2010年4月7日水曜日

軍服を着た武装集団が村人24人を殺害

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☆★軍服を着た武装集団が村人24人を殺害
  --バグダッド南部のスンニ派居住地で
Gunmen in military garb kill at least 24 in Sunni area south of Baghdad
ワシントンポスト 2010年4月4日付
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http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/04/03/AR2010040300823.html?wpisrc=nl_cuzhead

By Leila Fadel and Jinan Hussein
Sunday, April 4, 2010

 バグダッド発 -- イラク治安部隊と米軍兵士の身なりをした武装グループが、家から家へと移動しながら、銃撃いたりノドを切ったりして住民24人以上を殺害した。当局者と住民が4月3日(土曜日)に証言した。

 1時間ばかり続いた事件の犠牲者には女性と子どもも含まれていたが、最も多かったのはスンニ派の準軍事組織である覚醒会議のメンバーだった。彼らは米軍と手を組んでゲリラと戦い、「イラクの息子」の呼び名で知られている。

 今回の殺人は、2006年と2007年にイラクを内戦状態にひきずりこんだ宗派主義の暗殺事件のあと、最も野蛮な事件といえるだろう。米軍はイラクの都市でのパトロールを行っておらず、今回の殺人事件は、シーア派政府に不信感を抱きながらも米軍と行動を共にしたスンニ派アラブ人の部族に、見捨てられた感情を抱かせることにもなった。

 アメリカ軍は昨年末、「イラクの息子」の指揮権をシーア派主導の政府に移譲した。

 イラクの捜査当局と住民は、バグダッド南部で起きた殺人事件は反目した部族に復讐しようとスンニ派ゲリラが実行した、と考えている。しかしそれとは違って、今回の殺人事件は、かつてスンニ派住民を殺害するために「暗殺チーム」を編成したシーア派によって実行されたもので、先月の総選挙でスンニ派が見せつけた政治的影響力に対して、彼らが背後から襲いかかろうと狙っているとする見方もある。

 アメリカ軍は夏以降、イラクの諸都市から引き揚げたが、かつて反政府ゲリラの拠点であったバグダッド郊外の農村地域には、少数だが部隊を駐留させている。現在、米軍が入手するテロ関係の情報の多くは、イラク軍の指揮官を経由したものとなっている。

 部族の長をつとめるアダイ・ジュブーリは、「アメリカ軍はこの地域での活動を支援した人々を見捨てたが、その結果はどうなったか? その人々は今、殺されたり逮捕されたりしているのに、誰も彼らを保護してくれない」と話した。

 米軍は今回の事件を非難したものの、事件をイラク軍と関連づけることには疑問を呈した。

 バグダッドの米国大使館広報官フィリップ・フレインは、「事件を正当化できるものは何もない。イラクの警察と司法当局には本件を徹底的に調べ、犯人を裁くようう要請する」と語った。

 事件の始まりは、4月2日の朝、バグダッドの真南にある農村ホッラジャブに武装グループがやって来たことに始まり、彼らは民家に隠れて暗くなるのを待った。

 部族の長であるジュブーリの話では、その家に近づく住民に中から男たちが英語で「あっちに行け」と叫ぶ声が聞こえたあと、アメリカ兵がその辺りにいた、というウワサが広がっている。

 事件の公式報告とは異なるが、地元住民は殺人は2日午後8時頃から始まったという。村人や犠牲者の親族の者は、イラク連邦警察が運転する小型トラックのような車に乗って、武装した男たちがやってきた、と話した。

 別の村人の証言では、歩いてやってきた男たちが、民家で男性1人と女性1人を殺し、その家に夜まで隠れていたという。彼らはその後、覚醒会議のメンバーであるシャキル・ハミドの家に向かったといわれる。ジュブーリは、武装グループは女性と子どもを1室に集め、男5人は屋上に連れて行ってノドを切り殺した、と語った。その後、彼らはトラックを盗みだして、次の目標にむかった。別の民家2軒でも16人が殺された。

 事件で義姉を殺されたカシム・アル・アアムリーによると、武装グループは殺人対象者のリストを持っていて、名前を呼びあげて並ばせたあと、近づいて射殺したという。犯人らが午後9時に立ち去るまでに、25人が殺されたという。

 ムスタファ・カマル・シャビーブは、バグダッドの真南に位置するアラブ・ジュブール地区で覚醒会議の責任者をいているが、「イラクのアルカイダに所属する犯罪者どもが活動を再開させたようだ」と語った。

 シャビーブは3月7日の選挙に立候補する予定だったが、バース党支持者という疑いをかけられて立候補を禁じられた。

 ある米軍将校は、イラクのアルカイダが「イラクの息子」(覚醒会議)に仕返しをしていると推測しているが、覚醒会議のメンバーは、自分たちが政府に狙われていると感じている。彼らの多くは元々反政府ゲリラだったことから、政府高官は彼らを信用してない。

 この将校は覚醒会議に関連して、「アルカイダとは交渉中だ。彼らは覚醒会議に恩赦を申し出ている」と語った。

 バグダッドの治安部隊は今回の事件に関連して25人を拘束したが、ホッラジャブで捕まった7人は釈放された。

 しかし現地の部族指導者は、その拘束はデタラメなもので、犯人たちは逃げ去った、と話した。

 選挙での得票が少なかったあるスンニ派政党(イスラム党/訳者)は、今回の殺害事件はスンニ派過激グループ(アルカイダのこと/訳注)の仕業ではなく、シーア派のイランに後押しされた宗派至上主義者の犯行だと主張した。

 イスラム党は声明のなかで、「彼らは治安部隊の制服に身を包み、政府の配給する車両と武器を使って犯罪を遂行した。どうしてこんなことが起こるのか?」と指摘し、「イラクの的によって引き起こされた今回の残虐な犯罪を強く非難する。陰険な外国の狙いはイラクを殺人と移住の日々に逆戻りさせることであり、暴力による報復には反対する」と述べた。

 今回の事件は、シーア派のマリキ支持勢力が、スンニ派とシーア派に指示された世俗主義者アラウィの激しい追い上げを、振り切ろうとしているさなかに発生し、その政治的優位争いに新たな緊張をもたらした。

 3月7日(投票)後の結果が定まるのは夏になると見られており、政争がテロに発展しないかと憂慮する政府高官も多い。

 「イラクの息子」と呼ばれ米軍に協力したスンニ派アラブ人は、自分たちは特に攻撃を受けやすいと感じている。部族指導者であるカイス・アル・ジュブーリは、「覚醒会議のメンバーは今、誰からも攻撃されやすいのだ」と語った。彼は自分の影響力が及ぶバグダッドの南部で、国民和解を演出するために、米軍はもとよりイラク軍、政府とも協力した人物である。ジュブーリは時期国民議会に当選したものの、指名手配されたために逃亡中である。

 「政府が私たちを攻撃するし、アルカイダも攻撃してくる」と彼は言った。

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