2010年4月27日火曜日

イラキーヤの当選者1人も失格に

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☆★3月の選挙で52人の代替え候補が失格に
Iraqi panel voids candidacies of 52 substitutes in March vote
ロサンゼルスタイムズ 2010年4月26日付
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http://www.latimes.com/news/custom/topofthetimes/topstories/la-fg-0427-iraq-election-20100427,0,1544902.story

 駐イラク米国大使はイラクの新政府樹立が遅れることに懸念
 イラキーヤの候補者1人もバース党と関係ありとして失格に

By Ned Parker, Los Angeles Times
April 26, 2010 | 4:54 p.m.

 当選した候補者のなかにバース党と関係ありとして失格者が出たことで、米国大使は懸念を表明した。

 バース党との関係を理由に3月7日の選挙から排除された候補者に、52人が新たに仲間入りした。

 投票の数日前になって、バース党との関係を審査していたイラクの公正監査委員会は、失格とされる可能性のある52人の代替え候補者の氏名を発表したが、イラクの選挙委員会はその審査を投票のあとで行うことにしていた。

 代替え候補者のうち、少なくとも1人、イブラヒム・ムトラクがイラキーヤの会派から国民議会議員に当選した。彼はスンニ派アラブ人の著名な政治家サレハ・ムトラクの兄弟で、(立候補を禁じられた兄弟の)代替え候補であった。イラキーヤは世俗主義者でシーア派教徒のアラウィ元首相が率いており、マリキ首相の率いる法治国家連合が89議席を獲得したことに対して、91議席を獲得し第1党になった。(訳注:第1党に組閣がゆだねられる)

 4月26日には新たに21人の候補者が資格停止となったが、そのなかにはイラキーヤからの当選者はいなかった。

 追加の資格停止が、国民議会選挙における各会派の当選議席数に影響を与えるかどうかは不明である。当選者のうち9人が、今後どのようになるか数日内に発表されることになっているが、そのほとんどはイラキーヤに所属していて、開票後になってバース党との関係を取りざたされている。

 各会派は、選挙委員会が先週になって指示した、バグダッド州の票の数え直しに注目している。再集計は、選挙の正統性と信用に関わる問題を投げかけている。

 他の州でも再集計を求める声があるが、国連とアメリカ大使館は組織的な不正の証拠はないとし、選挙を公正なものとみなしている。

 アラウィは自分の率いるイラキーヤの候補者が失格とされることとは闘うと約束し、トルコの首都アンカラで、「委員会の決定に異議を申し立てるよう弁護士に指示した」と語った。

2010年4月15日木曜日

「シーア派が新会派結成」という新しいウワサ

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☆★「シーア派が新会派結成」という新しいウワサ
The new rumor of a Shiite ruling coalition
Rords to Iraq (ブログ) 2010年4月14日付
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http://www.roadstoiraq.com/2010/04/14/the-new-rumor-of-a-shiite-ruling-coalition/

 まずはアル・サバハ紙が「グリーン・ゾーン」(占領当局&イラク政府)について書いた記事で、次のようなものである。

 「INA(イラク国民同盟)と法治国家連合の間で行われている交渉と近い位置にある政治家筋(複数)は、48時間以内に新しい与党会派について公式発表があるだろう、と明らかにした。」

 アル・クドス・アル・アラビーでは次のように報じられた。

 「INAに近い筋は、INAと法治国家連合の新たな連携が発表できるかどうかは、アマル・アル・ハキムによるサウジアラビア訪問の結果次第である。」

 シスタニ師のスポークスマンとベイルートにいるシスタニ師の代理人ハミド・アル・カファ氏は、シスタニ師はINAと法治国家による新たな連合会派結成には何ら関わっていない、と急ぎ発表した。

 実のところ、どうなっているのか?

 このブログで前にも書いたように、ジャファリとチャラビは独自の方針を持っており、上記のようなINAの新たな連携を模索しているが、サドル派の同意を得たわけではない(ジャファリもサドルもINAの主要な構成メンバー)。アラブ首長国連合のアル・イサド紙の報道を見てみよう。

 「(INAと法治国家の)協議に近い筋は、両会派の提携は2つの会派が1つに合流するとレベルにまでは至ってなく、合同して連合会派を結成するという発表もない。」

 この報道はさらにジャファリの役割についても明らかにしている。

 「ここ数日、イスラー運動の指導者イブラヒム・ジャファリは、イスラム最高評議会とダーワ党、イスラム党、クルド同盟による連立会派の結成を進めてきた。 アラウィが率いるイラキーヤの排除を望まない多くの陣営が反対を強めたことから、ジャファリの努力はまだ報われてなく、受け入れられたわけでもない。またイスラム党は、もはやイラクのスンニ派を代表するものと見られてない。」

 上の事情に加えて、マリキの首相指名をめぐるダーワ党とサドル派の不一致も、まだ存在する。アッ・シュメリアに掲載された2つの記事へのリンクを紹介しておこう。

 法治国家連合はまだマリキを首相候補に
 http://www.alsumaria.tv/ar/Iraq-News/1-47670-State-of-Law-endorses-Al-Maliki-as-Iraq-PM.html

 サドル派: 法治国家のマリキへの固執が彼らとINAの連携の障害
 http://www.alsumaria.tv/ar/Iraq-News/1-47705-.html

2010年4月13日火曜日

イランはスンニ派の政治参加を望む

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☆★イランはスンニ派の政治参加を望む
Iran Wants Sunnis in Iraqi Politics
ニューヨーク・タイムズ 2010年4月10日付
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http://www.nytimes.com/2010/04/11/world/middleeast/11iraq.html

By ROD NORDLAND
Published: April 10, 2010

 バグダッド発 -- イラクの政治に対する主要な政治ブローカー役を演じているイランは、4月10日、イラクの政治指導者たちに新政府にはスンニ派が含まれるよう呼びかけ、シーア派は来るべき事態に備えて彼らと連携しなければならないと語った。

 この声明はイラクに対するイラン政府の立ち位置を大きく転換させるものである。イラクの隣国でありシーア派の大国であるイランは、常に、シーア派が支配する連立政府を提唱し、行動としてもそれを後押ししてきた。

 何がこのイランの変化を促したのか、また。なぜ今なのかについては、即座には分からない。交渉はイラク国民議会の選挙から1ヶ月も暗礁に乗り上げているが、アラウィ元首相の勝利を現実主義的に容認したものにも見える。アラウィの陣営には、幾つかのスンニ派政党が含まれ、多様な候補者が議席を獲得することになった。これはまた、現首相からやや距離を置きつつあることを示してもいる。マリキ首相のイランとの関係はいつもスムーズだったわけではない。

 イランの立場の転換は、シーア派の合従連衡で政府を樹立しようとしてきたマリキの野望に、大きな打撃であったようだ。

 イランの駐イラク大使ハッサン・カジミ・コミは、当地での記者会見で新しい方針を発表したなかで、どのような連立政府になろうとアラウィの率いるれ連合会派イラキーヤが含まれなければならない。イラキーヤはスンニ派および世俗主義のイラク人から得票を集めたおかげで、3月7日の総選挙でわずかながら最多議席を獲得した。

 コミ大使は、イラキーヤが政治会談を開くためにイラン訪問を要請し、イラン政府はそれに「ドアは開いている」と答えた、と語った。アラウィは以前、政治的ライバルたちが新政府作りにイランの助けを求めて、選挙が終わりしだいイランを訪問することを批判していた。

 イラキーヤの広報担当ファタハ・アッ・シハイクは、イラキーヤが2日以内にラフィエ副首相を団長とする代表団をイランに派遣する、と確認した。

 シハイク氏は、「イラキーヤに対するイランの態度は、イラキーヤがイランにメッセージを送ってから変化した」と述べた。そのメッセージは、「イラクの領土が米軍のイラン攻撃に使われることはないと保証する」というものである。

 コミ大使は、「われわれは全ての勢力が参加することを支持するが、これはイラクの国内問題である。相談するだけで、それ以上ではない」と語った。

 彼はさらに、イラキーヤは明らかにスンニ派の代弁者だったと述べたうえで、明言はしなかったものの、イラキーヤはシーア派のグループとも連携しなければならないと暗示した。

 アメリカの駐イラク大使クリストファ・ヒルは、「政府はイラクで作られるだろう。隣国で作られることはない」と語った。

 スンニ派のハシミ副大統領は先週、イラン大使館を訪問して大使と会談した。ハシミ氏は会談の最後に、ほとんどの記者が退室したあとで、「われわれがイラキーヤのリストに入り、政府づくりに参画するのを手助けしてほしい」とコミ大使に言った。イラン大使はうなづいたが、返答はしなかった。

アラウィが早期イラク政府樹立に意欲

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☆★アラウィが早期イラク政府樹立に意欲
Allawi aims to quickly form Iraqi government
CNN 2010年4月7日
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http://edition.cnn.com/2010/WORLD/meast/04/07/iraq.elections.allawi/index.html

By Tom Evans, CNN
April 7, 2010 -- Updated 0433 GMT (1233 HKT)

 バグダッドで新たな爆発事件の波が起こっている4月6日、テロで数十人が死亡した数時間後に、アラウィ元首相は3月7日投票の総選挙に勝利を宣言したあと、すぐにも新政府を形成したいという希望を語った。

 「われわれは最高裁から公式に選挙結果が発表されるのを待っており、その時には、2ヶ月以内に政府を樹立したいと考えている・・・私は政府を・・・発足させたい」--アラウィはCNNのクリスチアン・アマンポー記者にこう話した。

 アラウィは、彼が率いるイラキーヤ陣営こそが、イラクの憲法のもとで、次期政府を形成する権利を有していると確信している、と述べた。イラキーヤは国民議会でライバル陣営にわずかながら2議席をリードしている。州ごとの選挙結果によると、イラキーヤは91議席で、マリキ首相の率いる法治国家連合は89議席を獲得した。

 「われわれは全国民的な統一政府を樹立することはできず、現政府がそうであったように澱んだものである。しかし、われわれは特にこの国の治安確保できる政府、そのために機能する政府を持つ必要がある」と彼は言った。

 彼のこのコメントは、選挙後の政治的真空状態が指摘されるなかで、イラクの治安が悪化し始めていることに関心が高まっているもとで発せられた。

 テロ分子は4月6日にバグダッドで7発以上の爆弾を破裂させ、30人以上を殺し、140人を負傷させた。

 アラウィは、「政治的に真空状態となるので、特に選挙の後にテロが起こることを予想していた。現在はまさに憲法が施行されていない状態だ」と言う。「実際、テロリストやテロに関係する集団は、イラク国民にダメージを与えるのに有利な状況と判断しているのだろう」。

 アラウィはまた、彼の陣営が選挙で勝利したことは、イラク国民が宗派主義にウンザリしていることを示すものだ、と述べた。

 「イラク国民は、世俗主義(政教分離)の国が専門家と有能な者による政府を持つことを望んでいる」と彼は指摘した。

 そして、アラウィの陣営はフセイン政権時の与党バース党の偽装組織だとする議論を否定して一蹴した。

 「バース党は・・・過去の物だ。もう終わっている。われわれは新時代に生きている」と彼は言った。

イラク総選挙の結果--州別・会派別議席

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☆★2010年、イラク総選挙の結果
2010 Iraq Elections Results -- FINAL RESULTS
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※中間発表は割と詳細が報道されていたが、それに比して、最終結果(選管発表)の詳細はなかなか出ない。マリキ首相と法治国家連合が最終発表に異議を唱えて、<確定したもの>と認められないからだろうか。前に紹介したように、ライラ・アンワルのブログに最終結果が英語で紹介されていたので、数字部分を以下のように訳出した。お急ぎでない方は、ホームページでご覧になる方が見やすいかと思います。 ↓ ↓
 http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/2010_ElectionsResults.html

◆獲得議席合計
 イラキーヤ 91 (Iraqiya、世俗派)
 法治国家  89 (State of Law)
 INA  71  (イラク国民同盟)

◆州ごとの獲得議席
バスラ州  24  INA7  イラキーヤ3  法治国家14
マイサン州 10  INA6  イラキーヤ0  法治国家4
ディカル州 18  INA9  イラキーヤ1  法治国家8
ムサンナ州 7  INA3  イラキーヤ0  法治国家4
カディシヤ州11  INA5  イラキーヤ2  法治国家4 
ナジャフ州 12  INA5  イラキーヤ0  法治国家7

サラハディン州12  INA8  イラキーヤ2  法治国家2
ワシト州  11  INA4  イラキーヤ2  法治国家5
カルバラ州 10  INA5  イラキーヤ1  法治国家4
バビル州  16  INA5  イラキーヤ3  法治国家8

アンバル州 14  INA0  イラキーヤ11  タワフク2  
         統一同盟1

ディヤラ州 13  INA3  イラキーヤ8  法治国家1 
              クルド同盟1

キルクーク州12  INA0  イラキーヤ6  法治国家0 
              クルド同盟6

ニネベ州  31  INA1  イラキーヤ20  タワフク1
         統一同盟1  クルド同盟8

スレイマニヤ州17 クルド同盟8 イスラム同盟2 変革6 ジャマアト1
アルビル州 14  クルド同盟10 イスラム同盟1 変革2 ジャマアト1

ダフーク州 10  クルド同盟9 イスラム同盟1

バグダッド 68  INA17  イラキーヤ24  法治国家26 タワフク1
特別議席  7  INA2  イラキーヤ2  法治国家2 クルド1

少数派  ヤジディ1 シャバク1 シャバイン1 クリスチャン1
     アッシリア2

2010年4月12日月曜日

イラク戦争帰還兵が証言: 私たちは市民を撃てと言われた・・・

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☆★イラク戦争帰還兵が証言:
  私たちは市民を撃てと言われた、上官がもみ消すからと
Iraq War Vet: "We Were Told to Just Shoot People, and the Officers Would Take Care of Us"
ダール・ジャマイルの中東速報 2010年4月7日付
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** Dahr Jamail's MidEast Dispatches **
** Visit Dahr Jamail's website http://dahrjamailiraq.com **

Wednesday 07 April 2010
by: Dahr Jamail, t r u t h o u t | Report
To read story with photo, click here

http://www.truthout.org/iraq-war-vet-we-were-told-just-shoot-people-and-officers-would-take-care-us58378



 4月5日(月曜日)、Wikileaks.org (ウィキリーク)がイラクからのビデオ映像をウェブに公開したが、それは2007年7月1日に米軍のアパッチ攻撃ヘリから撮影されたもので、同乗していた兵士が市民12人を殺し、子ども2人を負傷させたときのものだ。死亡者のなかにはロイター通信のスタッフ2人が含まれていた。写真家のナミール・ヌル・エルディーンと運転手のサイードである。

 米軍もビデオの信憑性を確認した。

 映像はいわれのない虐殺であることを明白に示しており、兵士たちの何気ない会話を聞きながらこれを見るのは、ショッキングである。

 イラクにおいて米兵によるこの種の行為は珍しいものではない。

 アメリカの占領軍によって無実のイラク人が虐殺されるという、同じようにゾッとする体験を見聞した兵士たちと、私は何度も話したことがある。

 米海兵隊のジェイソン・ワシュバーン伍長は、イラクに3度派遣されたが、「1人の女性が歩いていた姿を忘れられない」と話しだした。メリーランド州のシルバー・スプリングで、2008年3月13日から16日にかけて開かれた、<冬の兵士>の公聴会でのことである。「彼女は大きなバッグを持っていて、私たちの方へ向かっている来ているようだったので、MK19自動擲弾銃で彼女を撃ったが、ほこりが消えると、バッグには食料品が詰められていた。彼女は私たちに食べ物を差し入れようといていたのに、私たちは彼女を粉々に吹き飛ばしたのだった」。

 ※訳注..MK19 大型機関銃のように三脚に据え、40ミリの擲弾を毎分300発以上発射できる。厚さ5センチの装甲を貫通する威力で、対人・対装甲車両の両用に使用される。

 <冬の兵士>の公聴会は、占領体験の真相を米国内のメディアと共有するために、イラクとアフガニスタンからの帰還兵に演壇を提供するものだった。

 ワシュバーンは登壇者の1人として、イラクでの軍の交戦規定(ROE)について話し、実際には存在しないのと同じくらいに希薄になっている、と証言した。

 ワシュバーンの証言はさらに続いた。「私が3度派遣された間に、交戦規定は大きく変わった。危険性が高まるほど、私たちに許される模範的対応もヒドイものとなった。ウィンクしたり小突いたりして口裏を合わせてきた例をあげると、落とすための武器を持ち運んだり、3度目の派遣では落とすためのシャベルもあった。そんな武器やシャベルを持ち運ぶのは、もしウッカリして民間人を銃撃したら、死体の上にそれらの武器を置いて、彼らを反政府ゲリラのように見せかけるためだった。」

 陸軍の第82空挺師団に所属して1年間イラクで軍務についたハート・ビゲスは、無線で受けた命令について話した。

 「ある時は、敵がタクシーを使っているという理由から、すべてのタクシーを銃撃せよと命令された。狙撃兵の1人が聞き返した、「なんだって? それは本当か? 全部のタクシーを撃つのかい?」と。中佐からの返答は、「聞こえただろう。全部のタクシーを撃て」だった。その後、この町では全部隊が車に発砲した。これが私の体験した最初の戦争であり、派遣されている間は、ずっとそんな調子だった」。


 シリア国境に近いイラクのカイム地区に1年いた海兵隊のビンセント・エマヌエルは、敵を見分けようともせずに街中で弾倉がカラになるまで撃ったこと、死体の上を巡回車両で走ったこと、死体といっしょに「勝利」の記念撮影をしたこと、などを証言した。

 「イラクでよくやったことと言えば、走りすぎる車を蜂の巣にすることだった」と彼は言った。「これは特別なできごとではなく、8ヶ月の派遣期間に最もよくやったことだった」。


 <戦争に反対するイラク帰還兵>の責任者であるケリー・ダハティは、イラクに派遣された兵士の悪行はアメリカ政府の政策が原因だと非難した。

 「占領中になされた悪行は、<少数の腐ったリンゴ>による不始末どころではなく、わが政府の中東政策がもたらしたものであり、その政策はアメリカの政権中枢で作られた」と彼女は指摘した。

 マイケル・リデュークは海兵隊の伍長で、2004年11月の米軍によるファルージャ攻撃に参加した。彼らが市内に突入する前に、所属するJAG大隊の将校から受けとった命令は、次のようなものだった。「白旗を掲げる人物に遭遇したとして、彼がゆっくりと君たちに近づくだけで指図にも従っているとしても、それはワナだとみなして射殺せよ」。


 同じく海兵隊伍長だったブライアン・カスラーは、イラクに侵攻した時期、兵士たちがイラク人に対して流行のように行っていた非人間的行為を目撃したと言った。

 彼の証言は、「・・・車列が進むうち、海兵隊員がバッグに大便をしたり、ボトルに小便をし、それを道ばたにいる子どもたちに投げつけた」というものだった。


 2005年から翌6年までイラクに従軍したスコット・エウィングは、部隊がことさらにイラク人の子どもにキャンディーを投げたのは、「勝利者気分」と別に、もう一つの理由があったと認めた。

 「別の動機というのは、もし子どもたちが車両をとり囲めば、敵は攻撃できない。つまり子どもたちを人間の盾に使うんだ」とエウィングは説明した。

(本稿は長いので、続きは次のURLでご覧下さい)

http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/20100410_DahrJamail.html

2010年4月10日土曜日

WikiLeaksが公開したビデオ

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☆★WikiLeaksが公開したビデオ
米軍ヘリが記者を銃撃、当時の映像がネットで公開
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◆ビデオ完全版(英語)
Collateral Murder 殺人の裏付け
http://www.collateralmurder.com/



◆YouTubeで見る/聞く (解説=日本語の同時通訳あり)
http://www.youtube.com/watch?v=3HKQGZ-7VhA



◆米軍ヘリが記者を銃撃、当時の映像がネットで公開に
2010.04.06 Web posted at: 17:25 JST Updated - CNN
http://cnn.co.jp/usa/AIC201004060014.html



◆アルジャジーラの報道(英語)
 解説と当該ビデオ
 殺された記者の兄弟が米軍の批判(ビデオ)
http://english.aljazeera.net/news/middleeast/2010/04/20104782857326667.html

私たちは市民を撃てと言われた・・・

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☆★イラク戦争帰還兵が証言:
  私たちは市民を撃てと言われた、上官がもみ消すからと
Iraq War Vet: "We Were Told to Just Shoot People, and the Officers Would Take Care of Us"
ダール・ジャマイルの中東速報 2010年4月7日付
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** Dahr Jamail's MidEast Dispatches **
** Visit Dahr Jamail's website http://dahrjamailiraq.com **

Wednesday 07 April 2010
by: Dahr Jamail, t r u t h o u t | Report
To read story with photo, click here

 http://www.truthout.org/iraq-war-vet-we-were-told-just-shoot-people-and-officers-would-take-care-us58378

 4月5日(月曜日)、Wikileaks.org (ウィキリーク)がイラクからのビデオ映像をウェブに公開したが、それは2007年7月1日に米軍のアパッチ攻撃ヘリから撮影されたもので、同乗していた兵士が市民12人を殺し、子ども2人を負傷させたときのものだ。死亡者のなかにはロイター通信のスタッフ2人が含まれていた。写真家のナミール・ヌル・エルディーンと運転手のサイードである。

 米軍もビデオの信憑性を確認した。

 映像はいわれのない虐殺であることを明白に示しており、兵士たちの何気ない会話を聞きながらこれを見るのは、ショッキングである。

 イラクにおいて米兵によるこの種の行為は珍しいものではない。

 アメリカの占領軍によって無実のイラク人が虐殺されるという、同じようにゾッとする体験を見聞した兵士たちと、私は何度も話したことがある。

 米海兵隊のジェイソン・ワシュバーン伍長は、イラクに3度派遣されたが、「1人の女性が歩いていた姿を忘れられない」と話しだした。メリーランド州のシルバー・スプリングで、2008年3月13日から16日にかけて開かれた、<冬の兵士>の公聴会でのことである。「彼女は大きなバッグを持っていて、私たちの方へ向かっている来ているようだったので、MK19自動擲弾銃で彼女を撃ったが、ほこりが消えると、バッグには食料品が詰められていた。彼女は私たちに食べ物を差し入れようといていたのに、私たちは彼女を粉々に吹き飛ばしたのだった」。

 ※訳注..MK19 大型機関銃のように三脚に据え、40ミリの擲弾を毎分300発以上発射できる。厚さ5センチの装甲を貫通する威力で、対人・対装甲車両の両用に使用される。

 <冬の兵士>の公聴会は、占領体験の真相を米国内のメディアと共有するために、イラクとアフガニスタンからの帰還兵に演壇を提供するものだった。

 ワシュバーンは登壇者の1人として、イラクでの軍の交戦規定(ROE)について話し、実際には存在しないのと同じくらいに希薄になっている、と証言した。

 ワシュバーンの証言はさらに続いた。「私が3度派遣された間に、交戦規定は大きく変わった。危険性が高まるほど、私たちに許される模範的対応もヒドイものとなった。ウィンクしたり小突いたりして口裏を合わせてきた例をあげると、落とすための武器を持ち運んだり、3度目の派遣では落とすためのシャベルもあった。そんな武器やシャベルを持ち運ぶのは、もしウッカリして民間人を銃撃したら、死体の上にそれらの武器を置いて、彼らを反政府ゲリラのように見せかけるためだった。」

 陸軍の第82空挺師団に所属して1年間イラクで軍務についたハート・ビゲスは、無線で受けた命令について話した。

 「ある時は、敵がタクシーを使っているという理由から、すべてのタクシーを銃撃せよと命令された。狙撃兵の1人が聞き返した、「なんだって? それは本当か? 全部のタクシーを撃つのかい?」と。中佐からの返答は、「聞こえただろう。全部のタクシーを撃て」だった。その後、この町では全部隊が車に発砲した。これが私の体験した最初の戦争であり、派遣されている間は、ずっとそんな調子だった」。

 シリア国境に近いイラクのカイム地区に1年いた海兵隊のビンセント・エマヌエルは、敵を見分けようともせずに街中で弾倉がカラになるまで撃ったこと、死体の上を巡回車両で走ったこと、死体といっしょに「勝利」の記念撮影をいたこと、などを証言した。

 「イラクでよくやったことと言えば、走りすぎる車を蜂の巣にすることだった」と彼は言った。「これは特別なできごとではなく、8ヶ月の派遣期間に最もよくやったことだった」。

 
(つづく)

2010年4月7日水曜日

軍服を着た武装集団が村人24人を殺害

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☆★軍服を着た武装集団が村人24人を殺害
  --バグダッド南部のスンニ派居住地で
Gunmen in military garb kill at least 24 in Sunni area south of Baghdad
ワシントンポスト 2010年4月4日付
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http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/04/03/AR2010040300823.html?wpisrc=nl_cuzhead

By Leila Fadel and Jinan Hussein
Sunday, April 4, 2010

 バグダッド発 -- イラク治安部隊と米軍兵士の身なりをした武装グループが、家から家へと移動しながら、銃撃いたりノドを切ったりして住民24人以上を殺害した。当局者と住民が4月3日(土曜日)に証言した。

 1時間ばかり続いた事件の犠牲者には女性と子どもも含まれていたが、最も多かったのはスンニ派の準軍事組織である覚醒会議のメンバーだった。彼らは米軍と手を組んでゲリラと戦い、「イラクの息子」の呼び名で知られている。

 今回の殺人は、2006年と2007年にイラクを内戦状態にひきずりこんだ宗派主義の暗殺事件のあと、最も野蛮な事件といえるだろう。米軍はイラクの都市でのパトロールを行っておらず、今回の殺人事件は、シーア派政府に不信感を抱きながらも米軍と行動を共にしたスンニ派アラブ人の部族に、見捨てられた感情を抱かせることにもなった。

 アメリカ軍は昨年末、「イラクの息子」の指揮権をシーア派主導の政府に移譲した。

 イラクの捜査当局と住民は、バグダッド南部で起きた殺人事件は反目した部族に復讐しようとスンニ派ゲリラが実行した、と考えている。しかしそれとは違って、今回の殺人事件は、かつてスンニ派住民を殺害するために「暗殺チーム」を編成したシーア派によって実行されたもので、先月の総選挙でスンニ派が見せつけた政治的影響力に対して、彼らが背後から襲いかかろうと狙っているとする見方もある。

 アメリカ軍は夏以降、イラクの諸都市から引き揚げたが、かつて反政府ゲリラの拠点であったバグダッド郊外の農村地域には、少数だが部隊を駐留させている。現在、米軍が入手するテロ関係の情報の多くは、イラク軍の指揮官を経由したものとなっている。

 部族の長をつとめるアダイ・ジュブーリは、「アメリカ軍はこの地域での活動を支援した人々を見捨てたが、その結果はどうなったか? その人々は今、殺されたり逮捕されたりしているのに、誰も彼らを保護してくれない」と話した。

 米軍は今回の事件を非難したものの、事件をイラク軍と関連づけることには疑問を呈した。

 バグダッドの米国大使館広報官フィリップ・フレインは、「事件を正当化できるものは何もない。イラクの警察と司法当局には本件を徹底的に調べ、犯人を裁くようう要請する」と語った。

 事件の始まりは、4月2日の朝、バグダッドの真南にある農村ホッラジャブに武装グループがやって来たことに始まり、彼らは民家に隠れて暗くなるのを待った。

 部族の長であるジュブーリの話では、その家に近づく住民に中から男たちが英語で「あっちに行け」と叫ぶ声が聞こえたあと、アメリカ兵がその辺りにいた、というウワサが広がっている。

 事件の公式報告とは異なるが、地元住民は殺人は2日午後8時頃から始まったという。村人や犠牲者の親族の者は、イラク連邦警察が運転する小型トラックのような車に乗って、武装した男たちがやってきた、と話した。

 別の村人の証言では、歩いてやってきた男たちが、民家で男性1人と女性1人を殺し、その家に夜まで隠れていたという。彼らはその後、覚醒会議のメンバーであるシャキル・ハミドの家に向かったといわれる。ジュブーリは、武装グループは女性と子どもを1室に集め、男5人は屋上に連れて行ってノドを切り殺した、と語った。その後、彼らはトラックを盗みだして、次の目標にむかった。別の民家2軒でも16人が殺された。

 事件で義姉を殺されたカシム・アル・アアムリーによると、武装グループは殺人対象者のリストを持っていて、名前を呼びあげて並ばせたあと、近づいて射殺したという。犯人らが午後9時に立ち去るまでに、25人が殺されたという。

 ムスタファ・カマル・シャビーブは、バグダッドの真南に位置するアラブ・ジュブール地区で覚醒会議の責任者をいているが、「イラクのアルカイダに所属する犯罪者どもが活動を再開させたようだ」と語った。

 シャビーブは3月7日の選挙に立候補する予定だったが、バース党支持者という疑いをかけられて立候補を禁じられた。

 ある米軍将校は、イラクのアルカイダが「イラクの息子」(覚醒会議)に仕返しをしていると推測しているが、覚醒会議のメンバーは、自分たちが政府に狙われていると感じている。彼らの多くは元々反政府ゲリラだったことから、政府高官は彼らを信用してない。

 この将校は覚醒会議に関連して、「アルカイダとは交渉中だ。彼らは覚醒会議に恩赦を申し出ている」と語った。

 バグダッドの治安部隊は今回の事件に関連して25人を拘束したが、ホッラジャブで捕まった7人は釈放された。

 しかし現地の部族指導者は、その拘束はデタラメなもので、犯人たちは逃げ去った、と話した。

 選挙での得票が少なかったあるスンニ派政党(イスラム党/訳者)は、今回の殺害事件はスンニ派過激グループ(アルカイダのこと/訳注)の仕業ではなく、シーア派のイランに後押しされた宗派至上主義者の犯行だと主張した。

 イスラム党は声明のなかで、「彼らは治安部隊の制服に身を包み、政府の配給する車両と武器を使って犯罪を遂行した。どうしてこんなことが起こるのか?」と指摘し、「イラクの的によって引き起こされた今回の残虐な犯罪を強く非難する。陰険な外国の狙いはイラクを殺人と移住の日々に逆戻りさせることであり、暴力による報復には反対する」と述べた。

 今回の事件は、シーア派のマリキ支持勢力が、スンニ派とシーア派に指示された世俗主義者アラウィの激しい追い上げを、振り切ろうとしているさなかに発生し、その政治的優位争いに新たな緊張をもたらした。

 3月7日(投票)後の結果が定まるのは夏になると見られており、政争がテロに発展しないかと憂慮する政府高官も多い。

 「イラクの息子」と呼ばれ米軍に協力したスンニ派アラブ人は、自分たちは特に攻撃を受けやすいと感じている。部族指導者であるカイス・アル・ジュブーリは、「覚醒会議のメンバーは今、誰からも攻撃されやすいのだ」と語った。彼は自分の影響力が及ぶバグダッドの南部で、国民和解を演出するために、米軍はもとよりイラク軍、政府とも協力した人物である。ジュブーリは時期国民議会に当選したものの、指名手配されたために逃亡中である。

 「政府が私たちを攻撃するし、アルカイダも攻撃してくる」と彼は言った。

大使館爆破事件で厳戒態勢のバグダッド

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☆★大使館爆破事件で厳戒態勢のバグダッド
Baghdad alert after embassy blasts
アルジャジーラ 2010年4月5日
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http://english.aljazeera.net/news/middleeast/2010/04/2010454255936178.html

 バグダッドでは3連続の自爆事件が発生し、30人以上の死者を出したほか100人を超える負傷者を出したことから、イラクは厳戒態勢に入った。

 外国の外交使節(=大使館など)周辺で発生した自爆事件の犯行声明は出ていないが、捜査に当たっているイラクの治安当局者は、一見したところではアルカイダの犯行だろうと語った。

 また、イラク外相はAFPの取材に、アルカイダの手口に似ているが、調査中であり決めつけるのは早すぎると述べた。最大の衝撃を与えるために、異なる地域で同時に爆破したり、タイミングや攻撃目標の選定などが、以前の攻撃と同じ手口だという。

 バグダッドの中心部と西部で、数分のあいだに3つの自爆車両が爆発したもので、黒雲が柱となって空にのぼった。

 イラクの治安部隊によると、そのうち2件はエジプト大使館とイラン大使館を狙ったもので、もう一つはドイツ、スペイン、シリアの外交使節に近い場所だった。ドイツとエジプトの大使館では、イラク人の警備員が死亡したが、大使館の外国人職員には死亡者は報告されていない。

 イラク外務省は、外国の外交使節を狙った一連の爆弾事件は、3月7日の総選挙のあとという時期に政治的混乱を引き起こそうとしたものと指摘した。連立与党がどのように形成されるか、という選挙の最終結果はまだ出ていない。
 

占領軍と傀儡政府軍が100人以上を拘束

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☆★占領軍と傀儡政府軍が100人以上を拘束
Occupation-Puppet Forces Arrest over 100 Iraqis
HEYET Net (イスラム法学者協会) 2010年4月2日付
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http://www.heyetnet.org/eng/iraq-news/5365-occupation-puppet-forces-arrest-over-100-iraqis.html

April 2, 2010

 アメリカ占領軍と宗派主義政府の軍隊および警察は、あまざまな地域で見差別の大量拘束作戦を野蛮に展開しており、これまでに逮捕された市民は100人以上にのぼる。

 モスル市西部のタル・アッラマン、ヤルムーク、サヒル・アル・アイマンでは警察の警ら部隊が民家を強制捜査し、30人の市民が逮捕された。

 ディカル州では、宗派主義の政府軍が、バサ、サディナワ、イスラー、サイード、ダヒルを強制捜査し、市民15人を逮捕した。

 首都バグダッドでは、米占領軍が市内西南部でおこなった強制捜査で、市民4人を逮捕したと発表した。

 他方、アンバル州で報道された情報によると、中央政府直轄の警察部隊がアル・カイム市内のハシーバ地区で市民33人を拘束した。

 カルバラ州からの情報によると、宗派主義政府の警察部隊が行った強制捜査で、市民14人が逮捕された。

 さらに、カルバラ州の別の場所でも、宗派主義政府の治安部隊が市民1人を逮捕した。

2010年4月3日土曜日

なぜファルージャ住民はアラウィに投票したのか?

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☆★なぜファルージャ住民はアラウィに投票したのか?
    --アラウィ=米軍にファルージャを破壊させた男
Why Did Iraqis in Fallujah Vote For the Man Who Let the U.S. Destroy Their City?
IWPR(戦争と平和の報告研究所) 2010年3月31日付
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http://www.alternet.org/story/146256/

Institute for War and Peace Reporting (IWPR)
By Uthman al-Mukhtar and Fadhil al-Badrani

March 31, 2010

 アブドラー・メシルがゲリラ活動をしていた時期、彼はファルージャの聖職者たちがアラウィ元首相を不信心で裏切り者だと貶す(けなす)のを耳にしたことだろう。

 しかし先月行われた国民議会の選挙で、ファルージャに住むメシルと何千もの支持者はアラウィをリーダーとして称賛し、彼が選挙で勝利することに貢献した。その政治家こそ、かつてスンニ派アラブ人の抵抗拠点だったファルージャに、凶悪な猛攻撃を指図した人物である。

 IWPRがインタビューしたファルージャ市民は、自分たちがアラウィに投票したのは、イランに支援されたシーア派政党が主導権を握ることを恐れたからであり、復興のペースがのろいことが不満だったからと話した。

 6年前にファルージャを破壊した張本人と非難された人物は、今日の再建計画には最適の人物なんだと彼らは言った。

 メシルは銃を手放してからは鍛冶屋をしているが、「私たちの抱える最大の問題は失業問題であり、2004年の戦闘で破壊された財産への補償金が未解決なことだ」という。

 「中央政府の予算から補償金をしぼり出すことのできる、力のある首相を国民は求めている」と彼は言い、それにはアラウィこそが適任だと付け加えた。

 アラウィの出自はシーア派アラブ人ではあるが、彼が率いるイラキーヤ陣営は世俗主義(政教分離)を掲げ、国内のスンニ派アラブ人に人気のある指導者を多く擁立していた。

 「世俗主義のシーア派教徒は、スンニ派のイスラム主義者や部族指導者よりも良い」とメシルは言ったが、それは市民多数の見解と共鳴するものだった。

 先週公表された3月7日総選挙の最終結果は、イラキーヤが全国で最多議席を確保し、マリキ現首相の率いるライバル会派をわずかながら抑えた。

 選挙結果はマリキとの激しい接戦を演じることになり、結果確定をめぐる議論と連立与党の形成に何ヶ月かかかりそうだ。

 次の政府で誰が首班になるにせよ、イラキーヤはバグダッドの北と西の諸州で圧勝し、スンニ派アラブ人の強力な代表として自らを確立した。

 ファルージャ市が属するアンバル州では、14議席のうち11議席をイラキーヤが確保した。ファルージャに配分された6議席のうち、イラキーヤが4議席だった。

 2004年末のファルージャに対する米軍の攻撃は、何百人もの死者と何千人もの難民を生み出した。この軍事作戦は当時首相だったアラウィの後押しを得て、ファルージャを統治する実権をとり戻すことが狙いだった。

 2005年の国民議会選挙では、アンバル州の有権者の多くはスンニ派の指導者に投票したが、彼らはイランと結びついたシーア派政党の支配するバグダッドの政治家連中に手玉にとられてきた。

 宗派抗争がピークに達した時期、イランは最大の外敵という位置づけを、アメリカからイラク国内のスンニ派アラブ人に切り替えた。

 アンバル州の反政府ゲリラは、そのうち、米軍に支援された覚醒会議と呼ばれる部族の武装グループに抑えられた。その武装グループの指導者たちは、昨年の地方選挙で見返りにありついた。

 しかしながら、先月の選挙では、ファルージャ住民はイラキーヤに投票し、彼らはその理由を、古手の指導者たちでは戦災の復興という難問に取組めないからだ、という。

 彼らはまた、シーア派の影響や汚職の一掃に取り組む指導者を求めていると話す。それは2004年11月に米軍がファルージャを包囲して以後、スンニ派アラブ人の発言権が低下したことを反映している。

 ゲリラ活動に参加したために2年間投獄されたカリム・アッ・ドレイミは、ファルージャ市内の電気と水道設備はそっくり取り替える必要があると話す。彼はさらに、ファルージャ攻撃以来ずっと災難つづきの子どもの健康問題について、病院に治療を求めても住民の要求は何一つとりあげられない、と不満を述べた。

 「汚職も深刻な問題になっている」と彼は言う。「秩序を重んじるという口実で、族長たちが市の実権を握っている。彼らは自分を法律の上にあると考えている・・・。私たちがイラキーヤに投票したのは、彼らが汚職にまみれた役人を解雇し、私たちの苦難の根源を一掃すると約束したからだ」。

 ドレイミもメシルも、選挙でアラウィに投票するなんて、以前だったら考えられない、と2人とも口をそろえた。「以前なら、彼は今回の得票の半分も獲得できなかっただろう。当時は誰もが、ファルージャの人道的危機はアラウィのせいだと非難していた」とドレイミが説明した。

 米軍は今年、兵力の半分を撤退させる計画だが、多くのスンニ派アラブ人は、イランに後押しされる政治家がバグダッドで(イラク政府の中で)さらに力を増すだろう、と心配している。

 アラウィはイランの干渉について、遠慮のない批判をしてきた。選挙期間中は、フセインのバース党とつながりがあると難癖をつけて候補者をパージ(公職追放)した黒幕はイラン政府だと非難した。

 ファルージャの有権者たちは、アラウィをイランに立ち向かうことのできる指導者として称賛し、また宗派主義(特にシーア派至上主義)を拒否するために彼を支持することにした。

 教師をしているナイフ・ジャバルは、不公正と宗派主義と貧困を一掃するためにアラウィに期待した、と語った。「アラウィに投票することによって、アンバル州の住民は、宗派にこだわって指導者を選ぶシーア派に反対し、宗派至上主義にノーを突きつけた」と彼は言った。

 タクシー運転手をしているマフムード・カリムは、家の中の全財産を2004年の戦闘で焼かれたが、それでもアラウィに投票した、と話した。 「彼はどのセクトにも所属してない。しいて言えば、イラクだ」と。

 主婦であるメヤアド・サラムは、シーア派政党がイランの手引きをすることを恐れ、アラウィが宗派主義に立ち向かっていることを評価した。「彼は世俗派の指導者だ」と彼女は言った。

 前に投獄されたことのあるドレイミは、アラウィは昔はアメリカの傀儡(かいらい)と見られていたが、今はイランの影響が強まることに対する好敵手と見られている、と述べた。「イランの手先になるより、アメリカの手先になる方がいい」というのが彼の言い分だ。

 ファルージャ攻撃においてアラウィの果たした役割を許す人間は、ファルージャには1人もいない。ジャシム・アル・ジュワイミは、2004年の戦闘で息子と家を失った。

 彼は、「ここの者は間抜けだ。彼らはアラウィが何をしたかを、もう忘れてしまった。彼はテロとの戦いを口実に、私たちの子どもを米軍に殺させたんだぞ」と批判する。

 ジュワイミはさらに、アラウィはいったん権力を手にすると、支持者を裏切るだろう、と付け加えた。「アラウィが連立政府交渉のためにシーア派の指導者と連携するとき、スンニ派住民は自分たちの大きな間違い」に気づくだろう」と。

 ファルージャ出身の政治アナリストであるハリド・アスワドは、アラウィ陣営は大衆的人気のある新人を候補者に採用し、ライバル陣営の裏をかいた、と解説した。

 アスワドに言わせると、「アラウィの戦略は、選挙戦が公式に始まる何ヶ月も前から実行された。街で尊敬される人物、例えば医師や技術者、教師などを候補者名簿に挙げ、それで有権者を自分の陣営に惹きつけることができた」。

 ファルージャではイラキーヤと競いあった陣営もイラキーヤに勝利の祝意を送ったが、それでも、地方政治においては自分たちが決定的役割を持ち続けることを強調した。

2010年4月1日木曜日

議員失格処分でイラクの選挙結果はどうなる?

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☆★議員失格処分でイラクの選挙結果はどうなる?
Iraqi Vote Results In Doubt After Disqualifications
NPRニュース 2010年3月31日付
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http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=125365102&ft=1&f=1001

 1月にはイラクの総選挙を脱線させそうになった、あの物議をかもす某委員会がまたも表面に出てきた。かつて米国防総省の仲良しだったアハメド・チャラビが率いる委員会は、今週になって、3月7日投票の国民議会選挙で当選した候補者のうち6人が、サダム・フセイン政権と密接な関係があり、失格とされるべきだと発表した。

 評論家たちによると、彼らを失格にすることは、シーア派とスンニ派の連合会派イラキーヤと世俗主義者アラウィのリードを帳消しにすることにはならない、という。アラウィの会派は国民議会に91議席を獲得し、89議席を獲得したマリキの法治国家連合を上回った。

 わずかながら2議席のアラウィのリードは、政府を樹立する最初の機会をアラウィに与えるという意味であった。

 しかし今週になって、議会外の某委員会が、アラウィ陣営の議員4人がサダム・フセインの与党だったバース党とつながっている、と発表した。ディヤラ州(バグダッドの北東)出身のムハンマド・ウスマンは、名指しされた中の1人である。

 ウスマンは電話取材のなかで、これは政治的な抹殺だと批判した。今週バグダッドに出かけるに際して、彼は姿を隠して身なりも変え、アラブの伝統的衣装をまとった。

 ウスマンは、バース党員だったことは一度もないし、自分に出された逮捕状はニセモノだ、と語った。

 彼は、罪になるとことはしておらず、4年間ディヤラ州の知事も勤めたという。「なぜ、その時に彼らは逮捕しに来なかったんだい?」

 バグダッドでは、彼は脱バース党委員会の支配に抗議しようとした。この委員会は、当初はアメリカに承認され、チャラビの下で運営されてきた。総選挙の直前には、この委員会が500人以上の立候補者を失格にし、あやうく選挙をつぶすところだった。

 今週開いた記者会見で、脱バース党委員会は仕事を再開し、当選者のうち6人はバース党員だと発表した。それにはアラウィ陣営の4議員が含まれ、アラウィの僅差のリードを帳消しにするのに十分な数だった。

 その委員会の事務総長をしているアリ・アル・ラミは、国連とアメリカから圧力がかかったので、候補者は当初の場所で立候補するなら許されると発表した。

 ラミは、アメリカ大使館を含めて外国からの干渉を許さないと述べた。

 しかし多くの議員たちが、委員会はチャラビの政治的ライバルに対抗して活動しており、異議申し立てに対しても決して証拠を提出しない、と告発している。

 アメリカの駐イラク大使であるクリストファー・ヒルは、経過が公開される必要がある、と語った。

 「われわれは法律および憲法に明記された脱バース党法の条文を理解している。必要なことは、経過が公明正大にされるべきだということだ。人々はアメリカを好きなように非難することができるが、しかし必要なことは問題をイラクの法廷で裁くことなんだ」と彼は言った。

 イラクの法廷は、過去には脱バース党委員会に寄り添っていた。マリキ首相は、いかなる法的手段を講じても、選挙結果をくつがえしてみせると言いはなった。

総選挙後のイラク情勢

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☆★総選挙後のイラク情勢
Iraq's Post-Elections
ライラ・アンワルのブログ 2009年3月28日付
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http://arabwomanblues.blogspot.com/2010/03/iraqs-post-elections.html

An Arab Woman Blues 
Layla Anwar
March 28, 2010

 なんでこんなダメ男についてブログするんだろう? まったく信用できないヤツ・・・、本だってカバーを見れば分かる。

 アラウィは、もう一人のダメ男チャラビと同じで、イギリスとアメリカの諜報機関に雇われた(または雇われている)犯罪者、それ以外の何ものでもない。

 それでもイラク人にとっては、シーア派至上主義政党によって息をつまらされ、抑圧され、暴君と独裁者とテロリストの支配を押しつけられてきた状況から、わずかに窓が開いて新鮮な空気が入ってくるようになるなら、一縷の望みを抱いてもいた。

 今回の選挙に示されたこと、それこそ私が州ごとの投票結果まで紹介した理由であり、これまでの不誠実でグロテスクなあらゆるプロパガンダに反論するうえで、幾つもの事実と明白な証拠を与えてくれた。2003年の占領をもたらしたプロパガンダ、いわゆる左翼やリベラルな進歩派、あるいは反戦を掲げる役立たず連中などが持ち込んだプロパガンダのこと。

 最初に挙げるべき明らかなウソの一つは、サダム・フセイン政権がスンニ派主体の政権でイラクのシーア派を抑圧していたというもの。これは最初のウソであったし、今もウソである。そして、次のようなウソが続く。曰く、スンニ派(アラブ人)が、宗派主義から無実の市民に争いを仕掛けた云々、そして彼らは口をつぐむ。

 ウソはさらに進化した・・・。アルカイダがイラクに引き入れられたのはアメリカとイランの仕業であったし、アルカイダが殺したのはシーア派だけでなく、多くのスンニ派を虐殺し、イラク・レジスタンスのメンバーも虐殺された。

 2つめのウソは、シーア派が1990年代に蜂起したあと、イラクで集団墓地に埋められたというもの。1990年代にシーア派の蜂起(インティファーダ)はなかった。事件の真相は、1万人のイラン人がイラク南部に侵入し、蜂起をでっちあげようとしたというもの。名前を挙げておくが、ここで覚えておく必要のあるのはチャラビの名前と、そしてバグダッドでは、アラウィが爆弾を仕掛け、無実の市民を殺すという別の事件を起こしたこと。

 90年代に起こったこの2つの事件は、フセイン政権転覆を企んだもので、空からは、イギリスとアメリカの野獣が定期的に空爆を行っていた。この2つの企みの首謀者、チャラビとアラウィは、今日のイラクで政治の表舞台に立っている。そして2人とも、イラクの大地に足場を築くことになったのは、イランの協力を得た野蛮なアメリカと、グレイトとはいえそうもないブリテン(イギリス)のおかげ。

 それで何故、私はこんなことを書くの?

 選挙の結果が、不完全ながらも、皆さんが認めたがらない真実を明らかにしたから。

 スンニ派の大多数はシーア派の人物(アラウィ)に投票したと言うが、このことが示しているのは、イラクはアメリカによる占領とイランの干渉を目の当たりにしながら、それより優先して宗派にこだわるような宗派主義の社会ではないということ。

 いわゆるクルド地域では、キルクーク以外は、クルド人だけが立候補を認められた。つまりアメリカが持ち込んだ連邦制が、まだ機能しているということ。
 
 ひじょうに明確になったことは、南部のシーア派の多い州はまだイランの支配が強いということ。これらの州では、投票は宗派のラインにもとづいて行われ、世俗主義(政教分離主義)者はシーア派教徒であっても受け入れられなかった。連邦制という政治的テーマが、イラクの3分割案としてここでも機能している。

 前にも書いたし、これからも繰り返すだろうけど、イランとその手先のシーア派は、次のような方針を採用している。

 アメリカ/イスラエル/イランの計画に抵抗するイラク人には民族浄化作戦でのぞむ。ここで抵抗というのは、武装レジスタンスに限定しない占領に抵抗するレジスタンスのグループまたは個人のすべてを指し、彼らはあらゆる政府機関に浸透している。

 イランおよびイラク国内にいるイランの代理人は、シーア派政党とその民兵が同時に幾つもの窓口を開いていて、例え一つのグループが失敗しても、常に替わりのグループが採用される。こうしたグループは外見が異なり、違う利益を追求しているように見えても、とどのつまりは法治国家連合とINAの間におさまる。マリキのダーワ党にしろINAにしろ、どちらもイランの僕(しもべ)である。

 アラウィの世俗主義会派のなかにも、イランに仕える小さなグループがある。もっと言えば、サレハ・アル・ムトラクを追放したのは、イランだけでなくアメリカの仕業というのが私の見方。別の言い方をするなら、チャラビとアラウィがムトラク追放を望んでいた。

 最終開票結果が発表されて2日後、スンニ派住民殺しがまた始まった。すなわちディヤラとバグダッドで、マリキはテロの発生を警告していた。さらに、INAブロックで勝利者となったサドル派は26日、ハキムと一緒にイラン詣でに馳せ参じ、タラバニとアブデル・メフディも命令を受けとるために出仕した。

 こうしたなかで、アラウィに残された余地はひじょうに小さい。彼の会派に属するスンニ派の候補者が、逮捕されたり殺されたりしているだけでなく、マリキの新たな宣戦布告が彼を連立工作に向かわせたが、・・・誰との連立? 残るのはINAのサドル派か、はたまたクルドか。もしアラウィがシーア派政党と連立を組めば、彼が支持者の半数を失うことは確かである。選挙結果の公表後2日にして、既にスンニ派に対する新たな魔女狩りが始まった。

 また今日になって、さらなる事実が明らかになって、サダムが伏せていた集団墓地64ヶ所が掘り返されたという。イラクの人権を訴えて得票ゼロに近かった浅ましい女性が、ついにはマリキのために動いて真実を語ったというのだが、未遂に終わった。バグダッドとディヤラで掘り返された集団墓地というのは、以前にも指摘したことがあるが、スンニ派住民の墓地であった。イラクにおけるスンニ派アラブ人は、2003年までは人口の45%を占めていたのに、今は15%にまで減ってしまった。その理由がここにある。

 アメリカだけを非難したがる人々に、もう一つの真実を教えよう。宗派主義の争いを発動したのはアメリカだが、アメリカだけではそれは実行できなかった。そこで必要とされたのは、イランに忠実なシーア派だった(訳注/シーア派のすべてがイランに忠実という意味ではない)。イランが帝国主義大国に反対していると信じる余り、その愚かさゆえに隠されてきた真実の一端がこれである。

 結論として、ことは2003年以降のできごとである。イラク分割計画はまだ続いており、アラブ諸国がアラウィを歓迎する一方で、イランの公然たる干渉の野望が強くなっている。そしてアメリカは「解放」のためのイラク駐留を延長する理由を見つけるだろう。そこには敗者は1人しかいない--1人だけであり、犠牲になったのも1人だけ、代償を支払い汚名を着せられるのも1人、それはイラクである。

バース党がアラブ諸国にレジスタンスとの協議を要請

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☆★バース党がアラブ諸国にレジスタンスとの協議を要請
Saddam fugitive urges Arabs to talk to Iraq "resistance"
AFP 2010年3月28日付
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http://news.yahoo.com/s/afp/20100328/wl_mideast_afp/arabsummitiraqibrahim

Sun Mar 28, 10:21 am ET
ドバイ発(AFP)

 3月28日に放送された録音テープのなかで、サダム・フセインのナンバー2(副官)であり指名手配されているイザット・イブラヒム・アル・ドゥーリは、イラク国民の唯一の代表者である「レジスタンス」グループと協議するよう呼びかけた。

※イザット・イブラヒム・アル・ドゥーリ=米軍の手配書、スペードのキング
http://d.yimg.com/a/p/afp/20100328/capt.photo_1269785989054-1-0.jpg?x=213&y=302&xc=1&yc=1&wc=289&hc=410&q=85&sig=KATsZ9Zx.fPTYkYJ.FKYIA--

 、「イラク国民は、皆さんの首脳会議(アラブ・サミット)が、イラクとイラク国民の代表として、レジスタンスの指導者をアラブ連盟とアラブ首脳会議に招待することによって、歴史的かつ勇気ある立場を採用することを申し入れる」--アルジャジーラTVで放送されたメッセージのなかでイブラヒム語った。

 彼はリビアで開かれたアラブ首脳会議に出席したアラブの指導者に、「武装および非武装のレジスタンス・グループを承認し、イラクの占領当局との外交関係を破棄し、それらの外交関係にもとづく義務を破棄する」ことを要請した。

 バース党(イラク)の最高決議機関である革命指導評議会でサダム・フセインに次ぐナンバー2だったイブラヒムは、処刑された独裁者の有力幹部として最重要手配されている。

 彼の首には懸賞金1000万米ドルが懸けられていて、イラクまたはシリアに隠れていると考えられている。

 イラクのホシア・ゼバリ外相は25日、リビアの指導者ムアンマー・カダフィがイラクの野党メンバーを応接したことから、リビアで開催される終末の首脳会議を欠席すると警告していた。

 リビアの公共放送であるJANAニュースは、首脳会議の数日前、カダフィがイラク野党勢力の高位の代表使節団を応接したと報道した。

 その代表使節団には、イラクで非合法とされているバース党の元幹部が含まれていた。

 アメリカは、米軍に対する攻撃の多くは背後でイブラヒムが指揮し、彼がサダムの埋蔵金を使って失業したイラク人をゲリラ兵士に採用している、と繰り返し非難してきた。

 同じように、イラク政府も、バグダッドで昨年政府省庁を襲った攻撃の首謀者として彼をあげつらっている。

 何千人もの米軍兵力が動員されてこの逃亡中の指導者を捜索しており、彼は旧政権の手強い人物の一人として広く恐れられている。