。

 他方イランは、国境越えの砲撃について、クルド自由党PJAKを狙ったものだと主張する。PJAKは、イラン国籍クルド人の武装組織で、イデオロギー的にも組織的にもPKKと結びついている。

 2007年には、ブッシュ政府はPKKをアメリカ及びトルコ、イラクの「共通の敵」と見なしていた。アメリカ政府は、国境をまたいで活動するPKKの拠点に関する生きた情報を、トルコ政府に提供し始めた。それ以降、トルコとイランはそれぞれイラクとの国境に近いクルド人集落に対して、連携しながら爆撃と砲撃を繰り返している。

 トルコ軍の参謀長イルカー・バスブグは、2008年当時、「彼ら(イラン)が作戦を開始すると、われわれも同じようにする」と発言していた。「彼らは国境のイラン側から、われわれは国境のトルコ側から作戦を展開するのさ」。

 PKKの歴史でもある『血と信念』の著者アリサ・マルコスは、イラク北部から国境を超えて攻撃する能力に対しても、新人を惹きつけるという面でも、こうした攻撃がPKKに甚大なダメージを与えているとは思えない」という。「地形が険しいためにトルコ軍の飛行機が彼らを攻撃するのは容易ではなく、ゲリラに死亡者が出ることは滅多にない」。

 しかし村人や援助機関のスタッフたちは、トルコ軍とイラン軍の爆撃はますます激しくなり、近年の状況と比べると一般市民の居住地にも近づいている、とレポートしている。

 トルコ政府は最近になって、イラクとの国境沿いにPKKと対峙するため新たな特殊部隊を派遣し、国境地帯に150の新しい陣地を構築する計画を発表した。米軍もまた、トルコ軍のPKK攻撃を支援するために、イラク領空に空域を拡大しはじめた。

 「われわれは武器供与を含めて、トルコ支援となりうる別の手段を模索している」と、アメリカの駐トルコ大使ジェイムズ・ジェファリーは説明する。われわれは基本的に、トルコのために、できるだけ速やかに、可能な限り多くの成果を挙げようと努力している」。

 PKKは一方的に宣言した停戦通告を6月1日に取り消し、それ以後はトルコ軍陣地への定期的な攻撃を行うだけになっている。

2010年7月26日月曜日

緊急: 拉致されたイラク人女医の命が危ない

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☆★緊急: 拉致されたイラク人女医の命が危ない
URGENT: The abducted Iraqi female blogger Hiba Al-Shamaree is in danger of death
Albarsrah.net 2010年7月19日
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http://www.albasrah.net/ar_articles_2010/0710/heba_160710.htm

 バグダッドにあるあの恐ろしいカジミヤ監獄からの信頼できる情報によると、米占領軍が操るマリキ政府によって拉致・投獄されている眼科医ヒバ・アル・シャマリーに、生命の意見が迫っていることが確認された。

 その信頼できる情報提供者は、カジミヤ監獄に投獄されているヒバ・アル・シャマリーは、食べ物に毒を盛られて、所在の知れない病院に搬送された、という。

 米軍仕込みのマリキ政府は、アメリカ流の「民主的」だか何だか知らない監獄において、収容者への面会は一切許可しない、ということは衆知のことである。

 テロおよび武装レジスタンスの容疑で拘束されている者を担当するヒシャム・バハデリ中尉は、アメリカに習った新生イラクの民主主義では、面会も医学的治療も許されない、と確認した。

 イラク人の若い眼科医アル・シャマリーは、イラク国内で人道的な医療支援を行っている時に、バグダッドで暗躍する民兵の助けを借りた米軍によって拘束されたことが知られている。

核物理学を専攻するイラク人学生が殺される

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☆★核物理学を専攻するイラク人学生が殺される
An Iraqi student in nuclear physics murdered in Baghdad
Albarsrah.net 2010年7月22日付
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http://www.albasrah.net/ar_articles_2010/0710/nawawi_200710.htm

19 July 2010
Translated by Abu Assur

 確かな情報提供者が、今日、バグダッドの大学でイラク人学生が暗殺された、と知らせてきた。

 この情報提供者は、銃を持った正体不明の男がバグダッド出身の学生を撃ったが、学生は核物理の分野では先進的な研究者として知られており、彼の暗殺は注目を集めている、という。

 イラク警察によると、暗殺された学生はバグダッドの大学で核物理学を専攻することで有名な研究者だった。前述の情報提供者は、さらに、このイラク人学生は核濃縮と実用化、核分裂反応の制御といった領域で新しい機械を発明してきたことでも有名だった。

 2003年にイラクが侵略されて以来、米侵略軍によってイラクの知性を代表する有識者が系統的に抹殺されてきており、メソポタミア文明を継承するイラクは混沌とした地帯となり、国際的なギャングやイスラエルを含めて秘密のスパイ機関がうごめく殺人地帯となってしまった。

 次のことを記憶にとどめておく必要がある。米侵略軍の支援とクルド人民兵のペシュメルガの協力のもとに、アラブ地域で暗躍するイスラエルの秘密スパイ組織は約800人のイラク人学者、大学教授、研究者を殺害してきた。ヨーロッパやアメリカの大学からは、それに対して何らの非難も知識人への擁護も語られない。

2010年7月19日月曜日

イラク人捕虜が殺されようとしている!

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☆★イラク人捕虜が殺されようとしている!
To all those who respect human life: Iraqi prisoners at risk:
The Iraqi detainees are in danger of death !
アラブ・バース社会党イラク指導部 2010年7月14日
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http://www.albasrah.net/ar_articles_2010/0710/ba3th_150710.htm

 人権に尊重する全ての人々へ: イラク人捕虜が危機に瀕している!

 先週の日曜日(7月11日)、米軍はイラク人捕虜の身柄をマリキ政府に引き渡したが、イラク政府は彼らを恐ろしいカジミヤ刑務所に入れた。そこは米軍の侵攻以来、拷問(ごうもん)、殺人、処刑の場所に使われ、まさに人権が蹂躙されてきた監獄である。

 この悪名高い監獄では、一切の治療措置は行われず、赤十字でさえ入所者に医薬品を届けることができないという、人間らしい生活環境の最低限度のことさえ認められてない。

 26人の捕虜が米軍から身柄を移されたことで、他の捕虜の生命もひじょうに危険な状態に陥っているといえる。わが党は人権及び人の尊厳を重んじるすべての人々に、次のような状況に注意を喚起していただきたい。

 1.アメリカ占領軍は数日前、赤十字に宛てて書簡を出し、自分たちは捕虜の身柄を移すべきではない、なぜならマリキ政府の法務大臣は米軍に捕虜の収容能力も彼らの人権を守る能力もないと言ってきたからである、と述べていた。

 それにもかかわらず、米軍は26人の捕虜を先週日曜日に米軍の監獄から出したわけで、彼らは着の身着のままで所持品はまったく認められず、また、ひどい扱われ方をしている。いったい何があって米軍が考えを変えたのか? 米軍が自分たちの言った言葉をひるがえし、約束を破る理由は何なのか?

 2.アメリカ占領軍が監獄を運営し、収容者は5人しか死刑になってないという事実があり、そのことは米軍が自らの命令のもとに彼らを拘束し、捕虜として収容する能力を持っていることを証明している。

 3.捕虜となっているタリク・アジズ氏のように、捕虜の中には重病を患っている者もいるが、アジズ氏は占領軍から毎日30の治療を施されており、彼の私的な治療レポートによると、彼はその治療なしには生命を維持することはできないであろう。

 タリク・アジズ氏は脳に疾患が確認されたあと、米軍の病院に移送されて、そこで治療を受けた後に監獄に戻された。現在、タリク・アジズ氏はまだ脳疾患を患っており、動くことや会話をすることには障害を抱えている。

 このような状態は同じく捕虜となっているヒクマット・アッザウィ氏も同様で、彼も治療なしでは生きることができない。捕虜の中には、ガンがかなり進行している者、死を4.免れるためには治療が不可欠な者もいる。

 4.カジミヤ監獄には人間らしい最低限の状態さえ保証されてない。それは本当だ! 米軍に侵略・占領されて以降、この刑務所は投獄された者に対する拷問と殺人の場となってきたため、ここに投獄された者はいかなる治療も受けられなかった。

 5.米占領軍は何度も宣言し、赤十字にも繰り返し約束してきたはずだ。最高権限を持つ3人(大統領、首相、議長)によって投獄者および捕虜の人権が保障されない限り、米軍は収容者の身柄をイラク政府に渡すべきではない、と。上記に照らして、明らかに身柄の移譲は容認されない。

 6.以上のことからすると、アメリカ軍はこれまでの姿勢を変え、収容者の身柄をまさに彼らを忌み嫌っている政府にゆだねることによって、手間をかけて殺害することにした。その方が都合良いことを占領軍は知っているのだ。占領軍は最高権限を持つ3人に保証を要請したのは、このためである。

 拷問と屈辱をうける病気の捕虜たちは、アジミヤ監獄に投獄された他の収容者も同じ運命だが、医学的治療を受けられなくなると間違いなく死ぬことになるだろう。

 タリク・アジズは30種類の治療が必要な状態であり、そのうちのどれか一つが欠けるなら、いつ死ぬかわからない危機に瀕している。

 以上のことを踏まえて、次のように主張する。

 1.アメリカ占領軍は、1人といえど米兵がイラクにとどまる限り、すべての捕虜の生死に責任がある。イラクに駐留する米兵5万人が撤退するという合意を考慮しても、その程度の撤退でアメリカ軍は捕虜の殺害を防止できなくなるというのか? 捕虜の身柄移譲は物理的な精算以外の何ものでもなく、マリキ政府以前にオバマ政府に完全な責任がある。

 2.最高権限を持つ3人(大統領、首相、国民議会議長)と、政治プロセスに参加するあらゆる政党・政派、あるいは国民議会に議席を持つ者は、いかなる収容者の死についても直接の責任があり、殺人を正当化することは許されない。

 3.赤十字が収容者に救急医療を派遣することをマリキ政府が許可しない場合には、赤十字はすぐに沈黙を破って、抗議し、特にカジミヤ監獄におて収容者の人権が侵害されていることを暴露し、イラク人収容者がこうむっている健康問題に世論の注目を向ける必要がある。現在の赤十字の沈黙とマリキ首相が収容者への治療を拒否している事実は、拘束された者に対する赤十字の業務を妨害する明確な違反行為と見なされる。

 4.イラク内外のメディアおよび文化団体、政党、法律団体、人権団体は、ただちに声を挙げ、捕虜の身柄移譲という犯罪を非難する声をあげることが求められており、マリキ政府によって処断されることを回避するべく圧力をかけなければならない。

 5.イラクの拘束者を守ることは、イラク国民の愛国心とアラブのナショナリズム、そして世界中の自由を愛する人々のために人道主義を掲げることであり、一党一派の呼びかけと勘違いしてはいけない。法律と国民の権利を広げなければならない。


バース党イラク指導部
2010年7月14日
文化情報局

バグダッドにて


Translated by Abu Assur:
http://www.albasrah.net/pages/mod.php?mod=art&lapage=../en_articles_2010/0710/ba3th_150710.htm

2010年7月12日月曜日

韓国哨戒艦沈没をめぐって

 今回はイラク問題ではありませんが、重要なのでよろしく

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☆★韓国哨戒艦沈没をめぐって
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◆国連安保理が韓国哨戒艦沈没で非難声明、北朝鮮の責任は認めず
ロイター日本語版  2010年 07月 10日 01:17 JST
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-16222820100709

 [国連 9日 ロイター] 国連安全保障理事会は9日、今年3月に発生した韓国の哨戒艦沈没事件に関する声明を発表し、沈没が攻撃によるものだったとして非難する一方、中国への配慮から北朝鮮が攻撃したとは明確に認めなかった。
 声明には安保理メンバー15カ国すべてが同意した。

 安保理は、韓国を中心とする調査団が調査結果で哨戒艦沈没を北朝鮮による攻撃と断定したことをめぐり「深い懸念」を表明するとともに、北朝鮮が攻撃を否定していることを声明に明記した。

・・・

(以下、全文は上記URLでご覧下さい)


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◆関連記事: 議長声明全文 
  日本語は国連の公用語でないため、「原文」ではありません
聯合ニュースより
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100710-00000001-yonh-kr


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◆哨戒艦沈没、韓国人科学者らが矛盾点指摘
TBS NEWS 2010/07/10
http://news.tbs.co.jp/20100709/newseye/tbs_newseye4473652.html

 韓国の哨戒艦沈没事件について国際合同調査団が「北朝鮮製の魚雷による攻撃」との報告書を5月に発表しましたが、これについて、韓国人の科学者らが9日、都内で会見し、「証拠を示していない」として、報告書の矛盾点を指摘しました。

 「合同調査団は、気泡の影響があったという証拠を1つも示せていないのです」(米ジョンズホプキンス大学 ソ・ジェジョン教授)

 都内の外国特派員協会で会見を行ったアメリカ・ジョンズホプキンス大学のソ・ジェジョン教授は「報告書は、気泡が哨戒艦をどのように2つに切断できたかを示せていないだけでなく、調査団が行ったシミュレーションは実際の被害状況と矛盾している」と説明。

 その上で、250キロの爆薬が爆発した際の衝動波から予測される被害程度と、実際の船体の破損状態は一致しないとして、「船外で爆発が起きた」ことが実証されていないと述べました。

 また、固体物理学が専門のバージニア大学のイ・スンホン教授は、報告書が北朝鮮の関与の「決定的証拠」とする現場で回収した魚雷の部品に記された「1番」を意味する文字について、爆発の熱にさらされ、塗料は焼け落ちたにもかかわらず、インクで書かれた文字がそのまま残っていることなど矛盾点を指摘。

 さらに、魚雷と哨戒艦から発見された白い化合物についても、教授らの科学的分析の結果、爆発によって生成された化合物であることを示していないとして、合同調査団は爆発の事実を証明していないと述べました。

 2人の教授は、この検証結果を6月半ばに国連安全保障理事会に提出していて、朝鮮半島と東アジアの平和と安定のためにも、韓国政府に改めて調査を行うことと、客観的な調査を行うチームを作るよう求めるとしています。(09日20:17)



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◆民族時報 2010/07/01付 /在日韓国民主統一連合機関紙

【論説】客観的で科学的な究明をの声
http://www.korea-htr.com/jp/181190/118410ns.htm

 ・・・ (略)

 調査結果の発表後にも疑問点が続々とあらわれている。天安号の生存者らが二週間の合宿教育を受けた事実も明らかになった。教育を通して口止めをはかったという疑惑だ。また天安号沈没当時、警戒勤務に立った哨兵が「水柱」を見なかったと陳述したことが確認された。調査結果では水柱を見たことになっている。

このように、天安号沈没に関して疑惑がさらに高まっている。


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◆韓国の報道(日本語版)から/韓国内の世論も分れています

中央日報:
ハンナラ党「外交成果」 民主党「国際的な恥」 先進党「外交惨敗」
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=131045&servcode=200§code=200


朝鮮日報:
ニュース特集 哨戒艦「天安」沈没
http://www.chosunonline.com/app/ArticleListByTag.do?tag=%E5%93%A8%E6%88%92%E8%89%A6%E6%B2%88%E6%B2%A1

2010年7月10日土曜日

バイデンの訪問で米軍撤退めぐる不安は解消せず

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☆★バイデンの訪問で米軍撤退めぐる不安は解消せず
Biden Visit Fails to Ease US Withdrawal Tensions
Institute For War & Peace Reporting 2010年7月8日付
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http://www.iwpr.net/report-news/biden-visit-fails-ease-us-withdrawal-tensions

By Abeer Mohamed - Iraq
ICR Issue 344, 8 Jul 10

 アメリカ副大統領ジョセフ・バイデンは、先週バグダッドを電撃訪問したものの、アメリカとイラクの間の緊張を解くことにも、暗礁に乗り上げたイラクの政局を打開することにも失敗した。

 アメリカはアフガニスタンに関心を奪われて、イラクでの責任を果たしていない--このように感じるイラクの政治家とメディアから、冷ややかな視線を浴びるなかでバイデンのイラク訪問が行われた。

 オバマ大統領に対しては、両国間の長期的な関係を壊してまで、8月末までに4万人の戦闘部隊を撤収させるという公約を優先している、と批判が出ている。

 米軍抜きの「安全保障」では、イラクは再び宗派抗争におちいいるだろう、という懸念がささやかれている。銃撃や爆発事件は今も毎日のように発生しており、バイデンが到着した直後にも、要塞化されたグリーンゾーンに迫撃弾が撃ち込まれた。

 米軍がいなくなれば、近隣諸国はイラクの巨大な石油収入に目をつけるだろうし、中東のゲリラ組織もイラクからの人材確保に動くだろう、と心配する者もいる。

 戦闘部隊ではない約5万人の米軍が2011年末まで残るといわれても、イラク政府と地方の当局者は、米軍及び専門部隊の撤退で市民への基本サービスの提供さえ難しくなる、と懸念する。

 バグダッド在住の政治批評家でコラムニストでもあるイブラヒム・アル・スマイディは、「オバマのイラク戦略は万全ではない」と指摘した。「彼はイラクに対するアメリカの関与に関心を払うべきで、放置して背を向けることは許されない。彼はイラクとイラク国民を血の海になる可能性の中に置き去りにしているが、アメリカには責任があるはずだ」。

 バグダッドにあるアメリカ大使館で行われた独立記念日の式典で、バイデン副大統領はアメリカの関与を約束してイラクの高官を安心させようとした。

 「9月31日を期限にアメリカの関与が消えるわけではなく、それどころか強まるだろう。皆さんが立ち上がって民主主義をうち立てようとしている時だから、われわれは経済的にも政治的、社会的にも、そして科学や教育の分野でも皆さんに協力する。」

 バイデンは三日間滞在し、総選挙から4ヶ月たったなかで高官や有力者たちと会談を行い、ライバルを排除する政治ブロックをなだめたり、連立政府づくりを促したりした。

 機能的な民主主義を樹立することがアメリカの表向きの占領目的であり、一部の政治家もそれをアメリカ政府に期待している。

 3月7日の総選挙で僅差の第1党となった政治会派イラキーヤの指導者の一人は、「アメリカはいわゆる<民主主義の生みの親>なんだから、イラクに残って民主主義の擁護者となるべきだ」と語った。

 専門家たちは、バイデンの訪問中に政治的行き詰まりが打開されなかったという事実は、アメリカの力の入れようが緩くなったことを示して余りある、と解説した。

 2つのシーア派会派が合併して、過半数の163議席に4議席足りないだけという局面になったことから、アラウィ元首相に率いられスンニ派が多いイラキーヤは危機に立たされている。

 バイデンが個人的に面談したのは、アラウィ元首相とヌーリ・マリキ現首相、そしてクルド人指導者のタラバニ大統領、INA(イラク国民合意)の指導者ハキムである。サドル陣営が40議席を獲得して次期政権のキング
・メーカー的位置を得たにもかかわらず、バイデンはサドルの代理人とは会談しなかった。

 サドル陣営の幹部アミール・カナニは、「アメリカの内政干渉は自国の利益追求から生じるもので、イラクのためではない」と非難した。「アメリカがイラクの成功を望んでいても、本当に欲しいのはからラガ信用できる成功なのだ。だからアメリカは自分たちに忠実な勢力を支援し、その他の者は互いに争わせる」。

 「マリキがINAよりもアメリカと緊密なのは、INAにはサドル陣営が含まれるからだ。したがって、アメリカは(マリキの率いる)法治国家連合がイラキーヤと連携することを模索している。そこでバイデンが抱える問題は、アラウィとマリキの両方が首相になりたがっていることだ。バイデンはどちらかに首相ポストをあきらめさせたがっている。」

 バイデンはいずれかのグループに支援を約束することはせず、全勢力が新政府に参画すべきことを明らかにした。

 「新政府が機能するためには、全員が新政府で重要な役割を果たさなければならない。皆さんが始めたことが完遂されるよう祈る。新政府が発足すれば、明確にこれまでとは違う。平和的な権力交替をイラクの全国民が経験することになる。それは、おそらく歴史上初めてのことだろう」とバイデンは7月4日(アメリカ独立記念日)の演説で話した。

 政治的行き詰まりがどのような結果になるかについて、彼ほど楽観的な者は他にいない。

 法治国家連合の指導者の一人ハリド・アル・アサディは、「いつ新政府が発足するかもわからない」と言った。「数日内ということもあるが、たぶん数ヶ月かかるだろう。誰にも検討がつかない。これはイラクの現実だ、なにが起こるかわからない。」

米中央軍の新司令官: 「アラブ人射殺は楽しみ」

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☆★米中央軍の新司令官: 「アラブ人射殺は楽しみ」
New CENTCOM commander once called shooting Arab men ‘a hell of a lot of fun’
Agence France-Presse  2010年7月8日付
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http://rawstory.com/rs/2010/0708/general-hired-oversee-iraq-occupation-its-hell-lot-fun-shoot-arab-men/

By Agence France-Presse
Thursday, July 8th, 2010 -- 10:21 pm

 アメリカのゲーツ国防長官は7月8日、ジェイムズ・マチス大将を米中央軍(セントコム、US Central Command, or CENTCOM)の新司令官に指名した。セントコムはイラクとアフガニスタンの戦争を全面的に管轄している。

 マチス大将の任命には上院の承認を得なければならないが、思い通りに進展しないアフガン戦争の直接指揮をとることになったペトレイアス大将の後任人事で、ペトレイアスの前任司令官は雑誌インタビューで物議をかもして解雇された。

 ゲーツはオバマ大統領への推薦を発表するに際して、「マチスが就任するポストは、危うい時期の危ういポスト」と報道陣に話した。

 ゲーツによれば、マチスは「米軍屈指の戦闘指揮官で戦略家」の一人だという。彼はこの4つ星の海兵隊大将が現在の戦局に光明をもたらしてくれると褒めちぎり、「軍を縮小しつつ、同時に将来に備えなければならない」と語った。

 オバマ大統領がペトレイアスの前任者を解任したあと、ペトレイアスは先週、正式にアフガン戦争の指揮を委ねられた。前任者のマクリスタル大将は雑誌『ローリング・ストーン』のインタビューで、幕僚とともに副大統領(バイデン)その他の政府高官をコキ降ろすコメントを行った。

 ゲーツ国防長官は先週、軍幹部がジャーナリストと接触するに際しての新たなメディア対応策の概要を発表したが、軍に規律がなく、幾つかのケースではまったくいいかげんなものもあって「関心を強める」ことになったと説明した。

 しかしながら、マチス指名でこの問題を回避できそうにはなく、ゲーツはさっそく、2005年のカメラ取材について弁解せざるをえないハメになった。そのインタビューでは、マチスは次のように発言していたのだ。「実際のところ、戦うのはすごく面白い。まったく、喝采ものだ」。

 「アフガニスタンに行ってみたまえ。そこには5年間も女をこづまわした奴らや、人間性のかけらもないヤツがいるんだ。だからそんな連中を射殺するのは、すごい快感だ。」

 しかしながら、ゲーツは批判を一蹴し、その当時、適切な対処がなされたのだと言い張り、「その時の教訓から学んだことを、その後の5年が実証いている」と考えている、と弁明した。

 マチスは、米軍がアフガニスタンに侵攻した初期段階には、アフガニスタン南部で准将として海兵隊の部隊を指揮していた。アメリカで9・11事件が発生した後、2001年に開始された戦争である。

 彼はイラク戦争でも、最初の侵攻作戦で海兵隊を指揮し、その後、対ゲリラ作戦にも参加した。

2010年6月22日火曜日

抗議で死者が出たあと電力相が辞任

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☆★抗議で死者が出たあと電力相が辞任
Iraq electricity minister resigns after deadly protests
BBC(イギリス)  2010年6月11日付
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http://news.bbc.co.uk/2/hi/world/middle_east/10371581.stm

 幾つもの都市で停電に対する激しい抗議が吹き出たために、イラクの電力相は辞任を申し出た。

 カリム・ワヒード電力相は、国民の焦燥感と電力省の資金不足が発電不足の原因だと語った。

 気温が摂氏50度に跳ね上がるなかで、電力の供給は1日に数時間しかなく、国民の怒りは高まっている。

 19日のバスラ市では、電力不足に抗議する市民に警官が発砲し、2人が死亡した。

 ワヒード氏は、2006年にマリキが首相になってから、電力相に就任していた。

 彼はテレビ演説で、「私が起ちあげた電力不足解消プロジェクトで問題は解決されるのに、イラク国民は事態をガマンすることができず、また事態があらゆる方面で政治問題化されたために、私は意を決して辞任を発表することにした」と語った。

 バスラの警察は、州政府ビルに投石する抗議参加者を追い払うために、彼らに向けて発砲した。

 抗議参加者の掲げる横断幕には、「電気を寄越せ」とか、「バスラ市民は公共サービスと電気の提供を求める」などと書かれていた。

 バスラでの抗議に続いて、21日にはナシリヤ市でも同様の抗議が発生し、抗議参加者の投石で警官14人以上が負傷した。

 これに対して、警察は放水で抗議参加者を追い払おうとした。

 政府の報道官は、ワヒード氏の辞任が受理されるかどうか、22日に閣議で討議されるまでマリキ首相は決定しないだろう、と話した。

 3月の総選挙で明確な勝利者がなかったことから、イラクには苛立ちが募っている。諸政党は、首相その他の重要ポストに誰が就くか、合意できないでいる。

イラクの停電に抗議が噴き出す

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☆★イラクの停電に抗議が噴き出す
Iraq power outages provoke protests
アルジャジーラ  2010年6月21日付
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http://english.aljazeera.net/news/middleeast/2010/06/2010621141946159881.html

 イラク南部でひどい停電に抗議して怒りのデモが3日続いたあと、イラクの電力大臣が辞任を申し出た。

 カリーム・ワヒード電力相は21日、国営テレビで、「国民に仕えるために首相が命じることなら、何であれそれに従う用意はできている」と発言した。

 ディカル州の州都ナシリヤ市で大規模なデモが発生したあと、数時間後に、この電力相の発言となったが、ナシリヤでは群衆を州政府ビルから排除するために、興奮した警官が放水ポンプを使ったりした。

 この抗議行動のあいだに、10人以上の警察官が負傷した。

 バスラ市でも、抗議を展開する小グループが、州政府ビルの周囲に座りこんだ。

 湾岸地域の初夏の熱波が気温を摂氏50度以上に押し上げるなかで、イラク南部の多くの地域においては、1日に6時間程度しか電気が通じず、灼熱の天候となっている。

 ◆市民の憤懣

 21日のデモは、20日のナシリヤにおける小さめのデモ、そして19日のバスラにおける大規模なデモに続くもので、死亡者も1人でた。

 19日のデモでは何千人ものデモ参加者が市庁舎を取り囲み、石や空きビンを投げる者もいた。彼らはイラク電力相カリーム・ワヒードの辞任を要求していた。

 電力省の報道官ムサブ・アル・ムダリスは、停電の責任を地方の役所になすりつけた。

 マリキ首相はバスラに特使を派遣し、停電問題をめぐって現地当局者と協議した。

 タリク・アル・ハシミ副大統領は、20日にワヒードと会談し、電力状況を改善するために「重大な処置を進める」よう彼に命じた。

 19日のバスラにおける抗議デモでは、マリキ首相に反対するスローガンを叫ぶ者もいた。マリキ政府は、イラク国内の基本的公共サービスを改善できなかったことで、幅広い層から非難をされている。

 赤十字国際委員会の報告によると、停電は国中に広がり、国民の4人に1人は安全な飲み水を確保することができないでいる。

 ホシュヤー・ゼバリ外相は、抗議デモは政府の失政をめぐる国民的怒りの広がりを示している、と語った。

 「人々は公共サービスの欠如と対応の無策ぶり、そしてに政府の対応をめぐるテレビ討論のすべてに疲れきっている」と。

2010年6月13日日曜日

新たなシーア派会派=国民同盟

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☆★イラクで新たなシーア派会派=国民同盟
Iraqi merger forms new Shia bloc, the National Alliance
BBC(イギリス)  2010年6月11日付
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http://news.bbc.co.uk/2/hi/world/middle_east/10294271.stm

 イラクの2大シーア派グループが、先の選挙で躍進したことから、新しい国民議会において最大の会派を形成しようとしてきた。

 国民同盟と呼ばれるこの会派は、マリキ首相の率いる会派と、急進派であるムクタダ・サドルの支持者を含むシーア派会派が合併するものである。

 この会派も国民議会での絶対過半数には少し議席が足りないが、ライバルである世俗主義のスンニ派会派より抜きんでることになる。

 新しい国民議会は14日月曜日に招集される。

 シーア派の2会派は、数週間の交渉を経て、一つの会派を結成すると発表し、暫定議長も承認した、と、発表した。

 INA(サドルなどシーア派至上主義が中心の会派/訳注)のメンバーであるカリム・ヤコビは、新しいシーア派会派が過半数を占めるようにクルド同盟が合流するだろう、と語った。

 バグダッド駐在のBBC特派員は、シーア派陣営も世俗主義のスンニ派陣営も、どちらも与党となる権利を主張するだろうと語った。この問題についての憲法判断は不明である。

 特派員の見解では、いずれにしても、シーア派陣営はまだ誰を首相候補にするか決めていない。そこで考えられることは、まず第一段階として、国民議会の開会が宣言され、権力共有の交渉がまとまるまで、無期限に延期されるのではないか。

イラクの高給取り、トップ10

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☆★イラクの高給取り、トップ10
Iraq’s Top Ten Salaries
McClatchy Inside Iraq 2010年6月9日付
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http://blogs.mcclatchydc.com/iraq/2010/06/iraqs-top-ten-salaries-and-the-best-pension-in-the-world-i-guess.html

 イラクの高給取り、トップ10・・・そして多分世界一の恩給も

 アル・アラム新聞社に勤めるイラク人ジャーナリストであるサルマド・アル・タエは、イラク政府高官の給料を明らかにする記事を発表した。

 高給取りトップ10とは、イラク大統領と2人の副大統領、首相と2人の副首相、国民議会の議長と2人の副議長、そして最高裁長官である。

 イラク政府首脳の給料は公開されてはなく、そしてその俸給額を特定する法律があるわけでもない。

 タエとその同僚2人は奔走し、幾つかの数字を入手することに成功した。彼の説明によると、給料に多くの手当が加えられてとんでもない高額になるという。極めつけは優待手当というのもある!! 危険手当とかもある。したがって次に紹介するのは、ほんの一部である。

 イラク大統領: 年額約70万ドル

 イラク副大統領: 年額60万ドルだが、イラクの報道機関によると、アデル・アブドル・マフディ副大統領は総額で毎月100万ドルを受けとっていると語った。

 首相府は、マリキは年額36万ドルを受けとっていると発表した。しかし幾人かの高官から入手した情報では、首相の俸給は大統領の俸給と同額だという。つまり彼らは同じ給料を受けとるべきなのだ。

 最高裁長官は月額10万ドルとされ、手当については不明。

 副首相は年額約17万2000ドルとされ、特別手当は不明。

2010年6月8日火曜日

スンニ派民兵から武器を取り上げる

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☆★イラクはスンニ派民兵から武器を取り上げる
Iraq pulls weapons permits from Sunni tribal militias
ロイター 2010年6月6日付
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http://www.uruknet.de/?s1=1&p=66746&s2=07

By Hilmi Kamal

 バクーバ(イラク)発 -- イラク軍は5日、元スンニ派ゲリラ1万人から武器の携帯権限を奪ったが、これはイラクのテロ抑制に協力して信頼されたスンニ派戦士と治安部隊との間に亀裂を深めかねない動きである。

 覚醒会議ないし「イラクの息子」と呼ばれる運動の指導者は、これに直ぐに反応して、もし武器の携帯が認められなくなると、スンニ派の多いディヤラ州など不安定な地域で治安部隊に協力することを止める、と警告した。

 ディヤラ州の軍令部に配属されている広報担当は、「本日、6月5日、われわれは国防省の地上部隊司令部から命令を受けたが、それは覚醒会議の兵士に与えられた全ての徽章を取り上げ、武器の携帯が認められない新しい徽章ととりかえるというものだった」と語ったが、氏名は明かさなかった。

 軍の広報官によると、覚醒会議のメンバーは民間人とみなされ、「その結果、この州では約1万人の兵士が武器の携帯を認められなくなる」と説明した。

 ディヤラ州における覚醒会議の責任者ハリド・アル・ルハイビは、軍はこの命令を撤回すべきで、さもなければ自分の部下はイラク軍への協力を止めるだろう、と語った。

 「武器を携帯できないようでは、われわれの任務を遂行することは不可能だ」と彼は言った。「どうやって自分を守れというのか?」。

 「イラクの息子」という計画は、部族の指導者がイラクを分裂させかねない武装闘争の経歴を転換した2006年に始まったもので、彼らは米軍およびイラク軍に合流し、アルカイダその他の武装グループとの戦いに加わった。

 アルカイダとの連携を絶つという彼らの決定は、スンニ派のイスラム戦士を相手にするアメリカの戦争にとって転換点となった。

 イラク政府の指導部は、約9万人の覚醒会議メンバーに、政府の仕事を提供すると約束した。政府高官によると、約4万2000人の戦士が既に政府の省庁で職を得たという。

 しかし他の数万人は、3月7日の総選挙を経て、新政府が形成されるまで、各出身地の治安パトロール要員にとどまるよう指示された。

 選挙では勝利者を明確にすることができず、宗派によるイラクの分断をさらけだした。アラウィ元首相が率いる宗派横断の会派イラキーヤは、スンニ派教徒の強い支持を集めてわずかながら勝利を収めたが、与党を形成する過半数の議席を獲得した会派はなかった。

 選挙のあと、シーア派の2大会派が国民議会で最大勢力を築く計画を公表した。アラウィは、政府からイラキーヤを排除しようと策動したシーア派会派が、新たなテロの引き金をひくかもしれない、と警告した。

 「イラクの息子」に参加した戦士は、2006年から翌年にかけての最悪の宗派抗争以降、テロを抑制することに協力して信頼を得たが、その時数万人の人々が殺された。

 バグダッドの真北に位置するスンニ派優勢のディヤラ州は、ここ数ヶ月、他の地域以上にテロが増えてきた。

 5月12日、爆発物を積んだミニバンがハリスの町の混雑した市場で爆発し、30人以上の死者と80人の負傷者を出した。

 アルカイダとの戦いに参加する前、「イラクの息子」のメンバーはアメリカ軍とイラクの治安部隊を殺したとして告発されていた。彼らの元リーダーと戦士の中には、イラクの治安部隊に拘束されて弾劾された者、身を隠した者もいた。

 覚醒会議のメンバーは、最近の相次ぐ暗殺事件ではターゲットにされ、100人以上が殺された。

世俗派の候補者2人が殺される

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☆★世俗派の候補者2人が殺される
.2 candidates from Iraq's Sunni-backed party killed
By ADAM SCHRECK (AP), 年6月5日付
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http://news.yahoo.com/s/ap/20100605/ap_on_re_mi_ea/ml_iraq

バグダッド発

 イラクで3月に行われた国民議会選挙で最多議席を獲得したスンニ派の支持する会派の候補者2人が射殺された事件について、候補が所属する会派(イラキーヤ)は、5日、政治的に動機づけられた一連の暗殺事件の一環である、と語った。

 2人は得票が当選ラインに届かず、どちらも国民議会に議席を得ることはできそうになかった。しかし、この2、3ヶ月のうちに、世俗派であるイラキーヤの会派で暗殺された候補者は、これが3人目及び4人目であり、3月7日投票の選挙で最も多くの票を獲得した会派への政治的恫喝について、人々の関心が高まっている。

 モスル市では、事件が起こったとき候補者の自宅にいた弟(警察官)の話によると、ファリス・ジャシム・アル・ジュブリの射殺犯は軍服姿で、真夜中に候補者宅を訪れた。彼らはジュブリについて詳しく問いただし、彼が屋根に寝ているのを見つけて、3発撃って逃亡した。警察と死体管理所の職員が殺人であることを確認した。

 アンバル州にあるカイムの町では、殺人犯が道路脇爆弾を仕掛け、病院職員であるイハブ・アル・アニを殺害した、と警官が語った。このような爆弾事件では無差別殺人が多いが、アル・アニの場合は無差別殺人ではなく、イラキーヤと手を組んだために狙われたことが、最初の調べて明らかになった--警官はメディアに発表する権限を持っていないので、匿名でこう話した。カイムはバグダッドの西方320キロ(約200マイル)にある。

 イラキーヤの広報担当ものマイスーン・ダムルージは、2件の殺人ともイラキーヤの党員を狙った連続殺人事件の一環だと指摘した。

 「イラキーヤ会派は事態がエスカレートすることを望んではいないが、誰であれイラク国民が殺されるのを黙って見ていることはできない」とダムルージは言った。彼女は、「殺人は民主主義と政治プロセスを破壊するものだ」と非難した。

 アラウィ元首相に率いられたイラキーヤは、国民議会選挙が接戦となってからは、政争の中心に引き据えられてしまった。イラキーヤの会派が、マリキ首相率いるライバル会派より2議席上回ったものの、どの会派も政権与党に必要な単独で絶対過半数を得ることはなかった。

 マリキが率いるシーア派主導の政党は、次期政権運営に十分な議席を確保しようと、シーア派の宗教政党(会派)と合流した。

 イラキーヤは支持の多くをスンニ派から集めたが、スンニ派は2003年にサダム・フセインが倒されたことで統治者の座を追われた。イラキーヤが選挙に勝利したにもかかわらず、もし彼らが次期政権から排除されたら、スンニ派は疎外感を強め、特に政府系治安部隊に対する攻撃などテロが頻発するかもしれない。

 先週の土曜日(5月29日)、シーア派聖職者であるムクタダ・サドルがアラウィ、マリキ、タラバニ大統領の3人に、各自の違いは脇に置いて、翌週中に院政府に関する合意を作り上げようと呼びかけた。新しい国民議会が選出されたことで、タラバニは6月15日に任期切れとなるが、議員たちが次期首相と内閣を選出するには数ヶ月を要するだろう。

 マリキとアラウィは激しい政敵関係にあり、どちらも次期イラク首相の座を狙っている。

 現在はイランに滞在するサドルの呼びかけは、国民議会で彼らの会派が40議席を取ったとこで、彼の影響力が強くなっていることを印象づけることになった。

2010年6月2日水曜日

動画: イラク戦争の前と後

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☆★占領されたバグダッドは世界一住みにくい街
Occupied Baghdad is least livable city on planet
Party for Socialism and Liberation 2010年5月27日付
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http://www.pslweb.org/site/News2?page=NewsArticle&id=14049&news_iv_ctrl=1261

http://www.uruknet.info/?p=66421
(動画は各製作者/uruk-net)


PSL, Thursday, May 27, 2010
By: Derek Ford

 イラク戦争は、地域の前進と安定をめざすための戦争という名目のもとに、今なお政府と米国防総省によって推進されている。

 生活の質をめぐる比較調査は、バグダッドを「最も住みにくい都市」のリストの最後に位置づけた。この研究は政治、経済、エコロジー、社会、文化の全面的な要素を調査した。

 調査結果は、米軍の侵略によってもたらされた興廃を考えると、驚くほどのことではない。下水処理施設、工場群、学校、病院、博物館が破壊された。結果として、イラク国民は今も綺麗な水と電気に恵まれないでいる。

 社会基盤を壊滅させることは、帝国主義戦争において重要な戦術となっており、調査で明らかになったことがらの根源を説明するものである。「治安と安定が欠如しており、そのことがバグダッドにおける生活の質にマイナスの影響を及ぼしている」。

◆動画1: イラク戦争の前と後(ビフォー・アンド・アフター)
http://www.youtube.com/watch?v=FQl5xUMZMHI&feature=player_embedded

◆動画2: バグダッド、戦争の前
http://www.youtube.com/watch?v=dEDh4oz1hTw&feature=player_embedded

◆動画3: イラク、戦争の前
http://www.youtube.com/watch?v=Iy4uDGJmMWE&feature=player_embedded

◆写真で見るイラク(戦争の前)
http://www.youtube.com/watch?v=OXIgkmYejJg&feature=player_embedded

女と子ども専用の秘密監獄

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☆★女と子ども専用のイラクの秘密監獄
Secret Iraq prison for women and children
クリスチャン・サイエンス・モニター 2010年5月26日付
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http://www.csmonitor.com/World/Middle-East/2010/0526/Witness-Secret-Iraq-prison-for-women-and-children

By Jane Arraf & Mohammed al-Dulaimy
May 26, 2010

 イラクのムサンナ陸軍基地は、女性と子どもを秘密収容所に収監している、とイラク人目撃者が証言した。その中には、アルカイダの容疑をかけられた者の家族もいて、自白を迫られているという。

 ムサンナ陸軍基地のどの収容所にも、子どもが一緒に収監されている気配はなさそうだ。しかし、イラク治安部隊のメンバーが話したところでは、5月半ばまでは、ここにある仮設の拘留施設で子どもが遊んでいるのを目にした、という。

 彼は幼児の泣き声とチバという3歳児のことを思い出しながら、「子どもたちが釈放されたのならよいが」と言った。「こんなこと自分の妻子には話せない」。

 ムサンナの施設は、基地内の別の収容所が閉鎖されたあと、何週間も運営されていたように思われる。閉鎖された収容所には400人以上が投獄され、拷問された者も何十人もいた。

 信頼できるといわれる目撃者は、自分と何人かの同僚はつかまった女性と子どもを見て悩んだ末に、危険をおかして西側諸国の出版関係者に話をした、と語った。彼は匿名を条件に話した。

 「女性とその子どもたちが拘束されている場所には、近づくことができない。女性の尊厳はイラク人の尊厳である」と彼は言う。

 少なくとも6人の女性と8人の子どもが収容されていて、そのなかにはイラクのアルカイダ指導者と見られている容疑者2人(オマル・アル・バグダーディとアブ・アユブ・アルマスリ)の妻が含まれている。その2人の女性は、夫が4月の空爆で殺されたとき、子どもと一緒に捕らえられた。

 国防省の広報担当官は当時、子どもが収容されていることを認めていた。もし母親が逮捕された場合は、3歳未満の子どもは同じ収容施設に居ることが許される。

 <妻を連れてこい>

 女性たちは容疑者の可能性があれば尋問されるが、そうでなければ夫から自白を引き出すために利用される。男たちに自白させるため、女性に恫喝が加えられることは、人権グループからしばしば報告がなされている事例である。

 「4日前、ある男が自白を拒否すると、彼ら(=尋問者/訳注)は妻を連れてこいと言った。彼らは妻を近くの部屋に入れて殴ったので、男には妻の悲鳴が聞こえた」という目撃証言がある。「彼らは男のところへ戻り、もし自白しなければ、今度は妻をレイプするぞ、と脅した」。

 イラク軍第6師団の第54旅団には、暫定的な拘留を行うための部隊が付設されていると言われる。その部隊はバグダッドで対ゲリラ作戦を主導してきたが、さらに全国的に展開している。この旅団の情報収集部隊に所属する尋問官は、尋問を行うに際しては、バグダッドの作戦司令部にある中央調査本部から指示を受けて女性を脅迫していると言われる。

 国防省の人権担当官と司法省は、この問題へのコメントを控えた。

 彼もその同僚も、国際的な人権団体が収容所を訪問するのを見たことがないという。あるとき、人権省の職員がその旅団の収容所を訪問し、ある収容者が消えたことについて尋ねたが、釈放するように言われたと回答があった。

 証言者は、イラク軍は米軍と共同の作戦本部を設置しているが、イラク兵は米軍に拷問には目をつむるよう求めている、と言った。

 彼は、鉄の棒に手錠でつながれたり、電線のつながった黒い頭巾をかぶせられて電気ショックを加えられていたり、容疑者が拷問されているのを4例目撃したと語った。最後に見たのは今年4月だった。

 「私はこうした拷問を見たとき、自分に自問自答したよ。サダムの時と何が違うんだ? もし自分がこんな拷問を受けたら、拷問をやめさせるたには何でも<白状>するだろう」。

2010年5月23日日曜日

殺人がクルドのイメージを汚す

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☆★殺人がクルドのイメージを汚す
Killing Taints Iraqi Kurdistan's Image
ニューヨーク・タイムズ 2010年5月20日付
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http://www.nytimes.com/2010/05/19/world/middleeast/19iraq.html?pagewanted=print

By SAM DAGHER

 スレイマニヤ発 -- イラクのクルド人記者と人権弁護人は、若いジャーナリストが拷問・殺害されたことに抗議し、安全と民主主義を自慢してきたクルド地域において、言論の自由がひどく制限されていることを物語る、と訴えた。

 その反応は冷たかった。殺人に抗議して先週行われたデモの途中、大手のある雑誌編集者の携帯にメッセージの言葉が届いた。その編集者が読んだメッセージには、「お前を犬のように殺してやる」と書かれていた。

 今月初め、ジャーナリストのザルダシト・オスマン(23歳)が、取締りの厳重なアルビル(クルド地方の首都)で誘拐され、その後、西に50マイル離れたモスル市近くの路上で、頭部に2発の銃弾を撃ちこまれて死んでいるのが発見された。

 彼の友人たちは、彼の書いた痛烈な批判記事がクルド自治区を長年支配してきた2大政党を怒らしたのだ、と確信している。特にそのうちの1つは、クルド地方大統領マスード・バルザニの娘と結婚して、貧しい生活環境から抜け出せないものかと空想するものだった。

 今では、彼の死は表現の自由の限界を教えたものとなり、ジャーナリストが自分の生命をかけて発表することをめぐって激しい議論を呼び起こしている。多くの者が、イラクのこの一角に本物の民主主義があるのか疑問を抱いている。過去7年間に国内の他地域では多発したのに、暴力と治安の不安定は語られないで、事業と投資の楽園だと見なされていた。

 クルドの中立紙『アウィーネ』の編集長アソス・ハルディは、「2つの勢力の間の抗争だ」と指摘した。「1つは民主主義と開かれた社会を信念に掲げる陣営で、もう一つは家族・政党・全体主義的な心情を守ろうとうする陣営である」。

 ハルディ氏と彼の同僚は、クルドの著名な記者や知識人の一部と同様に、オスマンの事件に焦点を当てようと決心している。彼らはテレビやラジオでの討論をはじめ、抗議や記事でキャンペーンを開始し、「私たちは沈黙しない」と呼びかけた。

 そのキャンペーンは、クルド地方のジャーナリストに困難を強いることになった。彼らは日常的に嫌がらせを受け、脅迫され、逮捕され、そして統治権力を持つ政党に忠誠を誓った治安部隊から攻撃を受けている。

 バルザニを含む高官たちは、ジャーナリストを起訴する資料を作ってきた。2つの支配政党に批判的な記者と、野党勢力につながりを持つ者は、しばしば裏切り者とか外国政府の代理人というレッテルを貼られてきた。支配政党は、数え切れないテレビ局と新聞を発足させて中立の報道機関をたちいかなくさせ、また高額の給与や臨時収入で記者を買収したりしている。

 しかし、イラクの他の地域と違って、ジャーナリストが殺されることは稀(マレ)であったし、越えてはいけない一線がどこにあるのかという議論も多くあった。

 クルド地域で最初の中立紙『ハウラチ』の編集長カマル・ラウーフは、オスマン記者は地域の支配関係とバルザニ及びバルザニ一家について、痛烈で不敬な記事を書いたために、その1線を越えたのだ、と語った。

 別のクルド人記者も、2年前、同じような1線を越えた。調査報道を得意としたソラン・ママ・ハマは、キルクーク市内のクルド人支配地において、両親の家の外で2008年7月に殺された。クルド高官が売春組織とつながっていた疑惑について書いた後だった。

 スレイマニヤに拠点を置いているアメリカ人学者デニス・ナタリによると、「越えてはならない1線」には、クルドの支配者2人バルザニ氏とジャラル・タラバニの家族への批判も含まれるという。タラバニはイラク大統領という形式的なポストに就いている。

 クルド地域の報道に関する法律は、表現の自由を保障しているが、「宗教的な信念やシンボルを侮辱」し、「憎悪と確執」をあおり、一般市民の私生活を侵害する記者には制裁を科している。

 クルド地方政府の当局者は、地域内には何百というメディア取次機関があるが、「名誉の殺人」を当然視するほど保守的で部族社会に深く根ざしたなかでは、ジャーナリズムとしての基本的標準にかなっているものはわずかしかないと語った。彼はオスマンの死を正当化していると見られたくないという理由から、匿名を条件に話したが、「ほんとにエゲツナイ状況だ」と述べた。

 クルド人作家バクティヤル・アリは、アルオスマン殺害について感情のこめた記事のなかで、権力を持つ者が設定した許容範囲は、彼らの利益にかなうように書き換えが続けられるだろう、と警告した。

 アリは自分のウェブサイトに掲載した記事のなかで、「ザルダシトを殺した者は私たちのなかにいる」と書いた。「彼らは別のところで、別の誰かを、また殺すのだろう」。

 ハウラティは特に挑戦的なコラムを先週書き、「私もバルザニの息子に恋している」というタイトルをつけた。

 女性のコラム作家アリャン・ウミードは、「このコラムの筆者も死に値するのだろうか、それとも、名誉も尊厳も傷つけるものではない以上、わが国では通常の作品なのだろうか」と書いた。

2010年5月22日土曜日

イラク3分割案--クルドが踏み絵迫る

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☆★イラク3分割案--クルドが踏み絵迫る
Dividing Iraq
アルジャジーラ 2010年5月14日付
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http://english.aljazeera.net/programmes/insideiraq/2010/05/201051385530402985.html

◆最近行ったクルド人指導者マスード・バルザニのインタビュー
 (動画あり)

 イラクのクルド地域を支配するマスード・バルザニは、最近のインタビューにおいて、どの連立パートナーであれ、産油都市キルクークに関するクルドの主張と、クルドの軍事組織ペシュメルガ(要するに民兵/訳注)の役割を受け入れることが必要になる、と語った。

 バルザニが宣言したことは、安定を求めるイラクの希望は国を3つに分割することにかかっている、というものであった。

 彼はバグダッドを連邦の首都とすることを提案した。クルドの指導者はさらに、強力な統一国家という話はすべて夢物語であると付け加えた。

 イラク分割という構想は、多くのイラク人からだけでなく、トルコ、シリア、サウジ、イランといった近隣諸国からも拒否されるようだ。

 今週、私たちはバルザニの声明の背後に何があるのか、将来バグダッド(連邦政府)とアルビル(クルド政府)の間に紛争が見込まれるのか、について討論する。

 番組参加者は、モハンマド・イッサン(クルド地域政府の代理人)、フィリドゥン・ヒルミ(クルド問題アナリスト)。

アラウィは第一党だが後手に回る

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☆★アラウィは第一党だが後手に回る
Allawi ahead, but falls behind
アジア・タイムズ 2010年5月20日付
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http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/LE20Ak01.html

May 20, 2010
By Sami Moubayed

 ダマスカス発--3月のイラク総選挙において、一部再集計においても、最高裁決定においてもアラウィ元首相が勝利したものの、彼が次期首相になるという保証は何もない。

 また月曜日(17日)には、バース党との結びつきを理由に失格とされた9人の当選者も、再審理によって当選を宣告された。そのうち7議席はアラウィのイラキーヤ陣営だったために、これでイラキーヤ陣営は国民議会に91議席を確保し、最大会派となった。

 マリキの法治国家連合は不幸なことに89議席にとどまり、現職であるマリキ首相とその支持者は、選挙の不正を申し立て、票の数え直しを求めたのだった。そしてマリキは、バース党関係者の失格宣言を企んだ政府機関を督励したのだった。

 しかし法廷がアラウィの明確な勝利を宣言したことは、司法が中央行政府からの独立性と中立性を示したものと評価された。他方、再集計は選挙委員会の株を押し上げた。マリキは法治国家連合が首都で過半数を制したはずだと主張したが、数え直しの結果は最初の数字とほぼ同じものであった。

 マリキが属するシーア派社会においてさえ、マリキへの祝福は期待されてなかった。シーア派聖職者であるサドルは、マリキがブッシュ政府と親密になったとき彼と仲違いした。

 それでもマリキはあきらめなかった。彼はシーア派の宗教政党であるINA(イラク国民合意)と連携することで自分の立場を誇示した。INAとマリキの会派が連合することで、国民議会の過半数である163議席に4議席足りないだけになった。

 イラクの選挙法では、議会の最大会派が新政府樹立の提案を主導することになっている。現時点では、議会の最大会派は選挙で第1党になったアラウィではなく、選挙では2番手だった現職のマリキとなった。

 INAは過去にマリキと口論したにもかかわらず、両者が共有する共通の地盤を失うことはなかった。INAの宗教的なルーツは、INAであれマリキであれアラウィとも共通するもので、サドルもまた主要メンバーである。アラウィ自身は元バース党員で世俗主義者であり、宗教勢力が政府を掌握することを憂慮している。

 INAとマリキ周辺は、どちらも、テヘランにならって、神権政治のミニ政体をバグダッドに築きたいと熱望している。両者とも、スンニ派社会と和解するうえで、サダム・フセイン政権を生み出したスンニ派に貸しがある。彼らは2003年のフセイン政権崩壊まで何十年もフセインとたたかったのだ。新しい連合会派はイランの影響を深く受けており、フセイン政権の30年間、イランが彼らに資金提供したうえ、安全地帯を提供していた。クリストファ・ヒル米国大使は、この連合を「シーア派巨大政党」と呼んだ。

 この権力バランスのせいで、アラウィが首相になれない可能性がでてきた。アラウィは国民議会選挙で最多議席をとったものの、主要な政治勢力が彼を承認しなければ、政府を形成することはできないだろう。

 もし影響力の大きい政治家が野党側に転じる決意をしたら、それはアラウィにとって地獄となり、彼を引きずり下ろそうとして暴動やデモが展開されるだろう。もっと悪い展開だと、彼らは主要都市の街頭に惨状を生み出すだめに自派の民兵を使うこともありうる。

 スンニ派教徒はアラウィを拒否しないし、世俗主義を拒否することもないが、マリキの運命と一蓮托生の保守的シーア派は、アラウィ首班の内閣には参加を拒否するだろう。またアラウィがためらうことなく、イラク国内へのイランの影響拡大を抑制しようとするなら、イランもアラウィの仕切る政府を承認しないだろう。

 色とりどりのイラクの政治家たちは、皆マリキに近い人物だが、3月の選挙のあとに、テヘランに招待された。アラウィはイランから招待されず、その替わりにダマスカス(シリアの首都)とリヤドを訪問して、自分の立場を鮮明にした。

 バグダッドには国民の意志だけがあるのではない。重なりあったり対立したりする利益の数々が何層にもあり、それが次期首相の任免を左右している。国民が望んでいること以上に、イラン、サウジ、シリア、アメリカがイラクに何を求めるかにかかっている。

2010年5月19日水曜日

報道の自由をめぐり外国特派員がクルドに苦言

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☆★報道の自由をめぐり外国特派員がクルド政府に苦言
Foreign reporters rap Kurdish authorities over press freedom
Zawya/AFP  2010年5月16日付
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http://www.zawya.com/story.cfm/sidANA20100516T175748ZSHF96

By Shwan Mohammed

 スレイマニヤ発、5月16日(AFP)
 イラクのクルド地域から長年報道してしてきた外国の特派員記者18人は、5月16日、クルお人記者の仕事環境が悪化していることについて、クルド地域政府を厳しく非難した。

 彼らは、クルド自治区のマスード・バルザニ大統領とイラクのジャラル・タラバニ大統領(クルド人)に宛てた公開書簡の中で、クルド自治政府を批判した若いジャーナリストが今月初めに暗殺された事件が未解決であることを指摘した。

 独立系のクルドの新聞『アウィーネ』に掲載された公開書簡には、「イラクのクルド地域から長年報道してきた記者として、私たちはクルド人記者が自由に報道しコメントする権利が目に見えて悪化していることに懸念を抱いている」と書かれていた。

 公開書簡は、既に処刑された為政者サダム・フセインをひきあいに出して、「クルド人の記者仲間に連帯し、クルドの友人であるという立場から、私たちは貴職に皆さんが長年反抗した政権の抑圧政策をまねることのないよう要請する」と述べた。

 「あなた方が山中に隠れたり亡命したりしたとき、お二人とも私たちに、新しい国では、報道への抑圧を含めて自由の濫用に終止符を打つつもりだ語っていた。」

 「今日、貴職に書簡を届けた私たち(の立場)は、反対勢力ではなく友人として、また貴職が権力を奪おうとしていた時期に貴方の言葉を信じていた特派員として、さらにクルド人の自由について言及したかつての貴職の言葉を慎んで思い浮かべているジャーナリストとして、である。」

 この公開書簡に署名した者のなかには、長年BBCの特派員をしているジム・マイアー、元ガーディアン紙記者デービッド・ハースト、米国人ジャーナリストであるジム・ホーグランド、ジョナサン・ランダル、クイル・ローレンス、チャールズ・グラス、フランス人記者ジェラルド・チャリアンド、クリス・クッチェラー、マーク・クラベツなどがいる。

 署名者たちは、「イラクのクルド地区で活動していたフリー・ジャーナリストのなかで最も新しい犠牲者」として、今月暗殺されたサルダシト・オスマンの死に言及した。

 22歳のオスマンは、雑誌『アシティナミ』(クルド語で平和を求める手紙)の記者をしており、英語とクルド語の翻訳家でもあった。彼の遺体は、5月4日に大学構内から誘拐されたあと、24時間たって発見された。

 オスマンが最も強い非難をおこなった記事の一つは、「マスード・バルザニの娘に恋している」というタイトルで、『クルディスタン・ポスト』に掲載された。これはロマン的な夢に言寄せて、いわゆるクルド指導部の汚職を批判したものである。

 「私がバルザニの婿養子となるときには、婚礼の夜はパリで迎え、それから叔父の宮殿に訪問して数日間はアメリカに滞在するだろう」と彼は書いた。

 「貧しいアルビルの住宅地とおさらばして美しい街に移住し、夜はアメリカじこみの警察犬とイスラエルの警備員に護衛される」と彼は書き、バルザニの裕福な生活スタイルと普通のクルド人の生活を挑発的に対比したのだ。

 10月に出版された『報道の自由2009』では、国境なき記者団はイラクを175ヶ国のなかで145番目に報道の自由がない国だと位置づけた。

 また、先月発行されたジャーナリストを守る委員会の2010年の目録によると、記者が殺害されるという問題では、イラクは世界中の国のなかで最悪の記録を有している。

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 訳注)Zawya: 中東及び北アフリカのビジネス界むけに、事業・投資・金融関係の情報を提供する。ドバイに本社を置き、レバノン、クウェート、マレーシア、シンガポールで販売されている。

2010年5月18日火曜日

再集計でもイラキーヤ勝利--マリキは時間稼ぎ成果

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☆★再集計でもイラキーヤの勝利確認--マリキは時間稼ぎで成果
Iraq Recount Affirms Win for Sunni-Backed Bloc
ABC News -AP-  2010年5月16日付
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http://abcnews.go.com/International/wireStory?id=10658841

By SAMEER N. YACOUB Associated Press Writer
BAGHDAD May 16, 2010 (AP)

 イラクの選挙委員会は16日、シーア派教徒である首相が不正を申し立てたために一部を数えなおした結果、3月に行われた選挙でスンニ派が支持した勢力(=イラキーヤ/訳者補足)が勝利したことを確認した。

 結果はマリキ首相の敗北で、彼は小差ながら第2党となった。しかし別のシーア派会派と連携したことで、彼にはもう4年権力の座を維持する可能性が出てきた。

 選挙委員会の広報担当であるカシム・アル・アバウディは、バグダッドの得票の再集計結果が発表されたあと、「すべての政治勢力が、選挙は公正に行われ、不正と詐欺の申し立てを取り下げることを受け入れてほしい」と記者会見で語った。

 アル・アバウディは、「法律に従って、各会派と候補者は選挙結果に異議を申し立てることができるが、そうする者がいないことを願う」と言った。

 得票の再集計や選挙結果への異議申し立てによって、国民議会の新たな325議席の確定がなされず、不満分子が政治的空白につけこんだり、政治的口論の期間が長引いてテロが相次ぐことが危惧されている。

 バグダッド在住のアナリストであるハジ・ジャロは、再集計を要求したマリキの狙いは、当選議席数を変えることではなく、この機会に乗じて、アラウィをだしぬき権力の座にとどまるためにシーア派連合と取引することだった、と指摘した。

 「マリキはINA(サドル派などシーア派の宗教勢力/訳注)との連携を強めるために、もっと時間を稼いで、アラウィを脇に追いやり、アラウィが他の会派と連携する動きを封じ込めたいのだ」と、ジャロは言う。

 マリキの法治国家連合は選挙に負け、世俗主義者のアラウィ率いるイラキーヤが91議席を獲得したのに対し、89議席にとどまった。しかし両会派とも政府樹立に求められる163議席(過半数)に達しなかった。

 バグダッド州に割り当てられた議席数は多いので、最終得票数に大きな変化があれば、マリキに都合のよい結果になりかねないものだった。

 マリキの願いは潰えたものの、アラウィに次期政権を担うことを委ねたのでもない。マリキは現在、再集計が始まった2週間前より、もっと良い位置にいるとアピールする。

 彼の会派は、別のシーア派会派、すなわちイランの後押しを受けたINA(イラク国民合意)と取引した。2会派の連携で、過半数に2議席足りないだけになっている。

マリキが権力の座に近づく

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☆★マリキが権力の座に近づく
Iraq's Maliki edges nearer power
AFP 2010年5月15日付
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http://news.yahoo.com/s/afp/20100515/wl_mideast_afp/iraqpolitics_20100515194636

by Hassan Abdul Zahra Hassan Abdul Zahra
Sat May 15, 3:46 pm ET

ナジャフ (イラク)発 --シーア派の最高権威がマリキの現職続投を妨げるつもりはないと発言したことで、イラクのマリキ首相は権力の座にとどまる方向へ大きな一歩を獲得した。

 イランに滞在中のモクタダ・サドルの代弁者は、AFPの取材に、サドル運動は逮捕されている自派のメンバーが釈放されるなら、マリキ首相が続投を模索することに反対しない、と語った。

 2ヶ月前に投票された総選挙でマリキが敗北したあと、サドルはマリキが首相の座にとどまることに反対し、彼の側近たちも声明のなかでマリキに強い批判を向けていた。

 しかし両者の協議が行われたあと、5月15日に出された声明は、マリキにチャンスを与えることに力を貸し、その障害となっているハードルを取り除くものだった。

 すなわち、サドル運動のスポークスマンであるサレハ・アル・オバイディが、聖地ナジャフでAFPに、「もしマリキがわれわれの懸案事項、とりわけサドル信奉者の逮捕をやめると確かに保証するなら、その時はわれわれも彼が2期目に名乗りをあげることに邪魔はしない」と語ったのだ。

 しかし彼は、約束が守られない場合への警告も忘れなかった。

 マリキの法治国家連合も加わって最近発足したシーア派連合にサドル運動も参加しているが、シーア派聖職者のグループは2008年に武装武門であるマフディ軍への攻撃を承認したマリキに嫌悪感を抱いてきた。

 サドル運動の姿勢の変化は、マリキの顧問であるアリ・ムサウィから、「連立与党の形成にむけて他の政治勢力とも合意する道を開くものだ」と歓迎された。

 ムサウィは、正式に犯罪行為で起訴されたサドルは運動員の事件にマリキが干渉することはできないが、「無実なのに逮捕されている者はできる限りすみやかに釈放されるよう・・・委員会が発足している」と述べた。

 (以下、略)

2010年5月13日木曜日

イラクでテロ続発、背後に政治家の思惑

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☆★テロの背後に政治家がいる、イラク治安部隊員が指摘
Iraqi security forces say politicians were behind Iraq attacks
クリスチャン・サイエンス・モニター 2010年5月11日付
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http://www.csmonitor.com/World/Middle-East/2010/0511/Iraqi-security-forces-say-politicians-were-behind-Iraq-attacks

By Jane Arraf, Correspondent / May 11, 2010
The Christian Science Monitor

Baghdad

 5月11日、治安悪化の恐怖をもたらした一連のテロのために、イラクの治安部隊も一般市民も崖っぷちに立たされ、政府は連立与党の形成にかまけて市民を保護することができてないという非難が高まった。

 11日のテロで100人以上が死亡し、イラクでは今年最悪の日となったが、イラク政府の高官たちは事件をアルカイダの犯行と決めつけた。

 アメリカ国務省は、これらの事件はイラク国民が政府と治安部隊に寄せている信頼を傷つけるものだ、と非難した。しかし、事件は治安部隊に対するイラク国民の信頼を失わせたばかりでなく、イラク政府に対する治安部隊の信頼をも失わせたようだ。

 多くのイラク国民が、警官と兵士も含めて、テロ事件の背後に自国の政治家がいると考えている、という。

 攻撃を受けた検問所の現場近くにいた警官は、「治安対策の悪いイメージを広めたくないので、悪く言うことはできないが、正直なところ、治安は良くない」と語った。「これは権力争いなんだ。気づいてない者は1人もいない。国民は誰もがその事態を目にして理解することができる。私は今回の事件は政府のせいだと思う」。

 ◆選挙から2ヶ月、再集計でイラクは泥沼に

 総選挙から2ヶ月以上が過ぎて、イラクはまだマリキ首相が要求した再集計の泥沼のなかにある。マリキ率いる法治国家連合は、その最大のライバルで世俗主義を掲げるイラキーヤ陣営より、2議席少なかった。マリキは別のシーア派会派と連立を組むにしろ、イラキーヤへの投票者が多かったスンニ派教徒と手を組む方策を模索しなければならない。

 「特定の政党を糾弾することはできないが、どの政党も今の情勢を利用して、やりたいことをやっている」とある警官は語った。彼は本名が出ると拘束されたり懲罰を受けるのが恐くて、アマルと呼ぶように求めた。

 ◆一連の事件で治安部隊が狙われる

 ヒッラ市とバスラ市というシーア派の多い都市で、犠牲者が最多となる事件が起こった。このテロ事件はシーア派住民を狙ったもので、宗派主義の抗争を再現させようといているようだ。

 バグダッドの南方にあるヒッラでは、2台の自動車爆弾が繊維工場の外で爆発し、50人以上が死亡した。2年前に治安部隊がシーア派民兵を一掃してからは、安全な都市の一つと見られていたバスラでは、市場で3件の爆弾事件があり、30人以上が死亡した。

 しかし、検問所に対する未明の連続攻撃があったのはバグダッドで、この事件では治安部隊が計画的に狙われた。市内6ヶ所の検問所で、同時刻に、消音器を付けたマシンガンを持った男たちが、近距離から7人の警官を射殺した。

 ある襲撃現場近くにいた警官は、どの襲撃事件もアルカイダらしい痕跡がない、と証言した。

2010年5月11日火曜日

クルド指導者を茶化した記者が拷問・射殺される

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☆★指導者を茶化したクルド人記者が拷問・射殺
Kurdish writer tortured and shot in the head for mocking leaders
Global Newsroom 2010年5月6日付
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http://www.unfreemedia.com/mideast/2010/05/kurdish-writer-tortured-and-shot-in-the-head-for-mocking-leaders.html

By Leonard Doyle on May 6, 2010

 イラクのクルド自治区の首都であるアルビルで、クルド人記者が誘拐されたが、拷問されたあと、頭部に2発の銃弾を撃ちこまれて幹線道路に捨てられているのが発見された。

ザルダシト・オスマン(25歳)は、クルド地域の2大政党を傷つけたとして殺された。その政党には有力者バルザニの氏族が含まれている。オスマンは大学生で、インターネットで仮名を使うフリーランスの記者だった。

 彼が書いた痛烈な文章には、「私はバルザニの娘に恋している」と書かれていたが、それはクルド自治区大統領であるマスード・バルザニの娘の名前を口にするという、タブーを犯す行為だった。オスマンはバルザニの娘の一人と結婚できないかと大きな声をあげていた。

 目撃者の話によると、英語・英文学を専攻していたオスマンは、物理的な暴行を受ける前に、銃を持った正体不明の男たちによって、大学の正門前で誘拐され、ナンバーを隠した白色のバン(現代自動車)に連れ込まれた。

 オスマンの友人と家族は、クルド人政党に支配されるペシュメルガ(民兵組織の名前/訳注)または治安部隊の犯行だと非難した。

 ペシュメルガのアブドル・ハミドは、モスルの警官の証言だと、「遺体のポケットに大学の記章が入っていた」という。

 「遺体は手足を縛られており、口の中で発砲される前に、ひどい拷問を受けていた」と彼は言った。

 クルド地区ではジャーナリストの殺害は珍しい事件で、ここでは役所の仕事は事業を推進し、石油と天然ガスの投資を増やすことだと考えられていて、アメリカ人を含めて数千人の外国人が生活している。

 その1人であるピーター・ガルブレイスは、アフガニスタンで米国人ナンバー2の職務にあった人物で、この地域に大きな石油利権を持っている。

 今回のジャーナリスト殺人事件は、治安部隊の犯行とされている。殺された記者は、政権の座にある2大政党のもとで汚職がはびこっている構図を批判していた。

 75人のクルド人ジャーナリスト、編集者、知識人が署名した5月6日発表の声明文には、「この犯行は1人の人物や小さなグループにできる範囲を超えている」と書かれていた。

 「私たちはクルド地域政府と治安部隊にまず責任があると考えるもので、ついで、彼らは今回の悪行を摘発するためにあらゆることをすべきである。」

 ニューヨークタイムズが掲載したアルビル発の記事によると、オスマンは4日朝、サラハッディン大学芸術学部正門の向かい側に降りたあと、すぐに男たちから白いミニバスで連行された。彼は6月に英語の学位をとって大学を卒業することになっていた。

 サルダル・オスマンは、弟はファイン・アーツ・センター前から連れ去られたが、そこには常時ペシュメルガの熟練兵士6人以上が警備に配置されていた。学生たちは、オスマンが連行されたあと、センター長が現れて路上に散乱したオスマンの本とノートを拾っていた、と報告した。

 家族は5日になって、オスマンの遺体がモスル市にあるクルド愛国同盟の事務所前に捨てられている、と電話で知らせを受けた。アルビルからは50マイルの距離にある。オスマンは4月に、「1週間以内にアルビルを出て行かないと殺されるぞ」と電話で脅迫されていた。

 彼は2年間近く、スウェーデンに本部を置く『クルディスタン・ポスト』に、サロ・ザルダシトの仮名で記事を書いていた。『クルディスタン・ポスト』は、クルドの2大政党とその指導者に対しても、痛烈な批判記事を書くことで知られている。

 オスマンはさらに、5ヶ月前から、『サマル・ポスト』というアルビルを拠点にする雑誌に書き始め、スレイマニアを拠点にする中立系の新聞『ハウラチ』にも何本かの記事を載せていた。

 これまでもクルドのジャーナリストは、治安部隊によって嫌がらせを受けたり、脅迫されたり、物理的に痛めつけられてきた。クルド・ジャーナリスト協会によると、そのようなテロ行為は昨年だけでも357件あった。

2010年5月8日土曜日

新シーア派同盟はメイド・イン・イラン

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☆★新シーア派同盟はメイド・イン・イラン
Iraqiya: Shia alliance made in Iran
アルジャジーラ 2010年5月5日付
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http://english.aljazeera.net//news/middleeast/2010/05/201055161551418941.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

Aljazeera.net
May 5, 2010

 3月7日の国民議会選挙で最多議席を獲得したイラキーヤは、シーア派を基盤とした2つの会派が同盟したのは「イランの指揮のもと」での宗派至上主義の動きだ、と主張した。

 イラキーヤの広報担当ハイダル・アル・ムッラーはアルジャジーラの取材に、「この同盟が結成され発表された経過には、イランの指紋が鮮明に残っている」と語った。

 アヤド・アラウィ元首相に率いられスンニ派の支持を得たイラキーヤは、現職のマリキ首相が権力の座に執着して、イラク国民に負担を負わせている、と非難した。

 ムッラーは、「われわれは決して宗派主義の政府に参加することはない。イラク国民は、その過半数がわれわれの会派に投票した時点で、宗派至上主義を拒否したのであり、われわれの会派にはあらゆるイラクの党派、宗教、民族、宗派が含まれている」と語った。

 法治国家連合・の共同創設者であるハリド・アル・アサディは、その主張に反論し、「実際には、われわれの会派を宗派主義と言いつのる者こそ宗派主義者だ」とアルジャジーラに述べた。

 「われわれはこうした非難を宗派主義者の挑発だと受け止めている。われわれはイラクに文明国家をうち建てる愛国者である」。

 ◆シスタニの最終判断

 両会派の合意協定は、勢力間の論争が生じれば、アリ・アル・シスタニ(シーア派聖職者のなかで最高位にあるイラン生まれでイラク在住の聖職者)が最終判断を下すだろう、と規定している。

 カーネギー財団で中東プログラムの理事長を務めるマリナ・オットウェイ女史は、このような動きを不幸なことだと表現した。

 「イラクの政党でありながら、最終判断を議員以外の人物に委ねるというのは不幸なことだ。シスタニは議員に選出されてないし、選挙に立候補もしてない」と彼女は指摘した。

 「特にイラキーヤほか他のイラクの諸政党にとっては、これはひじょうに危険な動きだ。スンニ派教徒は、シスタニに最終判断を委ねるような政府を、受け入れないだろう。他方、クルドはすべてに目をつむるかもしれない。なぜなら、スンニ派教徒が参加しないなら、大統領ポストはまたクルドに回ってくるだろうから。」

 イラク国内のシーア派2大会派が5月4日に交わした協定は、最多議席を獲得したが議会の過半数には満たない世俗主義のイラキーヤを脇にやることで合意した。

 ◆主導権をめぐる駆け引き

 誰が首相になるかについての協議がシーア派の政党間ですすめられてる、とアル・アサディがアルジャジーラに語った。

 しかし、マリキが首相続投に固執しないことを法治国家連合が受け入れるまで、合意が日の目を見ることはない、と、広く考えられている。

 アル・アサディは、「マリキ氏は判断を会派の指導部に委ねた。すぐにも首相候補を選出する確かな方法があり、誰もがそれを尊重するだろう」と述べた。

 アメリカはこれに直ぐには反応しなかったが、先週、アメリカはイラクの政治家たちに、小異を捨てて、国を治める連立与党づくりを急ぐように要求した。

 新しいシーア派連合会派は国民議会の過半数163議席に4議席足りないが、それでも与党になる可能性はある。

 暫定的な選挙結果では、国民議会325議席のうち、法治国家連合が89議席、シーア派の宗教勢力であるINAが70議席を獲得した。イラク北部の自治区を支配してきた2大政党の連合会派であるクルド同盟は43議席を確保し、前記2大勢力が違いを乗り越えるなら、その連立に参加するだろうと前に述べたことがある。

 しかし、選挙委員会がバグダッドの得票を再集計しており、最終獲得議席は変わるかもしれない。バグダッドは70の議席定数を擁し、選挙のカギを握る州である。

 さらに9人の候補者が当選が有効かどうか裁定を待っている。そのうちの1人はイラキーヤに所属しており、既に失格を言い渡された。


http://www.uruknet.info/?p=65692

これはシーア派の首相選出委員会なのか?

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☆★これはシーア派の首相選出委員会なのか?
Is This the PM Committee of the New Shiite Bloc?
Gulf Analysis/Posted by Reidar Visser 2010年5月6日付
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http://gulfanalysis.wordpress.com/2010/05/06/is-this-the-pm-committee-of-the-new-shiite-bloc/

 最近イラクの報道機関に回覧されている観のあるこのニュースは、真偽のほどは確かでないが、イランの報道機関IRIBによって今も作られている。その基本的内容は、10人で構成される委員会が、全シーア派を網羅する新会派(既に結成された)のために、首相候補の選出作業をすすめている、というものだ。それは10人の指導者のうち8人の同意で決定され、ヌーリ・マリキ、バヤン・ジャバル・ソラ、アデル・アブダル・マフディ、イブラヒム・ある・ジャファリの中から選ばれるだろうと見られている。

 もしそれが本当なら、この話でもっと興味深いことは、首相選出に関与する委員会の構成であろう。それは次のようになっている。

1.タリク・ナジュム(ダーワ党)
2.アリ・アル・アディブ(ダーワ党)
3.アブダル・ハリム・アル・ズハイリ(ダーワ党)
4.ハサン・アル・スナイド(ダーワ党)
5.フダイル・アル・フザイ(ダーワ党/タンジム)
6.アハマド・チャラビ(INC)
7.フマム・ハムド(ISCI)
8.ファラハ・アル・ファイヤド(イスラー/ジャファリ)
9.クサイ・アル・スハイル(サドル派)
10.ハサン・アル・シャマリ(ファディラ)

 新シーア派会派の25%を占めるサドル派はひどく過小評価され、その一方でチャラビとジャファリが過大評価されている。ダーワ党は数は多いが、ここに名前が出たほぼ全員がダーワ党がINAに合流することを求めており、昨年8月マリキがその方向を拒否したことに怒っていた。

 もっとも、これまでのところ、上述のニュースがISCI(イラク・イスラム最高評議会)の報道機関であるブラサやフォラトなどで報じられていないことも、付け加えておくべきだろう。新会派結成への祝辞を表明する時間がなかったわけではなかろう。

 首相候補として挙げられた名簿も少々時代遅れのようだし、サドル派が行った人気投票で支持率が低かったソラとマフディを、ISCIがまだ引き立てるというもの少し変だ。

 さらに言えば、今日のイラクには流言が飛び交っており、シーア派の新会派についても信憑性がさまざまに疑われている。「イラクの統一」(会派名/訳注)がまだ法治国家連合およびイラキーヤとの連携を模索しているとか、また親INAのコメンテーターがマリキ首相にイラキーヤと交渉したというウワサについて返答を求めてるという流言もある。

2010年5月6日木曜日

バドル旅団の暗殺部隊

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☆★バドル旅団の暗殺部隊
Death Squads of the Badr Brigade
The Mesopotamian /Hussein Anwarのブログ 2010年5月2日付
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http://nebuchadnezzar-ii.blogspot.com/2010/05/death-squads-of-badr-brigade.html

May 2, 2010

 この情報は、イラクの適切な人々の監修のもとに、みずからも困難な状況にありながら収集された。

 ◆バドル旅団とマフディ軍の指導体制

 1.モハンマド・アリ・ハッサン・アッバス・アルハッサニ(通称アブ・アハメド)が、ムサンナ州におけるバドル旅団暗殺部隊の分隊指揮官である。

 2.バドル旅団のメンバーであるハフィズ・アブドル・ジャリルは中等学校を中退し、8歳の時にイランの諜報機関でスパイ活動に参加した。何十人ものイラク人(ペルシャ人の末裔)がイランに逃亡した1991年の事件に参加し、戦争の後にバドル旅団のメンバーとしてイラクに来た。(原注/彼は現在バビロン州知事)

 3.サドル・シティーのハッジ・アル・カイム55街区にあるモスクで導師となっているラスーン・ハッサン・サアディは、マフディ軍のなかで粛正および殺害を担当するグループを率いている。

 4.サドル・シティー29街区に住むハッサン・サリムは軍の将校であり、現在はマフディ軍に属するグループを率いて、同じ地区にある学校で拷問と処刑を担当している。

 5.ヒクマ・モスクの導師であるナジ・アブドアイタンは、マフディ軍の指導的人物で、サドル・シティー住民でもあり、同モスク内で粛正と拷問を担当するグループを率いている。

 6.ナジャフ出身のハッサン・アブド・アイタンは、イランの諜報機関に協力した罪で追放された家族の一員だったが、中佐にとりたてられてバドル旅団と一緒に仕事をしている。彼は占領後にイラクに来て、現在はナジャフの副知事として、ナジャフのバドル旅団を指揮している。またバグダッドにおける暗殺を担当しており、彼のグループは多くのイラク人を殺害し、ついにはバース党ナジャフ支部の指導的人物であるモハメド・カバア、アブ・サビンを殺害した。

 7.モハメド・サビト・アッ・サアディは、ナジャフにあるシーア派の学校ハウザの学生だが、現在はバグダッドに住み、マフディ軍のために働き、暗殺と誘拐を担当するグループを率いている。ヒズボラのイラク支部として知られるイランの諜報機関から指令を受けている。

 8.モハメド・アル・ハイダリはイラン人の末裔でモスクの導師をしている。彼とその家族は追放され、80になってイランの諜報機関のために働くようになった。イラン国内で仕事をしたあと、占領後にイラクに来て、バドル旅団とともにバグダッドで最初に暗殺部隊を編成し、イラン諜報機関に奉仕した。バグダッドに来て最初の数ヶ月は、カラダ地区にある元印紙局を処刑と尋問の仕事場にし、バース党員や自衛に参加する者、旧軍の将校などの殺害命令を出した。彼のグループはバグダッドほかの州で数百の作戦を遂行しており、イラクにおいてこれまでで最もきわだった暗殺部隊のリーダーである。

 ◆暗殺部隊アル・ラサファ分隊

 バドル旅団のメンバーであるフセイン・カセム・シャヒール・アル・イタビは、フダリヤ地区の住人で、2003年よりも前にバグダッドでロケット弾を発射した事件に関与して、イランに逃亡していた。イランの諜報機関のメンバーとなっていたが、任務を受けてマフディ軍の指導的人物となった。現在は以下の地域で活動するマフディ軍の指揮官である。ラサファ、フダイリヤ、カマリヤ、ラアサ、オバイデイ、フサイニヤ、ウールファッリ。

 フダリヤ地区の出身で甥にあたるフアイ・シャヒール・アル・イタビという名の学生を手下にして、前のイラク当局(=フセイン政権)から指名手配されていたナラズ者であり、占領後に第3の人物ジュマア・アルハムラニと一緒にバグダッドに帰ってきた。

 これらの者たちは、アマル・アル・ハキムやハヂ・アル・アミリからの支援を得て、上述の人物らとも直接的な連携をとっており、アダミヤ地区にあるシーア派のブラサ・モスクを拠点にするジャラルディン・アル・サギルから指令が出ている。ここに屯’たむろ)する者の一部はグリーンゾーンにも出入りし、イラク調和戦線、国民対話戦線の国民議会議員、イラクの諜報機関幹部らの判断もあおいでいる。このグループがバグダッドでは最大勢力である。

 中核となるグループは、内務省の作戦室長モハメド・ジュマ・アル・シャラシュと連携を取っていて、彼がバドル旅団の司令官(大将)、バシル・ナシル・アロンディがバドル旅団の副官で内務局担当の内務副大臣、アハメド・アル・ハファジがバスラ担当の内務副大臣。彼らは内務省および国家警護隊、緊急展開部隊の幹部のなかに大勢の手下を持っており、彼らの犯罪を隠すためにジャラルディン・アルサギルから多額の金銭を受けとっている。その人数は何百人にのぼると見られ、それぞれの司令部はすべて、フダリヤ、オバイディ、ジャミーラ、タリク、シャマイヤ、革命広場に集中している。

 これらのグループのなかに、マジド・ハミド・アル・アサディ(イランの諜報機関で働いていたアブ・ムスタファ・アル・シェイバニの従兄弟)に指揮されるグループがあり、米軍に指名手配されている。彼は元々バスラの出身で、父親はバスラ警察の総監だった。1991年のバスラでの事件に参加したため、バスラからバグダッドへ逃亡した。

 彼は今、アル・シャブ地区とサドルシティーの郊外数カ所を活動範囲にして、幾つかのグループは従兄弟であるアブ・ムウタファの弟に指揮を任せている。

 この殺人グループは、彼の義兄弟が指揮をとっており、彼はモハメド・アル・ムサウィと呼ばれる教師で、ルサファ地区の教育長をしている。彼らは配下に内務省のメンバー、国家警護隊のメンバーを抱えており、彼ら自身のために働く特殊部隊員もいる。彼らがバグダッドの街頭で最も多くの誘拐と殺人を遂行した下手人である。

 カルク・グループはナイル・ムサウィ陣営のマフディ軍指揮官に率いられているが、彼らの仕事を支援し監督している人物こそ、現在のバグダッド州知事(フセイン・アル・バグダーディまたはアブ・ハナ)である。彼はバドル旅団の指導的人物の1人であり、イラン諜報機関のメンバーでもある。

 バドル旅団に配置されたアル・ハキムの側近は、士官学校手下に通ったこともない部下を士官に昇進させている。

 アブドル・アジズ・アル・ハキムは、資格や経歴もない部下を士官に昇進させ、内務省と国防省の編成に当たらせたうえ、自らも所属する宗派主義政党のメンバーを大佐クラスの階級に抜擢し、内務省や軍、あるいは諸州の国家警護隊の幹部に配置した。

 またフセイン・アル・サリ内務相とダーワ党の配下にあったヒズボラ運動とバドル旅団は、次のような行為も行っている。

 1.米軍に押収されたり捜索されりすることを恐れ、また不測の事態に備えるために、それぞれの司令部と重要文書をナジャフ州とワシト州に移した。

 2.自派のメンバーがイランとイラクの間を自由に行き来することができるように、マイサン州のイラン国境に配置された警察と軍の部隊を掌握している。それはまた、仲間が米軍に指名手配されたら簡単に密出国できるようにし、イランの諜報機関から受けとった証拠物件が発覚いたときには亡命できるようにするためである。

 3.アル・ハキムは、秘密司令部の存在と、これまで3ヶ所が発見されたことを強調した。

 a) ディカル、ワシト、マイサンの3州にまたがる三角地帯はサイド・シャンディ司令部と呼ばれ、それ統括している人物はアブダマド・ムハイミード・アッ・ダラジという名のバドル旅団の指導的人物である。彼はバドル旅団の高級幹部であり、大佐の階級を与えられ、現在はマイサン州の軍の司令官である。

※訳者補足: イラクの詳細地図
http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/DetailedMap_of_Iraq.html


 b) ディカル地区は、アリ・フセイン・ジャズと呼ばれるヒズボラのメンバーと、タリア党のマフディ・ジャッバル・アル・アクダウィらが統括しており、彼らの司令部はナシリヤにあって、多数の大型兵器庫があると言われている。

 c) ナジャフ州では、指揮官はアブダルフセイン・アブタンと呼ばれ、ナジャフ州のバドル旅団の指導的人物だが、イランの諜報機関で中佐の地位にあって、占領後にイラクに来たペルシャ人の末裔である。

イラキーヤ広報担当: 首相府から死の脅迫文が届いた

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☆★イラキーヤ広報担当: 首相府から死の脅迫が届いた
Iraqiya Spokesman:
I Received A Death Threat from the Prime Minister's Office
アッシャルクル・アウサト 2010年5月2日付
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http://www.aawsat.com/english/news.asp?section=1&id=20802

Baghdad, Asharq Al-Awsat

 バグダッド発 -- イラキーヤの広報担当ハイダル・アル・ムッラーによると、イラクの次期政府編成をめぐるバグダッドの政争は、大っぴらな死の脅迫が届けられる事態にまで至った。彼はイラク首相ヌーリ・マリキの事務所から直接、死の脅迫の受けとったと言う。

 ムッラーはアッシャルクル・アウサトの取材に、午後10時、マリキ首相が率いるダーワ党の高官から電話があり、マリキ首相によるコメントに対してイラキーヤ陣営が発表した声明とコメントには、どんな背景があるのかと詰問された、と話した。ムッラーによると、ダーワ党の高官は、「君たちはなぜ緊張を高めるのか?」とも問いただされたという。

 ムッラーは続けて語った--その電話のあと1時間ばかりして、マリキ事務所の幹部が電話して来て、彼をののしった。その人物を彼は知っていて、その電話の前にもその人物と彼は電話で話していた。ムッラーの話によると、その幹部は次のように言った。「これはマリキから君宛のメッセージだ。君がイラクに戻ってくると、われわれは君の首と足を切り落とすぞ」と。

 電話を受けたとき、ムッラーはイラクの国外にいた。ムッラーはアッシャルクル・アウサトの取材に、自分はその幹部に来週の帰国予定を教えたので、彼は好きなようにうればよい、と語った。

 ムッラーはアッシャルクル・アウサトに、この電話の内容をイラキーヤの会合で知らされ録音したこと、その会議にはイラキーヤ会派のの主要メンバーが出席していたことを確認した。彼はその録音記録を裁判所に提出し、マリキを法廷に引っ張り出すつもりだと語った。

 アッシャルクル・アウサトは、マリキ首相のコメントを入手しようと試みたが、この記事が印刷にまわされた時点で、返答はいっさい返ってきてない。

2010年5月5日水曜日

マフディ軍が活動再開/秘密監獄は・・・

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☆★マフディ軍が活動再開
The return of the Mahdi Militia
The Mesopotamian /Hussein Anwarのブログ 2010年5月1日付
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http://nebuchadnezzar-ii.blogspot.com/2010/05/return-of-mahdi-militia.html

May 1, 2010

 この記事はアラビア語から英語に翻訳したものである。

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 ムクタダ・サドルが昨日、モスクに来る礼拝者を守るために、自分の民兵組織であるマフディ軍の活動再開を呼びかけたことで、イラクは再び宗派抗争の様相を呈してきた。それはバグダッドにあるシーア派のフセイニヤ・モスクが攻撃され、何十人もの死傷者が出たためだが、治安当局はこの事件を指導者を殺害されたアルカイダの報復だと見ている。

 バグダッドではモスクを狙って6台の自動車爆弾事件が発生し、死者57人、負傷者117人以上の犠牲者が出た。イラクのある治安当局者は、人々を混乱させ宗派間の内戦という雰囲気を作りだすために、次にはスンニ派のモスクが狙われることもありうると警告した。

 サドル・シティーは2台の自動車爆弾で攻撃され、1台はサドル事務所の近く、もう1台はモスクの近くだった。また市場内で発生した爆弾事件では、39人が死亡し、56人が負傷した。このほかザッファラニヤ(バグダッドの南部)、フリヤー地区(バグダッドの西部)、アミーン(バグダッドの東部)でも爆発があり、20人が死亡、50人が負傷した。

 バグダッドの作戦運用室で広報を担当するカシム・アッタは、「金曜日に攻撃した意味は明らかだろう」と語った。彼は攻撃の背後にある狙いについて、宗派間抗争の雰囲気をかもしだすためだと見なし、イラクTVに、「次の攻撃目標はスンニ派のモスクじゃないか」と警告した。

 アッタなど治安当局者と政治家たちは、爆弾事件はアルカイダを攻撃し指導者を殺したことへの、アルカイダ側からの反撃だ、と説明した。

 そのためサドルは、金曜礼拝においてモスクを守るようマフディ軍に指示したが、これは2007年に民兵組織が凍結されて以降、初めて民兵を復活させる公式声明だと見られる。

 爆発事件の数時間前、アル・ハヤト紙の質問に対してサドルの代理人サラハ・アル・オバイディは、サドル運動は「テロがよみがえることはない」と、民兵の復活を心配しているバスラ市民に約束する、と答えていた。

 しかし爆発事件の後には、オバイディは、サドルがマフディ軍にモスク防衛とサドル派の事務所を守るよう指示したことを説明した。サドル運動の指導的人物であるハジム・アラジは、マフディ軍の活動凍結は、国家が役割を果たす機会を提供するものだったが、国は安定を実現することができないようだと指摘し、それがモスク防衛をマフディ軍に指示した理由だと語った。


 また、イラク政府高官はロイター通信に、「当局は秘密監獄を閉鎖したが、そこには400人以上が収監され、ほとんどがスンニ派教徒で、裁判にもかけられることなかった。当局は監獄を管理していたイラク軍の担当将校3人を逮捕した。秘密監獄を管理していた部隊は、マリキ事務所から直接命令を受けていたが、マリキの側近は秘密監獄の存在などを知らされず、連絡もとってなかった」と語った。

 その一方で、人権省の報道官カメル・アミンは、「3人の将校が尋問と拘留を受け持っていたが、最大の問題は、秘密監獄が閉鎖されて今では過去の問題となったことだ」と語った。秘密監獄の閉鎖は、選挙のあとも首相ポストにとどまるためにマリキが苦闘している微妙な次期に決定された。

 秘密監獄が明らかになった時、人権省も調査のために担当幹部を派遣したが、収容されていた人々は、そこで虐待されたり家族とも会えなかったこと、法の支援も受けられなかったことを訴えた。アミンの話では、収容所には431人が拘束されていたが、そのうち100人が釈放され、残りのメンバーは司法省が管理する監獄に移送されたという。軍の高官は、監獄に収容されていた者全員に逮捕状が出ていた、と反論した。


http://www.uruknet.info/?p=65577

イラク民間人の死者数が4月に入って急増

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☆★イラク民間人の死者数が4月に入って急増
Iraq civilian death toll rises sharply in April
ロイター AlertNet 2010年5月1日付
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http://www.alertnet.org/thenews/newsdesk/LDE64000U.htm

 バグダッド発、5月1日(ロイター)

 イラクにおける戦闘ないしテロによる民間人死者数は4月に入って前の突きより急激に増えた。明確な勝者が生まれなかった選挙のあと、不穏分子が政治的緊張につけこもうとしているのかもしれない。

 政府が5月1日に発表した数字によると、爆弾事件その他の攻撃による民間人の死亡者総数は、3月の216人、2月の211人に比べて、4月は274人に増えた。この数字は2006年から2007年にかけての全面的な「宗派抗争」ほどではないものの、死亡者数は増えているといえる。

 世俗派のアラウィ元首相に率いられたスンニ派の支持する会派イラキーヤは、次期政府を樹立する機会を奪おうとする企みがテロ頻発の事態になっている、と警告した。

 シーア派のマリキ首相が率いる連合会派は、バグダッドの投票を数え直させることに成功し、再集計は3日に始まるが、選挙結果を変える可能性もある。

 シーア派主導の他の勢力は、バース党との結びつきを口実にして、当選した候補者の資格剥奪を策動している。対象に挙げられたほとんどがアラウィの率いるイラキーヤに所属している。

 内務省・国防省・保健省が発表した死亡者の月例統計によると、正規警官39人、兵士15人、不穏分子48人が4月に入って殺された。警官の死亡者数は、それ以前の月よりかなり減った。

 不穏分子による攻撃で先月目立った例は、バグダッド市内のシーア派居住地を狙った一連の自動車爆弾で、4月23日に市民56人が死亡した。

 連携した事件の可能性がある4月6日の爆破事件では、7つのビルが破壊され、市民35人が死亡した。外国大使館を狙った自動車による自爆事件では、その2日前に41人の死者が出た。

2010年5月1日土曜日

イラクの「秘密監獄」で恐ろしい拷問を受けた

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☆★イラクの「秘密監獄」で恐ろしい拷問を受けた
Iraq 'secret prison' inmates allege horrific torture
BBC 2010年4月28日
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http://news.bbc.co.uk/2/hi/8649528.stm

By Gabriel Gatehouse
BBC News, Baghdad

 バグダッドの秘密監獄に罪名も告げられないまま何ヶ月間も投獄された人々は、その期間、電気ショックや強姦などを含むゾッとする拷問を受けていた。

 その監獄にはイギリス人1人もまだ収監中だが、彼もこの虐待を告発したうちの1人である。

 BBCはその監獄に収容されたことのある人物に取材したが、彼は監獄内での組織的な虐待の映像を持っていて、アメリカに本部を置く人権監視グループによる報告で詳細が明かされた。

 ムサンナ空港にあったこの秘密監獄は、今は閉鎖されている。

 軍の兵舎を装った廊下と監房は空っぽになっている。

 しかし、4月の初めまでは、イギリス国籍をあわせ持つ男性1人を含めて、400人以上の囚人が野蛮きわまりない虐待を何ヶ月も受けていた。

 1人の男はBBCに、「奴らがナイロン袋を私たちの頭にかぶせ、窒息させようとしたのが最初だった」と話した。「その後は、私たちの全身に水をかけておいて、電気ショックの拷問をおこなった」。

 彼は昨年9月からムサンナ監獄に投獄されていたが、3月に秘密監獄の存在が明るみに出たあと釈放された。

 この男性は、報復を恐れて素性を明かすことを望まなかったが、BBCが取材した多くの人々と同じように、彼が受けた虐待も人権監視グループが行った報告をほとんど同じだった。

 「囚人の中には杖や金属パイプで犯されたものもいて、あそこに電気を流された者もいる。奴らは、もし私たちが自白しないなら、母親や妹も連れてきて、お前の目の前でレイプするぞ、と脅した」。

 秘密監獄に投獄されていたうち、300人以上がバグダッド市内の別の監獄に移され、虐待もやんで処遇は比較的改善されたようだ。

 そのなかにイギリスとイラクの二重国籍を持つ68歳の男がいて、彼は昨年、息子を捜しにイラクにやってきたと語った。

 人権監視グループが聞いた話では、彼は2009年12月に逮捕されてムサンナ監獄に収容され、虐待を受けることになった。

 彼は糖尿病患者で車イスに乗っており、医者の治療を受ける必要があった。

 バグダッドの英国大使館は、イギリスとイラクの国籍を持つ人物がバグダッドで投獄されていることを知って、大使館職員を面会に行かせていた。

 イラク政府は、秘密監獄が設置されているとか、国内の監獄で虐待が蔓延しているという話を、強く否定してきていた。

 法治国家連合から次期国民議会議員に当選したサアド・ユーシフ・アル・モッタリビは、「これが制度的なものでないことを保証する」と言った。「収容者を虐待する個別の事例はある。幾つかの報告もあがってきている。いかなるレベルでも、見逃すことのないケースだ」。

 だが人権監視グループは、ムサンナ監獄で行われていた虐待は、「日課となって、組織的に行われていた」と証言した。調査員のサミル・ムスカティは、「これは標準的に行われていたもので、尋問官が情報を得るために使う手段だった」と語った。

 彼は今週初め、ムサンナ監獄に収容されていた40人以上の人々と話をした。

 「私たちが会った者は誰もが同じ場所で同じ体験をしていた。つまり一つのパターンになっていたようだ」。ムスカティは収容者が法律で守られていないと指摘する。

 「政府の人間もその存在を知らないのだから、秘密監獄だったはずだ。家族さえどこに収容されているのか手がかりがなく、収容された者は法律に頼ることも、司法の裁きを受けることもない」。

 サダム・フセインの時代には、イラクの監獄には拷問部屋があると言われたものだが、今日では、サダムが失脚して7年もたつのに、虐待と拷問がまだ続いているようだ。

イラク政府の秘密監獄はアブグレイブより悪い

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☆★イラク政府の秘密監獄はアブグレイブより悪い
Secret Iraqi government prison was 'worse than Abu Ghraib'
ワールド・ニュース 2010年4月29日
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http://article.wn.com/view/2010/04/29/Secret_Iraqi_government_prison_was_worse_than_Abu_Ghraib_c/



 上記タイトルと関連するビデオ映像を紹介しているページ。

からい政府と外国企業の石油協定は無効

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☆★バース党及び聖戦と解放の最高司令部が外国企業に警告
  --傀儡イラク政府と契約する外国企業に告げる
The Baath Leadership and JLNSF warns the foreign companies
which deals with the puppet Iraqi government
アル・バスラ・ネット 2010年4月10日付
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http://www.albasrah.net/pages/mod.php?mod=art&lapage=../en_articles_2010/0410/ba3th_130410.htm

 イラク傀儡(かいらい)政府との間で結んだ石油協定は無効である。

 バース党ならびに<聖戦と解放と国民救済戦線=JLNSF>の最高司令部は本日(2010年3月25日)、イラクで操業している石油企業に対して強い警告を発するとともに、彼らが傀儡イラク政府との間で調印した協定は占領体制が崩壊するのに伴って崩壊するものと確認する。またJLNSFはこれらの企業が属する諸国に対しても、アメリカによるイラク占領の陰謀にまぎれてイラクの資源を略奪することをやめ、危険きわまりないリスクとひきかえにイラク国民に対してのみならず自国の利益にも背く恐ろしい犯罪を犯すことがないように、と警告した。

 その声明の全文を以下に紹介する。

 わが偉大なイラク人民の息子と娘たちよ!
 わが輝かしい国の息子と娘たちよ!
 勇敢な聖戦の戦士たちよ!

 アメリカの占領者とその同盟者は、占領よりも優先して、まさしく侵略の初日から、軍・民双方の統治者を使って、そして後には占領下のバグダッドに自分たちが連れてきた最悪のギャングどもを使って、イラクの天然資源を略奪してきた。

 この由々しい謀略は、米・英占領軍と同盟諸国の間で戦利品と影響力を共有するために、イラク侵略と占領の一環として遂行されている--今、あらゆる徴候がそのことを物語っている。

 この危険な陰謀によると、米・英占領軍はイランの手先をイラク国内に解き放ち、イランの覇権拡張と宗派主義の差別政策を推進させ、人口構成を変えてアラブ的なるものを消滅させてきた(占領者たちはテロリストでもあるスパイ組織とその代理人および手先をバグダッドの支配者および民兵として送り込んだ)。そうして彼らを愛国的なイラク・レジスタンスと戦わせ、イラク国内におけるアラブ的要素を一掃し、イラクを弱体化させ、国民を分断し、アメリカとイギリスのギャングたちがイラクの豊かな資源、つまり天然ガスと石油を掌握しようとした。
 
 米・英の武装ギャングがイラクの天然資源を奪ったことは、占領目的としては2番目で、目的の1番はイスラエルを保護し、イスラエルの安全保障と膨張政策を保証することである。彼らが経済部門とりわけ石油部門に、イラン出身の代理人を犯罪履歴まで取り消してまで配置した理由は、ここにある。石油の国有化は、イラク国民が何十年もかけて、バース党の指導とサダム・フセインおよびその勇敢な同志に率いられた革命によって、1972年に達成したものである。

 そのうえ、イランの代理人を使って油田を西側企業に売り渡したことで、占領者たちはイラクを石油国有化以前の時代に後戻りさせた。それは間違いなく、イラクの国民的利益に反しており、多国籍企業にイラクの経済を支配する主導権を与えるものである。

 国際法は、占領国が被占領国の石油資源を略奪することを許していないように、占領国が被占領国の法的・政治的・経済的な現状を変更することを許しておらず、したがって法的根拠のない政府との間に調印され、法的権限のない占領によって課せられたこの石油協定は無効である。

 占領当局は奪ったイラクの石油の分け前を、アメリカ企業と同盟国イギリス及び仲間である西側諸国の企業に与えていて、その実際を隠すために劇的な手法を採用し、イラク石油省を支配するイランの手先に指図して、占領を受け入れず侵略に反対した旧イラクの友好国(例えばマレーシア、中国、ロシア)の企業にはわずかな残り物を与えることにした。

 バース党指導部、愛国的民族的イスラム戦線、<聖戦と解放と国民救済戦線=JLNSF>最高司令部は、上記の諸国及び他のいかなる友好国に対しても、アメリカにつきしたがってイラクの富を略奪することをやめ、イラク国民に対してのみならず、自らの利益にも反する重大な過誤に関与することをやめるよう要請する。

 イラク国民運動は、武装レジスタンスはもとより政治、法律、学会、部族を基盤とした傘下の構成団体、そして愛国的政党や委員会など、占領に反対しているすべての勢力とともに、一致してこのような協定と談合を拒絶する。

 バース党とJLNSFは、非合法の傀儡政府との間に締結された契約は無効であり、占領者を追放してイラクを解放したあとには、イラクの愛国レジスタンスによって樹立された愛国的な正統政府がすべての契約を認めないことを宣言する。なぜなら、その協定に調印した勢力が崩壊することに伴って、協定そのものも崩壊するはずである。傀儡政府は、その保護者である占領者アメリカが追放された途端に、その地位にとどまることはできなくなるのだ。

 バース党とJLNSF最高司令部は、これらの企業の所業をアメリカによるイラク占領の拡張と見なしており、したがって占領と占領目的および全ての邪悪な陰謀に反対し、イラク国民の富を守り擁護するために、愛国的イラク・レジスタンスを正当な目標として掲げる。

 バース党
 聖戦と解放と国民救済戦線(=JLNSF)最高司令部
 2010年3月25日

 英訳:アブー・アッシュール(Abu Assur)
 原文(アラビア語):
 http://www.albasrah.net/ar_articles_2010/0410/qyada_100410.htm

2010年4月27日火曜日

イラキーヤの当選者1人も失格に

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☆★3月の選挙で52人の代替え候補が失格に
Iraqi panel voids candidacies of 52 substitutes in March vote
ロサンゼルスタイムズ 2010年4月26日付
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http://www.latimes.com/news/custom/topofthetimes/topstories/la-fg-0427-iraq-election-20100427,0,1544902.story

 駐イラク米国大使はイラクの新政府樹立が遅れることに懸念
 イラキーヤの候補者1人もバース党と関係ありとして失格に

By Ned Parker, Los Angeles Times
April 26, 2010 | 4:54 p.m.

 当選した候補者のなかにバース党と関係ありとして失格者が出たことで、米国大使は懸念を表明した。

 バース党との関係を理由に3月7日の選挙から排除された候補者に、52人が新たに仲間入りした。

 投票の数日前になって、バース党との関係を審査していたイラクの公正監査委員会は、失格とされる可能性のある52人の代替え候補者の氏名を発表したが、イラクの選挙委員会はその審査を投票のあとで行うことにしていた。

 代替え候補者のうち、少なくとも1人、イブラヒム・ムトラクがイラキーヤの会派から国民議会議員に当選した。彼はスンニ派アラブ人の著名な政治家サレハ・ムトラクの兄弟で、(立候補を禁じられた兄弟の)代替え候補であった。イラキーヤは世俗主義者でシーア派教徒のアラウィ元首相が率いており、マリキ首相の率いる法治国家連合が89議席を獲得したことに対して、91議席を獲得し第1党になった。(訳注:第1党に組閣がゆだねられる)

 4月26日には新たに21人の候補者が資格停止となったが、そのなかにはイラキーヤからの当選者はいなかった。

 追加の資格停止が、国民議会選挙における各会派の当選議席数に影響を与えるかどうかは不明である。当選者のうち9人が、今後どのようになるか数日内に発表されることになっているが、そのほとんどはイラキーヤに所属していて、開票後になってバース党との関係を取りざたされている。

 各会派は、選挙委員会が先週になって指示した、バグダッド州の票の数え直しに注目している。再集計は、選挙の正統性と信用に関わる問題を投げかけている。

 他の州でも再集計を求める声があるが、国連とアメリカ大使館は組織的な不正の証拠はないとし、選挙を公正なものとみなしている。

 アラウィは自分の率いるイラキーヤの候補者が失格とされることとは闘うと約束し、トルコの首都アンカラで、「委員会の決定に異議を申し立てるよう弁護士に指示した」と語った。

2010年4月15日木曜日

「シーア派が新会派結成」という新しいウワサ

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☆★「シーア派が新会派結成」という新しいウワサ
The new rumor of a Shiite ruling coalition
Rords to Iraq (ブログ) 2010年4月14日付
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http://www.roadstoiraq.com/2010/04/14/the-new-rumor-of-a-shiite-ruling-coalition/

 まずはアル・サバハ紙が「グリーン・ゾーン」(占領当局&イラク政府)について書いた記事で、次のようなものである。

 「INA(イラク国民同盟)と法治国家連合の間で行われている交渉と近い位置にある政治家筋(複数)は、48時間以内に新しい与党会派について公式発表があるだろう、と明らかにした。」

 アル・クドス・アル・アラビーでは次のように報じられた。

 「INAに近い筋は、INAと法治国家連合の新たな連携が発表できるかどうかは、アマル・アル・ハキムによるサウジアラビア訪問の結果次第である。」

 シスタニ師のスポークスマンとベイルートにいるシスタニ師の代理人ハミド・アル・カファ氏は、シスタニ師はINAと法治国家による新たな連合会派結成には何ら関わっていない、と急ぎ発表した。

 実のところ、どうなっているのか?

 このブログで前にも書いたように、ジャファリとチャラビは独自の方針を持っており、上記のようなINAの新たな連携を模索しているが、サドル派の同意を得たわけではない(ジャファリもサドルもINAの主要な構成メンバー)。アラブ首長国連合のアル・イサド紙の報道を見てみよう。

 「(INAと法治国家の)協議に近い筋は、両会派の提携は2つの会派が1つに合流するとレベルにまでは至ってなく、合同して連合会派を結成するという発表もない。」

 この報道はさらにジャファリの役割についても明らかにしている。

 「ここ数日、イスラー運動の指導者イブラヒム・ジャファリは、イスラム最高評議会とダーワ党、イスラム党、クルド同盟による連立会派の結成を進めてきた。 アラウィが率いるイラキーヤの排除を望まない多くの陣営が反対を強めたことから、ジャファリの努力はまだ報われてなく、受け入れられたわけでもない。またイスラム党は、もはやイラクのスンニ派を代表するものと見られてない。」

 上の事情に加えて、マリキの首相指名をめぐるダーワ党とサドル派の不一致も、まだ存在する。アッ・シュメリアに掲載された2つの記事へのリンクを紹介しておこう。

 法治国家連合はまだマリキを首相候補に
 http://www.alsumaria.tv/ar/Iraq-News/1-47670-State-of-Law-endorses-Al-Maliki-as-Iraq-PM.html

 サドル派: 法治国家のマリキへの固執が彼らとINAの連携の障害
 http://www.alsumaria.tv/ar/Iraq-News/1-47705-.html

2010年4月13日火曜日

イランはスンニ派の政治参加を望む

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☆★イランはスンニ派の政治参加を望む
Iran Wants Sunnis in Iraqi Politics
ニューヨーク・タイムズ 2010年4月10日付
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http://www.nytimes.com/2010/04/11/world/middleeast/11iraq.html

By ROD NORDLAND
Published: April 10, 2010

 バグダッド発 -- イラクの政治に対する主要な政治ブローカー役を演じているイランは、4月10日、イラクの政治指導者たちに新政府にはスンニ派が含まれるよう呼びかけ、シーア派は来るべき事態に備えて彼らと連携しなければならないと語った。

 この声明はイラクに対するイラン政府の立ち位置を大きく転換させるものである。イラクの隣国でありシーア派の大国であるイランは、常に、シーア派が支配する連立政府を提唱し、行動としてもそれを後押ししてきた。

 何がこのイランの変化を促したのか、また。なぜ今なのかについては、即座には分からない。交渉はイラク国民議会の選挙から1ヶ月も暗礁に乗り上げているが、アラウィ元首相の勝利を現実主義的に容認したものにも見える。アラウィの陣営には、幾つかのスンニ派政党が含まれ、多様な候補者が議席を獲得することになった。これはまた、現首相からやや距離を置きつつあることを示してもいる。マリキ首相のイランとの関係はいつもスムーズだったわけではない。

 イランの立場の転換は、シーア派の合従連衡で政府を樹立しようとしてきたマリキの野望に、大きな打撃であったようだ。

 イランの駐イラク大使ハッサン・カジミ・コミは、当地での記者会見で新しい方針を発表したなかで、どのような連立政府になろうとアラウィの率いるれ連合会派イラキーヤが含まれなければならない。イラキーヤはスンニ派および世俗主義のイラク人から得票を集めたおかげで、3月7日の総選挙でわずかながら最多議席を獲得した。

 コミ大使は、イラキーヤが政治会談を開くためにイラン訪問を要請し、イラン政府はそれに「ドアは開いている」と答えた、と語った。アラウィは以前、政治的ライバルたちが新政府作りにイランの助けを求めて、選挙が終わりしだいイランを訪問することを批判していた。

 イラキーヤの広報担当ファタハ・アッ・シハイクは、イラキーヤが2日以内にラフィエ副首相を団長とする代表団をイランに派遣する、と確認した。

 シハイク氏は、「イラキーヤに対するイランの態度は、イラキーヤがイランにメッセージを送ってから変化した」と述べた。そのメッセージは、「イラクの領土が米軍のイラン攻撃に使われることはないと保証する」というものである。

 コミ大使は、「われわれは全ての勢力が参加することを支持するが、これはイラクの国内問題である。相談するだけで、それ以上ではない」と語った。

 彼はさらに、イラキーヤは明らかにスンニ派の代弁者だったと述べたうえで、明言はしなかったものの、イラキーヤはシーア派のグループとも連携しなければならないと暗示した。

 アメリカの駐イラク大使クリストファ・ヒルは、「政府はイラクで作られるだろう。隣国で作られることはない」と語った。

 スンニ派のハシミ副大統領は先週、イラン大使館を訪問して大使と会談した。ハシミ氏は会談の最後に、ほとんどの記者が退室したあとで、「われわれがイラキーヤのリストに入り、政府づくりに参画するのを手助けしてほしい」とコミ大使に言った。イラン大使はうなづいたが、返答はしなかった。

アラウィが早期イラク政府樹立に意欲

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☆★アラウィが早期イラク政府樹立に意欲
Allawi aims to quickly form Iraqi government
CNN 2010年4月7日
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http://edition.cnn.com/2010/WORLD/meast/04/07/iraq.elections.allawi/index.html

By Tom Evans, CNN
April 7, 2010 -- Updated 0433 GMT (1233 HKT)

 バグダッドで新たな爆発事件の波が起こっている4月6日、テロで数十人が死亡した数時間後に、アラウィ元首相は3月7日投票の総選挙に勝利を宣言したあと、すぐにも新政府を形成したいという希望を語った。

 「われわれは最高裁から公式に選挙結果が発表されるのを待っており、その時には、2ヶ月以内に政府を樹立したいと考えている・・・私は政府を・・・発足させたい」--アラウィはCNNのクリスチアン・アマンポー記者にこう話した。

 アラウィは、彼が率いるイラキーヤ陣営こそが、イラクの憲法のもとで、次期政府を形成する権利を有していると確信している、と述べた。イラキーヤは国民議会でライバル陣営にわずかながら2議席をリードしている。州ごとの選挙結果によると、イラキーヤは91議席で、マリキ首相の率いる法治国家連合は89議席を獲得した。

 「われわれは全国民的な統一政府を樹立することはできず、現政府がそうであったように澱んだものである。しかし、われわれは特にこの国の治安確保できる政府、そのために機能する政府を持つ必要がある」と彼は言った。

 彼のこのコメントは、選挙後の政治的真空状態が指摘されるなかで、イラクの治安が悪化し始めていることに関心が高まっているもとで発せられた。

 テロ分子は4月6日にバグダッドで7発以上の爆弾を破裂させ、30人以上を殺し、140人を負傷させた。

 アラウィは、「政治的に真空状態となるので、特に選挙の後にテロが起こることを予想していた。現在はまさに憲法が施行されていない状態だ」と言う。「実際、テロリストやテロに関係する集団は、イラク国民にダメージを与えるのに有利な状況と判断しているのだろう」。

 アラウィはまた、彼の陣営が選挙で勝利したことは、イラク国民が宗派主義にウンザリしていることを示すものだ、と述べた。

 「イラク国民は、世俗主義(政教分離)の国が専門家と有能な者による政府を持つことを望んでいる」と彼は指摘した。

 そして、アラウィの陣営はフセイン政権時の与党バース党の偽装組織だとする議論を否定して一蹴した。

 「バース党は・・・過去の物だ。もう終わっている。われわれは新時代に生きている」と彼は言った。

イラク総選挙の結果--州別・会派別議席

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☆★2010年、イラク総選挙の結果
2010 Iraq Elections Results -- FINAL RESULTS
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※中間発表は割と詳細が報道されていたが、それに比して、最終結果(選管発表)の詳細はなかなか出ない。マリキ首相と法治国家連合が最終発表に異議を唱えて、<確定したもの>と認められないからだろうか。前に紹介したように、ライラ・アンワルのブログに最終結果が英語で紹介されていたので、数字部分を以下のように訳出した。お急ぎでない方は、ホームページでご覧になる方が見やすいかと思います。 ↓ ↓
 http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/2010_ElectionsResults.html

◆獲得議席合計
 イラキーヤ 91 (Iraqiya、世俗派)
 法治国家  89 (State of Law)
 INA  71  (イラク国民同盟)

◆州ごとの獲得議席
バスラ州  24  INA7  イラキーヤ3  法治国家14
マイサン州 10  INA6  イラキーヤ0  法治国家4
ディカル州 18  INA9  イラキーヤ1  法治国家8
ムサンナ州 7  INA3  イラキーヤ0  法治国家4
カディシヤ州11  INA5  イラキーヤ2  法治国家4 
ナジャフ州 12  INA5  イラキーヤ0  法治国家7

サラハディン州12  INA8  イラキーヤ2  法治国家2
ワシト州  11  INA4  イラキーヤ2  法治国家5
カルバラ州 10  INA5  イラキーヤ1  法治国家4
バビル州  16  INA5  イラキーヤ3  法治国家8

アンバル州 14  INA0  イラキーヤ11  タワフク2  
         統一同盟1

ディヤラ州 13  INA3  イラキーヤ8  法治国家1 
              クルド同盟1

キルクーク州12  INA0  イラキーヤ6  法治国家0 
              クルド同盟6

ニネベ州  31  INA1  イラキーヤ20  タワフク1
         統一同盟1  クルド同盟8

スレイマニヤ州17 クルド同盟8 イスラム同盟2 変革6 ジャマアト1
アルビル州 14  クルド同盟10 イスラム同盟1 変革2 ジャマアト1

ダフーク州 10  クルド同盟9 イスラム同盟1

バグダッド 68  INA17  イラキーヤ24  法治国家26 タワフク1
特別議席  7  INA2  イラキーヤ2  法治国家2 クルド1

少数派  ヤジディ1 シャバク1 シャバイン1 クリスチャン1
     アッシリア2

2010年4月12日月曜日

イラク戦争帰還兵が証言: 私たちは市民を撃てと言われた・・・

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☆★イラク戦争帰還兵が証言:
  私たちは市民を撃てと言われた、上官がもみ消すからと
Iraq War Vet: "We Were Told to Just Shoot People, and the Officers Would Take Care of Us"
ダール・ジャマイルの中東速報 2010年4月7日付
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** Dahr Jamail's MidEast Dispatches **
** Visit Dahr Jamail's website http://dahrjamailiraq.com **

Wednesday 07 April 2010
by: Dahr Jamail, t r u t h o u t | Report
To read story with photo, click here

http://www.truthout.org/iraq-war-vet-we-were-told-just-shoot-people-and-officers-would-take-care-us58378



 4月5日(月曜日)、Wikileaks.org (ウィキリーク)がイラクからのビデオ映像をウェブに公開したが、それは2007年7月1日に米軍のアパッチ攻撃ヘリから撮影されたもので、同乗していた兵士が市民12人を殺し、子ども2人を負傷させたときのものだ。死亡者のなかにはロイター通信のスタッフ2人が含まれていた。写真家のナミール・ヌル・エルディーンと運転手のサイードである。

 米軍もビデオの信憑性を確認した。

 映像はいわれのない虐殺であることを明白に示しており、兵士たちの何気ない会話を聞きながらこれを見るのは、ショッキングである。

 イラクにおいて米兵によるこの種の行為は珍しいものではない。

 アメリカの占領軍によって無実のイラク人が虐殺されるという、同じようにゾッとする体験を見聞した兵士たちと、私は何度も話したことがある。

 米海兵隊のジェイソン・ワシュバーン伍長は、イラクに3度派遣されたが、「1人の女性が歩いていた姿を忘れられない」と話しだした。メリーランド州のシルバー・スプリングで、2008年3月13日から16日にかけて開かれた、<冬の兵士>の公聴会でのことである。「彼女は大きなバッグを持っていて、私たちの方へ向かっている来ているようだったので、MK19自動擲弾銃で彼女を撃ったが、ほこりが消えると、バッグには食料品が詰められていた。彼女は私たちに食べ物を差し入れようといていたのに、私たちは彼女を粉々に吹き飛ばしたのだった」。

 ※訳注..MK19 大型機関銃のように三脚に据え、40ミリの擲弾を毎分300発以上発射できる。厚さ5センチの装甲を貫通する威力で、対人・対装甲車両の両用に使用される。

 <冬の兵士>の公聴会は、占領体験の真相を米国内のメディアと共有するために、イラクとアフガニスタンからの帰還兵に演壇を提供するものだった。

 ワシュバーンは登壇者の1人として、イラクでの軍の交戦規定(ROE)について話し、実際には存在しないのと同じくらいに希薄になっている、と証言した。

 ワシュバーンの証言はさらに続いた。「私が3度派遣された間に、交戦規定は大きく変わった。危険性が高まるほど、私たちに許される模範的対応もヒドイものとなった。ウィンクしたり小突いたりして口裏を合わせてきた例をあげると、落とすための武器を持ち運んだり、3度目の派遣では落とすためのシャベルもあった。そんな武器やシャベルを持ち運ぶのは、もしウッカリして民間人を銃撃したら、死体の上にそれらの武器を置いて、彼らを反政府ゲリラのように見せかけるためだった。」

 陸軍の第82空挺師団に所属して1年間イラクで軍務についたハート・ビゲスは、無線で受けた命令について話した。

 「ある時は、敵がタクシーを使っているという理由から、すべてのタクシーを銃撃せよと命令された。狙撃兵の1人が聞き返した、「なんだって? それは本当か? 全部のタクシーを撃つのかい?」と。中佐からの返答は、「聞こえただろう。全部のタクシーを撃て」だった。その後、この町では全部隊が車に発砲した。これが私の体験した最初の戦争であり、派遣されている間は、ずっとそんな調子だった」。


 シリア国境に近いイラクのカイム地区に1年いた海兵隊のビンセント・エマヌエルは、敵を見分けようともせずに街中で弾倉がカラになるまで撃ったこと、死体の上を巡回車両で走ったこと、死体といっしょに「勝利」の記念撮影をしたこと、などを証言した。

 「イラクでよくやったことと言えば、走りすぎる車を蜂の巣にすることだった」と彼は言った。「これは特別なできごとではなく、8ヶ月の派遣期間に最もよくやったことだった」。


 <戦争に反対するイラク帰還兵>の責任者であるケリー・ダハティは、イラクに派遣された兵士の悪行はアメリカ政府の政策が原因だと非難した。

 「占領中になされた悪行は、<少数の腐ったリンゴ>による不始末どころではなく、わが政府の中東政策がもたらしたものであり、その政策はアメリカの政権中枢で作られた」と彼女は指摘した。

 マイケル・リデュークは海兵隊の伍長で、2004年11月の米軍によるファルージャ攻撃に参加した。彼らが市内に突入する前に、所属するJAG大隊の将校から受けとった命令は、次のようなものだった。「白旗を掲げる人物に遭遇したとして、彼がゆっくりと君たちに近づくだけで指図にも従っているとしても、それはワナだとみなして射殺せよ」。


 同じく海兵隊伍長だったブライアン・カスラーは、イラクに侵攻した時期、兵士たちがイラク人に対して流行のように行っていた非人間的行為を目撃したと言った。

 彼の証言は、「・・・車列が進むうち、海兵隊員がバッグに大便をしたり、ボトルに小便をし、それを道ばたにいる子どもたちに投げつけた」というものだった。


 2005年から翌6年までイラクに従軍したスコット・エウィングは、部隊がことさらにイラク人の子どもにキャンディーを投げたのは、「勝利者気分」と別に、もう一つの理由があったと認めた。

 「別の動機というのは、もし子どもたちが車両をとり囲めば、敵は攻撃できない。つまり子どもたちを人間の盾に使うんだ」とエウィングは説明した。

(本稿は長いので、続きは次のURLでご覧下さい)

http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/20100410_DahrJamail.html

2010年4月10日土曜日

WikiLeaksが公開したビデオ

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☆★WikiLeaksが公開したビデオ
米軍ヘリが記者を銃撃、当時の映像がネットで公開
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◆ビデオ完全版(英語)
Collateral Murder 殺人の裏付け
http://www.collateralmurder.com/



◆YouTubeで見る/聞く (解説=日本語の同時通訳あり)
http://www.youtube.com/watch?v=3HKQGZ-7VhA



◆米軍ヘリが記者を銃撃、当時の映像がネットで公開に
2010.04.06 Web posted at: 17:25 JST Updated - CNN
http://cnn.co.jp/usa/AIC201004060014.html



◆アルジャジーラの報道(英語)
 解説と当該ビデオ
 殺された記者の兄弟が米軍の批判(ビデオ)
http://english.aljazeera.net/news/middleeast/2010/04/20104782857326667.html

私たちは市民を撃てと言われた・・・

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☆★イラク戦争帰還兵が証言:
  私たちは市民を撃てと言われた、上官がもみ消すからと
Iraq War Vet: "We Were Told to Just Shoot People, and the Officers Would Take Care of Us"
ダール・ジャマイルの中東速報 2010年4月7日付
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Wednesday 07 April 2010
by: Dahr Jamail, t r u t h o u t | Report
To read story with photo, click here

 http://www.truthout.org/iraq-war-vet-we-were-told-just-shoot-people-and-officers-would-take-care-us58378

 4月5日(月曜日)、Wikileaks.org (ウィキリーク)がイラクからのビデオ映像をウェブに公開したが、それは2007年7月1日に米軍のアパッチ攻撃ヘリから撮影されたもので、同乗していた兵士が市民12人を殺し、子ども2人を負傷させたときのものだ。死亡者のなかにはロイター通信のスタッフ2人が含まれていた。写真家のナミール・ヌル・エルディーンと運転手のサイードである。

 米軍もビデオの信憑性を確認した。

 映像はいわれのない虐殺であることを明白に示しており、兵士たちの何気ない会話を聞きながらこれを見るのは、ショッキングである。

 イラクにおいて米兵によるこの種の行為は珍しいものではない。

 アメリカの占領軍によって無実のイラク人が虐殺されるという、同じようにゾッとする体験を見聞した兵士たちと、私は何度も話したことがある。

 米海兵隊のジェイソン・ワシュバーン伍長は、イラクに3度派遣されたが、「1人の女性が歩いていた姿を忘れられない」と話しだした。メリーランド州のシルバー・スプリングで、2008年3月13日から16日にかけて開かれた、<冬の兵士>の公聴会でのことである。「彼女は大きなバッグを持っていて、私たちの方へ向かっている来ているようだったので、MK19自動擲弾銃で彼女を撃ったが、ほこりが消えると、バッグには食料品が詰められていた。彼女は私たちに食べ物を差し入れようといていたのに、私たちは彼女を粉々に吹き飛ばしたのだった」。

 ※訳注..MK19 大型機関銃のように三脚に据え、40ミリの擲弾を毎分300発以上発射できる。厚さ5センチの装甲を貫通する威力で、対人・対装甲車両の両用に使用される。

 <冬の兵士>の公聴会は、占領体験の真相を米国内のメディアと共有するために、イラクとアフガニスタンからの帰還兵に演壇を提供するものだった。

 ワシュバーンは登壇者の1人として、イラクでの軍の交戦規定(ROE)について話し、実際には存在しないのと同じくらいに希薄になっている、と証言した。

 ワシュバーンの証言はさらに続いた。「私が3度派遣された間に、交戦規定は大きく変わった。危険性が高まるほど、私たちに許される模範的対応もヒドイものとなった。ウィンクしたり小突いたりして口裏を合わせてきた例をあげると、落とすための武器を持ち運んだり、3度目の派遣では落とすためのシャベルもあった。そんな武器やシャベルを持ち運ぶのは、もしウッカリして民間人を銃撃したら、死体の上にそれらの武器を置いて、彼らを反政府ゲリラのように見せかけるためだった。」

 陸軍の第82空挺師団に所属して1年間イラクで軍務についたハート・ビゲスは、無線で受けた命令について話した。

 「ある時は、敵がタクシーを使っているという理由から、すべてのタクシーを銃撃せよと命令された。狙撃兵の1人が聞き返した、「なんだって? それは本当か? 全部のタクシーを撃つのかい?」と。中佐からの返答は、「聞こえただろう。全部のタクシーを撃て」だった。その後、この町では全部隊が車に発砲した。これが私の体験した最初の戦争であり、派遣されている間は、ずっとそんな調子だった」。

 シリア国境に近いイラクのカイム地区に1年いた海兵隊のビンセント・エマヌエルは、敵を見分けようともせずに街中で弾倉がカラになるまで撃ったこと、死体の上を巡回車両で走ったこと、死体といっしょに「勝利」の記念撮影をいたこと、などを証言した。

 「イラクでよくやったことと言えば、走りすぎる車を蜂の巣にすることだった」と彼は言った。「これは特別なできごとではなく、8ヶ月の派遣期間に最もよくやったことだった」。

 
(つづく)

2010年4月7日水曜日

軍服を着た武装集団が村人24人を殺害

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☆★軍服を着た武装集団が村人24人を殺害
  --バグダッド南部のスンニ派居住地で
Gunmen in military garb kill at least 24 in Sunni area south of Baghdad
ワシントンポスト 2010年4月4日付
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http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/04/03/AR2010040300823.html?wpisrc=nl_cuzhead

By Leila Fadel and Jinan Hussein
Sunday, April 4, 2010

 バグダッド発 -- イラク治安部隊と米軍兵士の身なりをした武装グループが、家から家へと移動しながら、銃撃いたりノドを切ったりして住民24人以上を殺害した。当局者と住民が4月3日(土曜日)に証言した。

 1時間ばかり続いた事件の犠牲者には女性と子どもも含まれていたが、最も多かったのはスンニ派の準軍事組織である覚醒会議のメンバーだった。彼らは米軍と手を組んでゲリラと戦い、「イラクの息子」の呼び名で知られている。

 今回の殺人は、2006年と2007年にイラクを内戦状態にひきずりこんだ宗派主義の暗殺事件のあと、最も野蛮な事件といえるだろう。米軍はイラクの都市でのパトロールを行っておらず、今回の殺人事件は、シーア派政府に不信感を抱きながらも米軍と行動を共にしたスンニ派アラブ人の部族に、見捨てられた感情を抱かせることにもなった。

 アメリカ軍は昨年末、「イラクの息子」の指揮権をシーア派主導の政府に移譲した。

 イラクの捜査当局と住民は、バグダッド南部で起きた殺人事件は反目した部族に復讐しようとスンニ派ゲリラが実行した、と考えている。しかしそれとは違って、今回の殺人事件は、かつてスンニ派住民を殺害するために「暗殺チーム」を編成したシーア派によって実行されたもので、先月の総選挙でスンニ派が見せつけた政治的影響力に対して、彼らが背後から襲いかかろうと狙っているとする見方もある。

 アメリカ軍は夏以降、イラクの諸都市から引き揚げたが、かつて反政府ゲリラの拠点であったバグダッド郊外の農村地域には、少数だが部隊を駐留させている。現在、米軍が入手するテロ関係の情報の多くは、イラク軍の指揮官を経由したものとなっている。

 部族の長をつとめるアダイ・ジュブーリは、「アメリカ軍はこの地域での活動を支援した人々を見捨てたが、その結果はどうなったか? その人々は今、殺されたり逮捕されたりしているのに、誰も彼らを保護してくれない」と話した。

 米軍は今回の事件を非難したものの、事件をイラク軍と関連づけることには疑問を呈した。

 バグダッドの米国大使館広報官フィリップ・フレインは、「事件を正当化できるものは何もない。イラクの警察と司法当局には本件を徹底的に調べ、犯人を裁くようう要請する」と語った。

 事件の始まりは、4月2日の朝、バグダッドの真南にある農村ホッラジャブに武装グループがやって来たことに始まり、彼らは民家に隠れて暗くなるのを待った。

 部族の長であるジュブーリの話では、その家に近づく住民に中から男たちが英語で「あっちに行け」と叫ぶ声が聞こえたあと、アメリカ兵がその辺りにいた、というウワサが広がっている。

 事件の公式報告とは異なるが、地元住民は殺人は2日午後8時頃から始まったという。村人や犠牲者の親族の者は、イラク連邦警察が運転する小型トラックのような車に乗って、武装した男たちがやってきた、と話した。

 別の村人の証言では、歩いてやってきた男たちが、民家で男性1人と女性1人を殺し、その家に夜まで隠れていたという。彼らはその後、覚醒会議のメンバーであるシャキル・ハミドの家に向かったといわれる。ジュブーリは、武装グループは女性と子どもを1室に集め、男5人は屋上に連れて行ってノドを切り殺した、と語った。その後、彼らはトラックを盗みだして、次の目標にむかった。別の民家2軒でも16人が殺された。

 事件で義姉を殺されたカシム・アル・アアムリーによると、武装グループは殺人対象者のリストを持っていて、名前を呼びあげて並ばせたあと、近づいて射殺したという。犯人らが午後9時に立ち去るまでに、25人が殺されたという。

 ムスタファ・カマル・シャビーブは、バグダッドの真南に位置するアラブ・ジュブール地区で覚醒会議の責任者をいているが、「イラクのアルカイダに所属する犯罪者どもが活動を再開させたようだ」と語った。

 シャビーブは3月7日の選挙に立候補する予定だったが、バース党支持者という疑いをかけられて立候補を禁じられた。

 ある米軍将校は、イラクのアルカイダが「イラクの息子」(覚醒会議)に仕返しをしていると推測しているが、覚醒会議のメンバーは、自分たちが政府に狙われていると感じている。彼らの多くは元々反政府ゲリラだったことから、政府高官は彼らを信用してない。

 この将校は覚醒会議に関連して、「アルカイダとは交渉中だ。彼らは覚醒会議に恩赦を申し出ている」と語った。

 バグダッドの治安部隊は今回の事件に関連して25人を拘束したが、ホッラジャブで捕まった7人は釈放された。

 しかし現地の部族指導者は、その拘束はデタラメなもので、犯人たちは逃げ去った、と話した。

 選挙での得票が少なかったあるスンニ派政党(イスラム党/訳者)は、今回の殺害事件はスンニ派過激グループ(アルカイダのこと/訳注)の仕業ではなく、シーア派のイランに後押しされた宗派至上主義者の犯行だと主張した。

 イスラム党は声明のなかで、「彼らは治安部隊の制服に身を包み、政府の配給する車両と武器を使って犯罪を遂行した。どうしてこんなことが起こるのか?」と指摘し、「イラクの的によって引き起こされた今回の残虐な犯罪を強く非難する。陰険な外国の狙いはイラクを殺人と移住の日々に逆戻りさせることであり、暴力による報復には反対する」と述べた。

 今回の事件は、シーア派のマリキ支持勢力が、スンニ派とシーア派に指示された世俗主義者アラウィの激しい追い上げを、振り切ろうとしているさなかに発生し、その政治的優位争いに新たな緊張をもたらした。

 3月7日(投票)後の結果が定まるのは夏になると見られており、政争がテロに発展しないかと憂慮する政府高官も多い。

 「イラクの息子」と呼ばれ米軍に協力したスンニ派アラブ人は、自分たちは特に攻撃を受けやすいと感じている。部族指導者であるカイス・アル・ジュブーリは、「覚醒会議のメンバーは今、誰からも攻撃されやすいのだ」と語った。彼は自分の影響力が及ぶバグダッドの南部で、国民和解を演出するために、米軍はもとよりイラク軍、政府とも協力した人物である。ジュブーリは時期国民議会に当選したものの、指名手配されたために逃亡中である。

 「政府が私たちを攻撃するし、アルカイダも攻撃してくる」と彼は言った。

大使館爆破事件で厳戒態勢のバグダッド

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☆★大使館爆破事件で厳戒態勢のバグダッド
Baghdad alert after embassy blasts
アルジャジーラ 2010年4月5日
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http://english.aljazeera.net/news/middleeast/2010/04/2010454255936178.html

 バグダッドでは3連続の自爆事件が発生し、30人以上の死者を出したほか100人を超える負傷者を出したことから、イラクは厳戒態勢に入った。

 外国の外交使節(=大使館など)周辺で発生した自爆事件の犯行声明は出ていないが、捜査に当たっているイラクの治安当局者は、一見したところではアルカイダの犯行だろうと語った。

 また、イラク外相はAFPの取材に、アルカイダの手口に似ているが、調査中であり決めつけるのは早すぎると述べた。最大の衝撃を与えるために、異なる地域で同時に爆破したり、タイミングや攻撃目標の選定などが、以前の攻撃と同じ手口だという。

 バグダッドの中心部と西部で、数分のあいだに3つの自爆車両が爆発したもので、黒雲が柱となって空にのぼった。

 イラクの治安部隊によると、そのうち2件はエジプト大使館とイラン大使館を狙ったもので、もう一つはドイツ、スペイン、シリアの外交使節に近い場所だった。ドイツとエジプトの大使館では、イラク人の警備員が死亡したが、大使館の外国人職員には死亡者は報告されていない。

 イラク外務省は、外国の外交使節を狙った一連の爆弾事件は、3月7日の総選挙のあとという時期に政治的混乱を引き起こそうとしたものと指摘した。連立与党がどのように形成されるか、という選挙の最終結果はまだ出ていない。
 

占領軍と傀儡政府軍が100人以上を拘束

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☆★占領軍と傀儡政府軍が100人以上を拘束
Occupation-Puppet Forces Arrest over 100 Iraqis
HEYET Net (イスラム法学者協会) 2010年4月2日付
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http://www.heyetnet.org/eng/iraq-news/5365-occupation-puppet-forces-arrest-over-100-iraqis.html

April 2, 2010

 アメリカ占領軍と宗派主義政府の軍隊および警察は、あまざまな地域で見差別の大量拘束作戦を野蛮に展開しており、これまでに逮捕された市民は100人以上にのぼる。

 モスル市西部のタル・アッラマン、ヤルムーク、サヒル・アル・アイマンでは警察の警ら部隊が民家を強制捜査し、30人の市民が逮捕された。

 ディカル州では、宗派主義の政府軍が、バサ、サディナワ、イスラー、サイード、ダヒルを強制捜査し、市民15人を逮捕した。

 首都バグダッドでは、米占領軍が市内西南部でおこなった強制捜査で、市民4人を逮捕したと発表した。

 他方、アンバル州で報道された情報によると、中央政府直轄の警察部隊がアル・カイム市内のハシーバ地区で市民33人を拘束した。

 カルバラ州からの情報によると、宗派主義政府の警察部隊が行った強制捜査で、市民14人が逮捕された。

 さらに、カルバラ州の別の場所でも、宗派主義政府の治安部隊が市民1人を逮捕した。

2010年4月3日土曜日

なぜファルージャ住民はアラウィに投票したのか?

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☆★なぜファルージャ住民はアラウィに投票したのか?
    --アラウィ=米軍にファルージャを破壊させた男
Why Did Iraqis in Fallujah Vote For the Man Who Let the U.S. Destroy Their City?
IWPR(戦争と平和の報告研究所) 2010年3月31日付
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http://www.alternet.org/story/146256/

Institute for War and Peace Reporting (IWPR)
By Uthman al-Mukhtar and Fadhil al-Badrani

March 31, 2010

 アブドラー・メシルがゲリラ活動をしていた時期、彼はファルージャの聖職者たちがアラウィ元首相を不信心で裏切り者だと貶す(けなす)のを耳にしたことだろう。

 しかし先月行われた国民議会の選挙で、ファルージャに住むメシルと何千もの支持者はアラウィをリーダーとして称賛し、彼が選挙で勝利することに貢献した。その政治家こそ、かつてスンニ派アラブ人の抵抗拠点だったファルージャに、凶悪な猛攻撃を指図した人物である。

 IWPRがインタビューしたファルージャ市民は、自分たちがアラウィに投票したのは、イランに支援されたシーア派政党が主導権を握ることを恐れたからであり、復興のペースがのろいことが不満だったからと話した。

 6年前にファルージャを破壊した張本人と非難された人物は、今日の再建計画には最適の人物なんだと彼らは言った。

 メシルは銃を手放してからは鍛冶屋をしているが、「私たちの抱える最大の問題は失業問題であり、2004年の戦闘で破壊された財産への補償金が未解決なことだ」という。

 「中央政府の予算から補償金をしぼり出すことのできる、力のある首相を国民は求めている」と彼は言い、それにはアラウィこそが適任だと付け加えた。

 アラウィの出自はシーア派アラブ人ではあるが、彼が率いるイラキーヤ陣営は世俗主義(政教分離)を掲げ、国内のスンニ派アラブ人に人気のある指導者を多く擁立していた。

 「世俗主義のシーア派教徒は、スンニ派のイスラム主義者や部族指導者よりも良い」とメシルは言ったが、それは市民多数の見解と共鳴するものだった。

 先週公表された3月7日総選挙の最終結果は、イラキーヤが全国で最多議席を確保し、マリキ現首相の率いるライバル会派をわずかながら抑えた。

 選挙結果はマリキとの激しい接戦を演じることになり、結果確定をめぐる議論と連立与党の形成に何ヶ月かかかりそうだ。

 次の政府で誰が首班になるにせよ、イラキーヤはバグダッドの北と西の諸州で圧勝し、スンニ派アラブ人の強力な代表として自らを確立した。

 ファルージャ市が属するアンバル州では、14議席のうち11議席をイラキーヤが確保した。ファルージャに配分された6議席のうち、イラキーヤが4議席だった。

 2004年末のファルージャに対する米軍の攻撃は、何百人もの死者と何千人もの難民を生み出した。この軍事作戦は当時首相だったアラウィの後押しを得て、ファルージャを統治する実権をとり戻すことが狙いだった。

 2005年の国民議会選挙では、アンバル州の有権者の多くはスンニ派の指導者に投票したが、彼らはイランと結びついたシーア派政党の支配するバグダッドの政治家連中に手玉にとられてきた。

 宗派抗争がピークに達した時期、イランは最大の外敵という位置づけを、アメリカからイラク国内のスンニ派アラブ人に切り替えた。

 アンバル州の反政府ゲリラは、そのうち、米軍に支援された覚醒会議と呼ばれる部族の武装グループに抑えられた。その武装グループの指導者たちは、昨年の地方選挙で見返りにありついた。

 しかしながら、先月の選挙では、ファルージャ住民はイラキーヤに投票し、彼らはその理由を、古手の指導者たちでは戦災の復興という難問に取組めないからだ、という。

 彼らはまた、シーア派の影響や汚職の一掃に取り組む指導者を求めていると話す。それは2004年11月に米軍がファルージャを包囲して以後、スンニ派アラブ人の発言権が低下したことを反映している。

 ゲリラ活動に参加したために2年間投獄されたカリム・アッ・ドレイミは、ファルージャ市内の電気と水道設備はそっくり取り替える必要があると話す。彼はさらに、ファルージャ攻撃以来ずっと災難つづきの子どもの健康問題について、病院に治療を求めても住民の要求は何一つとりあげられない、と不満を述べた。

 「汚職も深刻な問題になっている」と彼は言う。「秩序を重んじるという口実で、族長たちが市の実権を握っている。彼らは自分を法律の上にあると考えている・・・。私たちがイラキーヤに投票したのは、彼らが汚職にまみれた役人を解雇し、私たちの苦難の根源を一掃すると約束したからだ」。

 ドレイミもメシルも、選挙でアラウィに投票するなんて、以前だったら考えられない、と2人とも口をそろえた。「以前なら、彼は今回の得票の半分も獲得できなかっただろう。当時は誰もが、ファルージャの人道的危機はアラウィのせいだと非難していた」とドレイミが説明した。

 米軍は今年、兵力の半分を撤退させる計画だが、多くのスンニ派アラブ人は、イランに後押しされる政治家がバグダッドで(イラク政府の中で)さらに力を増すだろう、と心配している。

 アラウィはイランの干渉について、遠慮のない批判をしてきた。選挙期間中は、フセインのバース党とつながりがあると難癖をつけて候補者をパージ(公職追放)した黒幕はイラン政府だと非難した。

 ファルージャの有権者たちは、アラウィをイランに立ち向かうことのできる指導者として称賛し、また宗派主義(特にシーア派至上主義)を拒否するために彼を支持することにした。

 教師をしているナイフ・ジャバルは、不公正と宗派主義と貧困を一掃するためにアラウィに期待した、と語った。「アラウィに投票することによって、アンバル州の住民は、宗派にこだわって指導者を選ぶシーア派に反対し、宗派至上主義にノーを突きつけた」と彼は言った。

 タクシー運転手をしているマフムード・カリムは、家の中の全財産を2004年の戦闘で焼かれたが、それでもアラウィに投票した、と話した。 「彼はどのセクトにも所属してない。しいて言えば、イラクだ」と。

 主婦であるメヤアド・サラムは、シーア派政党がイランの手引きをすることを恐れ、アラウィが宗派主義に立ち向かっていることを評価した。「彼は世俗派の指導者だ」と彼女は言った。

 前に投獄されたことのあるドレイミは、アラウィは昔はアメリカの傀儡(かいらい)と見られていたが、今はイランの影響が強まることに対する好敵手と見られている、と述べた。「イランの手先になるより、アメリカの手先になる方がいい」というのが彼の言い分だ。

 ファルージャ攻撃においてアラウィの果たした役割を許す人間は、ファルージャには1人もいない。ジャシム・アル・ジュワイミは、2004年の戦闘で息子と家を失った。

 彼は、「ここの者は間抜けだ。彼らはアラウィが何をしたかを、もう忘れてしまった。彼はテロとの戦いを口実に、私たちの子どもを米軍に殺させたんだぞ」と批判する。

 ジュワイミはさらに、アラウィはいったん権力を手にすると、支持者を裏切るだろう、と付け加えた。「アラウィが連立政府交渉のためにシーア派の指導者と連携するとき、スンニ派住民は自分たちの大きな間違い」に気づくだろう」と。

 ファルージャ出身の政治アナリストであるハリド・アスワドは、アラウィ陣営は大衆的人気のある新人を候補者に採用し、ライバル陣営の裏をかいた、と解説した。

 アスワドに言わせると、「アラウィの戦略は、選挙戦が公式に始まる何ヶ月も前から実行された。街で尊敬される人物、例えば医師や技術者、教師などを候補者名簿に挙げ、それで有権者を自分の陣営に惹きつけることができた」。

 ファルージャではイラキーヤと競いあった陣営もイラキーヤに勝利の祝意を送ったが、それでも、地方政治においては自分たちが決定的役割を持ち続けることを強調した。

2010年4月1日木曜日

議員失格処分でイラクの選挙結果はどうなる?

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☆★議員失格処分でイラクの選挙結果はどうなる?
Iraqi Vote Results In Doubt After Disqualifications
NPRニュース 2010年3月31日付
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http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=125365102&ft=1&f=1001

 1月にはイラクの総選挙を脱線させそうになった、あの物議をかもす某委員会がまたも表面に出てきた。かつて米国防総省の仲良しだったアハメド・チャラビが率いる委員会は、今週になって、3月7日投票の国民議会選挙で当選した候補者のうち6人が、サダム・フセイン政権と密接な関係があり、失格とされるべきだと発表した。

 評論家たちによると、彼らを失格にすることは、シーア派とスンニ派の連合会派イラキーヤと世俗主義者アラウィのリードを帳消しにすることにはならない、という。アラウィの会派は国民議会に91議席を獲得し、89議席を獲得したマリキの法治国家連合を上回った。

 わずかながら2議席のアラウィのリードは、政府を樹立する最初の機会をアラウィに与えるという意味であった。

 しかし今週になって、議会外の某委員会が、アラウィ陣営の議員4人がサダム・フセインの与党だったバース党とつながっている、と発表した。ディヤラ州(バグダッドの北東)出身のムハンマド・ウスマンは、名指しされた中の1人である。

 ウスマンは電話取材のなかで、これは政治的な抹殺だと批判した。今週バグダッドに出かけるに際して、彼は姿を隠して身なりも変え、アラブの伝統的衣装をまとった。

 ウスマンは、バース党員だったことは一度もないし、自分に出された逮捕状はニセモノだ、と語った。

 彼は、罪になるとことはしておらず、4年間ディヤラ州の知事も勤めたという。「なぜ、その時に彼らは逮捕しに来なかったんだい?」

 バグダッドでは、彼は脱バース党委員会の支配に抗議しようとした。この委員会は、当初はアメリカに承認され、チャラビの下で運営されてきた。総選挙の直前には、この委員会が500人以上の立候補者を失格にし、あやうく選挙をつぶすところだった。

 今週開いた記者会見で、脱バース党委員会は仕事を再開し、当選者のうち6人はバース党員だと発表した。それにはアラウィ陣営の4議員が含まれ、アラウィの僅差のリードを帳消しにするのに十分な数だった。

 その委員会の事務総長をしているアリ・アル・ラミは、国連とアメリカから圧力がかかったので、候補者は当初の場所で立候補するなら許されると発表した。

 ラミは、アメリカ大使館を含めて外国からの干渉を許さないと述べた。

 しかし多くの議員たちが、委員会はチャラビの政治的ライバルに対抗して活動しており、異議申し立てに対しても決して証拠を提出しない、と告発している。

 アメリカの駐イラク大使であるクリストファー・ヒルは、経過が公開される必要がある、と語った。

 「われわれは法律および憲法に明記された脱バース党法の条文を理解している。必要なことは、経過が公明正大にされるべきだということだ。人々はアメリカを好きなように非難することができるが、しかし必要なことは問題をイラクの法廷で裁くことなんだ」と彼は言った。

 イラクの法廷は、過去には脱バース党委員会に寄り添っていた。マリキ首相は、いかなる法的手段を講じても、選挙結果をくつがえしてみせると言いはなった。