2011年5月4日水曜日

ビン・ラディン殺害の舞台裏

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☆★ビン・ラディンの死を喜びたまえ、最悪の事態はこれからだ
Celebrate Bin Laden’s death for now, maybe the worst is yet to come
Roads to Iraq 2011年5月2日付 
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http://www.roadstoiraq.com/2011/05/02/celebrate-bin-ladens-death-for-now-maybe-the-worst-is-yet-to-come/

 欧米社会がオサマ・ビン・ラディンの死を祝っているなか、クウェートの新聞アル・ジャリダが今日報道した小さな記事に目をとめた者はいない。

 その記事とは: オサマ・ビン・ラディンの側近の一人であるラムジ・ムワフィ博士は、物理分野の顧問でもあり、4年前にエジプトで逮捕され投獄されていたが、1月30日に脱獄していた。ラムジ博士は、ビン・ラディンからは「ドクター・ケミカル(化学)」と呼ばれていたが、5年前にはアルカイダで化学兵器を作る専門家であり、またリーダー(ビン・ラディン)の物理顧問であった。

 国際社会および政治的範疇においては、オサマ・ビン・ラディンの殺害は、その他のもっと深刻な脅威に比べると、それほど優先順位が高いものではない。たしかに長い間、この人物は多くのイスラム武装グループのなかでシンボル的かつ魅惑的な存在であった。しかし今、アフガニスタンとパキスタンにおいて起こっている事態は、アルカイダではなくタリバンが主役である。

 ビン・ラディン殺害の発表とメディアの騒ぎぶりは、事件の背後に何かあるのではないか、と思わせるほどである。今朝、私の目にとまったニュースは、次のようなものだ。

 --イスラエルで恐れられているのは、アラブ世界で発生している事態であり、(シリアの)バシャル・アル・アサドが辞任すると、イスラエルはイスラム主義の国家によって包囲されてしまう、ということである。シリアに機会を与え、マスコミの圧力をやわらげるために、アメリカがオサマ・ビン・ラディン殺害を発表したとしても、じゅうぶん理屈は成り立つ。

 --イスラエルとアメリカに対するエジプト指導部の態度が変化し、リビアとシリアでイスラム主義が台頭している事態は、アフガニスタンから米軍を撤退させるために、ビン・ラディン殺害を発表させるだけのプレッシャーをオバマに与えていた。

 今、米欧諸国はイスラム主義を2つのグループに選別している、とチェチェン大統領が説明した。

 彼の説明によると、「あまり悪くない」イスラム主義者は、欧米諸国にドアを開いて、仲間入りしようとしている。そのよい例はリビアのイスラム主義者で、彼らはNATOにリビア空爆を許可した。またエジプトのムスリム同胞団は、ビン・ラディンの死を祝って、「テロを引き起こす原因の一つが取り除かれた」と発言した。

 もう一つの、「悪いイスラム主義者」とはハマスであり、彼らはビン・ラディンが殺されたことを非難し、またアル・マクリジ研究センターのハニ・シバイイ師はビン・ラディンの師を追悼した。

 オバマ(米大統領)によるオサマ・ビン・ラディン殺害の発表は、次の大統領選挙に向けたレースで、オバマに有利な局面を与えるだろう。それは、経済的挫折の結果、失いかけたアメリカの信頼を回復させるかも知れない。

 オサマ・ビン・ラディン殺害の背後にある本当の動機について、アメリカ市民が疑問に思う日がやがて来るだろう。そして大統領再選のために、アメリカの安全保障を危険に陥れた者として、オバマとオバマ政府を呪い始めるであろう。

2011年4月18日月曜日

放射能に汚染された地域

 福島第一原発の事故レベルが、史上最悪の原発事故と言われてきたチェルノブイリ原発事故と同じ、「レベル7」に修正された。ここに訳出した記事は、それよりも前、4月9日に発表されたものだが、諸般の事情で、訳すのに時間がかかってしまった。

 海外のジャーナリストや原子力の専門家が、福島原発事故をどのように見ているか、日本の報道とはちょっと違った視点を紹介する。この記事の筆者は、イラク問題でも多くのレポートを紹介してきたダール・ジャマイル。

 なお後半部分はアメリカの原発政策や、日本の原発にありがちな同一施設内に幾つもの原子炉を設置することの問題性にも言及している。これらも大事なのだが、深刻な問題であるだけに、普段以上に慎重さと集中力が必要で、時間もかかるために割愛した。

 今回はイラク問題ではないが、皆さんも関心が強いと思い、番外編。と言っても、全くの別問題だとは思っていない。放射能の問題はイラクでも重大問題であり、劣化ウランの製造過程は原発と不可分のことでもある。

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☆★福島: 「放射能に汚染された地域」
Fukushima: A 'nuclear sacrifice zone'
by Dahr Jamail /AlJazeera English 2011年4月8日付 
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http://english.aljazeera.net/indepth/features/2011/04/20114812554680215.html

08 Apr 2011 15:37

 日本の福島第一原発は、3月11日に発生したマグニチュード9の大地震後の津波によって損壊したが、ひじょうに高レベルの放射線を太平洋と土壌、そして大気中に拡散し続けている。

 福島原発を運転している東京電力は、4月5日、放射性ヨウ素131は第2号機の取水口近くの海面から検出され、法的規制値の750万倍以上であった、と発表した。この時検出されたサンプルは、東京電力が1万1000トン以上の放射能汚染水を海に放出する直前に採取されたものである。

 放射能を含んで太平洋に放水された水は、ヨウ素よりもはるかに半減期の長いセシウムが食物連鎖で濃縮される恐れがあり、専門家は警告を発している。

 プリンストン大学の科学及び世界安全保障プログラム(PSGS)で核の安全保障を専門とする物理学者MVラマナ博士は、アル・ジャジーラの取材に、「事態を安定させるのは非常に難しいと見られている」と語った。

 燃料棒が高温のままで、高レベルの放射線が放出され続けているために、原発の運転作業員は損傷した原子炉をコントロールできないでいる。

 発電所内の冷却システムが再稼働するまで、放射線は発電所から漏れ出るであろう。

 原子力保安院の西山英彦広報担当は、4月3日、核危機を収束させるのにどの程度の期間がかかるか所感を述べた。

 「最終的に事態を制御し、将来的な見通しを持てるようになるまで、数ヶ月かかるだろうが、しかしそれで終わりというのではない。」

 ラマナ博士は、「風は海向かって吹くことが多く、その後は大きな爆発は起こってなく、使用済み燃料はどれも発火してない」ので、現在の状況は「良い方へ向いている」とアルジャジーラに説明した。

 ◆最悪の展開の場合

 最悪の展開だとどうなるかについて、「炉心溶融、あるいは爆発もありうる」と彼は見ており、「好ましいことではないが、可能性はある」という。

 メアリー・オルソン女史は、原子力情報資料サービス(NIRS)の東南事務所長で、NIRSは原子力発電所および放射性廃棄物そして放射線に関心を持つ市民および環境団体にむけて、情報提供とネットワークのセンターとなっている。

 オルソン女史は最悪のシナリオについて、ラマナ博士と同じ問題意識を持っている。

 「最悪のシナリオはまだ起こってないが、可能性は残る」と、オルソン女史はアルジャジーラに語った。「その場合(最悪の場合)、原発内の放射性物質を広い範囲にまき散らすような、何らかの爆発が起こる」。

 オルソン女史は、科学史と生物学を専攻する生物学者で、パデュー大学で化学および生化学を研究しており、アメリカのスリーマイル原発事故の影響に関心を持ってきた。「そこで生成された汚染物質は、すべて、計画的に規制された方法で環境に放出された。川に捨てたり、大気中に蒸発させた。」

 オルソン女史は、それと同じことが福島原発事故で今すでに起こっているのを目にし、事態はチェルノブイリ原発事故よりも悪くなるかもしれない、と考えている。環境保護グループの調査によると、チェルノブイリでは20万人が死亡した。

 福島原発の原子炉は、放射線の放出は破滅的レベルになっており、チェルノブイリを上回っている」と彼女は言う。「その内の2機は爆発し、2号炉はメルトダウンした。臨界に達したこともあり、核分裂の連鎖が起こったり、止まったりしていると思われる」。

 彼女はさらに、4号炉内の核燃料は、地震と津波の発生時には、原子炉から抜かれていたことを指摘した。 「核燃料は一つも封印されてなく、全部が(一次)冷却プール内にあったが、それが急速に温度上昇した理由であり、ほとんど注意が払われなかった理由でもある。このこと自体がとんでもないことで、1ヶ月も同じ場所に置いていると、ほんとうに破滅する。」

※訳者註: 上の部分、次のURLページを参照
http://www.es-inc.jp/news/001967.html
ニューヨークタイムズ3月17日
「危険が大きいのは原子炉よりも使用済み燃料」より

 ◆永久の禁令

 危機的状態から脱却するまでには、途中に何もなくても、数ヶ月は要するだろう、とラマナ博士は警告した。

 「膨大なシステムが津波と爆発で損傷しているのを見た」と彼は言う。「冷却水を循環させる電源が失われたのが問題で、事態をすぐに安定させる方策はなさそうだ」。

 オルソン女史も、もしメルトダウンした炉心が発電所の地下の水に触れると、「施設の真下で大きな爆発が発生する」と恐れている。「問題は、解けた燃料が水に触れると、蒸気爆発を起こすということだ」。

 「2号機は核分裂の兆候を見せているので、さらに破滅的なできごとが、ここで起こる可能性が増大している」とオルソン女史は言う。「人々は最悪の事態が回避できたように振る舞っているが、放射線の影響という本当の問題は理解されていない。」

 彼女はさらに、「最近の写真によると、3号炉の燃料プールが破損している」ことを指摘し、「燃料がどこにもない。3号炉内の燃料プールが失われている。どこに行ったのか?」と語った。

 4月7日には枝野官房長官が、現在(7日時点)の20キロの避難指示範囲は、短期間の被ばく線量から算定されたもので、もっと拡大される必要がありそうだ、と発表した。

 50ミリシーベルトという被ばく線量は、原発内労働者が1年間に浴びる制限値である。

 「日本政府が避難を指示した地域は長期にわたるもので、数百平方キロに及ぶが、その外側にも部分的なホットスポットが見つかっている」とラマナ博士は話した。福島原発の周辺にも、何十年も居住が禁止される地域ができるだろう。同じ事態がチェルノブイリでもあった」。

 ※訳注 ホットスポット: チェルノブイリ事故でも多く確認された。汚染レベルの低い地域に、部分的に異常に高濃度の放射能に汚染された地点が形成される。河川に限らず、雨水や地下水が集まりやすい地点や、泉・沼地・森などの周辺に多いが、まったく予想のつかない地点の場合もある。

 オルソン女史もこれに同意し、避難の必要な地域は拡大される、と考えている。

 「現在でも20万人が自宅を離れている」と彼女は言う。「しかし政府は避難対象地域を広げる必要があると言う。北側および西側地域の多くは、永久の禁令、つまり居住禁止ということになるだろう。かなり広い地域賀、居住でき無くなりそうだ。」




http://www.uruknet.info/?p=76685

2011年4月3日日曜日

9年目を迎えるイラク戦争

3月20日に投稿するのを忘れていましたね。 (^_^;)

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☆★イラクでの犯罪的戦争が9年目に--新しい夜明け作戦という名の占領
Criminal war in Iraq enters 9th year
- Occupation continues as Operation New Dawn
戦争と人種差別に反対する現役兵ならびに退役兵士 2011年3月17日
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http://www.answercoalition.org/march-forward/statements/criminal-war-in-iraq-enters.html

March 17, 2011

 2003年3月19日、豊かな産油国に帝国主義のルールを押しつけようと、アメリカ主導の軍隊がイラクを侵略した。「自国防衛のため」と、「民主主義の確立」というのは、この戦争の本当の狙いを隠す、すなわち「イラクの石油の非国有化」という狙いを隠すための、見え透いたウソであった。8年が過ぎて、イラク人100万人以上が殺され、何百万人もが難民化し、生活水準はバグダッドが世界で最も住みにくい都市にランクされるまでに悪化した。

 侵略戦争は2003年に始まったが、イラクは1991年からずっとアメリカの侵略目標とされていた。その間に、「湾岸戦争」で幾万もの市民が殺された。湾岸戦争のあとには、5歳以下の子ども50万人を含む、150万人を殺した大量虐殺ともいえる経済制裁が続いた。

 しかしながら、それほどの残忍性をもってしても、イラク国民をアメリカの前に屈服させることはできなかった。2002年に誕生したブッシュ政府は、人種主義を開始し、あからさまな侵略を支持する大々的なキャンペーンを張った。イラクはテロリストを輸出しているとか、大量破壊兵器を開発しているといった主張は明らかなウソであったが、それにもかかわらず、共和党も民主党も政治家は戦争を承認する投票を行った。

 バグダッドは開戦から数週間で陥落したけれども、国民に支持されたレジスタンスは、占領軍を泥沼に引きずり込み、アメリカが後ろ盾となった政権に戦いを挑んだ。戦闘はエスカレートし、2007年にはブッシュ政府が「増派作戦」を発表した。その作戦には、兵力の増強と同時に、占領に反対している覚醒会議を買収することが含まれていた。武力をともなうテロは減ったが、イラク国民は決して外国の支配を受け入れてはなかった。

 戦争が今日も続いているというのは、10年間近い占領によって経済的および社会的混乱がもたらされ、米軍も駐留しているという意味である。戦闘作戦こそ公式統計では減ったけれども、5万人の米軍はイラクに居座ったままである。

 今年2011年末までにイラク撤退が完了すると思われているが、ゲーツ米国防長官は、期限などどうにでもなる、と強く示唆した。上院軍事委員会の幹部である共和党のアダム・スミスは、今年末時点でのイラク駐留米軍の兵力数を「おそらく2万人」と言った。米軍の恒久基地と集結地は残るようになっている。

◆占領は死と苦悩をもたらした

 イラク戦争は驚異的な数の死者を生んだ。イギリスに本拠を置くオピニオン・リサーチ・ビジネスによる2008年の調査結果によると、戦争の結果として、103万3000人が死亡した。この数字は、世界で最も古く最も尊敬されている科学雑誌の一つ、ランセットによる調査結果ともつじつまがあう。

 しかし、侵略と占領によって引き起こされた人類史的な厄災(やくさい)は、この数字をもってしても本当の大きさを伝えるとは言えない。国連難民高級委員会によると、イラク人の全人口の15%に当たる470万人が自分の家から避難せざるを得なくなり、270万人は国内難民となり、200万人は国外に出た。イラクの子どもは500万人が孤児となっている。

 合法性のないイラク政府では、あらゆるレベルに汚職が蔓延(まんえん)している。イラク公共道徳委員会が発表した2009年の文書は、前年の汚職に関して5031件の苦情申し立てを報告している。3000件以上が裁判所に取り上げられたが、有罪判決となったのは、そのうちの3%にも満たないわずか97件だった。2010年に世界で最も汚職のはびった国のなかで、イラクは第4位にランクされた。

 バグダッドを除くと、イラクの人口の30%が飲料水を得られない。バグダッドでは、その数字はわずかに低い25%だが、農村部よりずっと高い。イラクの電力供給能力は、電力需要の半分を少し超える程度で、ほとんどのイラク人は基本的に電気の恩恵に浴していない。

 失業率は15%に達しているが、不完全雇用を含めるなら、それは43%に昇る。若者は特に失業者が多く、1日平均2.2ドル以下の水準にある者は23%になる。

 イラクは今、劣化ウランと化学兵器の残留物で汚染されている。出生異常とガン、そして乳幼児の死亡率は、イラクが「広島よりもヒドイ」状況になっていることを示しており、史上最悪の惨状よりもなおヒドイ。

 アメリカの干渉がフセイン政権の統治よりも良い生活をイラクにもたらす、と空想した人々は、中東で最悪の人道危機と、一般市民の大量虐殺を目の前に突きつけられている。

◆人々は反撃する

 どうすることもできない犠牲には及ぶべくもないが、イラク人民の粘り強いレジスタンスは、傲慢な政治家と米国防総省の応援団の手に負えなくなった。ラムズフェルド前国防長官は、イラク戦争は「6日、いや6週間、ひょっとした6ヶ月」続くかもしれない、という有名な予言を遺した。

 戦争をすぐに決着させ、安定した傀儡(かいらい)政権を樹立するという彼らの希望は、みずからの独立を守ろうとするイラク人民の決意によって粉砕された。教師、医師、農民、学生といったあらゆる職業のイラク人が、侵略してきた超大国に対して武器をとって蜂起した。

 5000人近いアメリカ兵が、棺桶に入って帰国した。数万人の兵士が深刻な重傷を負い、数十万人が精神的トラウマにさいなまれ、米軍によって不当に無視されるなかで、現在の自殺率の高さに至っている。イラクとアフガニスタンの戦闘で戦死する兵士よりも、もっと多くの兵士が今も自殺している。みずからの命を絶つ兵士たちは、何度も繰り返し戦場に送られ、鎮静剤と抗うつ剤のカクテルで薬漬けになっていた。

 最近の何年かは、武力闘争は沈静化したものの、戦闘はまだ日常的に発生している。米軍支援されたイラク軍とイラク人民とのあいだで、毎日のように戦闘があり、米軍は要塞化した基地に退却することができるとはいえ、毎日、米軍への攻撃が何十件も発生している。今も米兵は殺され、負傷しているのである。

 アラブ世界における民衆蜂起の波の一環として、大きなデモが最近のイラクにも波及した。2月16日には、クート市で数千人の民衆が政府ビルに押し寄せ、その幾つかを焼き払った。デモは北部のクルド地方にも及び、当局の弾圧を受けて死者が出た。

 2月25日には、イラク中の主要都市では、それぞれ数千人規模のデモが「怒りの日」として、街頭デモを行った。幾つかの州の知事が辞任した。イラクの新しい「民主主義」のもとで、警察と傭兵(ようへい)が平和的にデモをおこなっていた市民29人以上を殺害した。ジャーナリストは逮捕され、拷問を受けている。デモを呼びかけた団体の事務所は、政府によって閉鎖され、リーダーが逮捕された。

 アメリカ国民も、アメリカ政府の行為をこぞって支持するどころか、イラク人民に連帯して大規模な街頭行動に参加した。2003年2月15日、世界中で何百万人もが街頭に出て、史上最大の反戦デモに参加した。戦争がイラク人を荒廃させただけでなく、米国内の労働者階級をも荒廃させるなかで、アメリカ全土で何十万人もが参加するようになった。

 何年にもなるなか、米軍内の数千人とイラク戦争の体験者が、反戦運動に参加してきた。彼らは命令を拒否して、みずからの体験を話し、戦争反対の大衆行動を組織しつつある。

 
 帝国主義に反対する運動は、今日も続いている。3月19日、イラク戦争と凶暴化するばかりのアフガン戦争の終結を要求して、十幾つもの都市で、数万人が抗議のデモに参加した。果敢な抗議行動を通して、人々は帝国主義者の占領に終止符を打ち、イラクの完全な主権を回復させることを要求した。

2011年3月14日月曜日

世界の地震報道=外国記者が見た地震の被災と原発

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☆★BBC(英国) トップページ 21:30現在
Japanese crisis worst since WWⅡ
日本は第二次大戦以来の惨劇に
http://www.bbc.co.uk/news/
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http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-pacific-12726297

 菅首相は日本は第二次大戦以来の厳しい危機に直面していると述べた。日本は地震と津波の余波、そして大きくなる原発の危機的状況とたたかっている。

ライブ映像
http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-12307698

 要点
・日本政府は、地震で損傷した福島第1原発の2号炉建屋で、爆発の可能性があると警告した。しかし、プルトニウムとウランを収納する原子炉は、金属製容器で保護されるはずだ、と言った。

・福島第1原発と同第2原発(どちらも福島県内)の周辺地域から、20万人以上が非難しつつある。

・地震で1300人以上が死亡したと思われるが、警察は宮城県だけでも死亡者は1万人を超えるだろうと警告した。

・全体的には、30万人以上が避難生活を送っている。

・米軍の艦船3隻が、沿岸で救援にあたっている。


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☆★アルジャジーラ(英語版) トップページ
日本は核の非常事態
Japan on high nuclear alert
http://english.aljazeera.net/
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http://english.aljazeera.net/news/asia-pacific/2011/03/20113130540539552.html

(動画映像あり)

 部分的なメルトダウン(炉心溶融)が一つの原子炉で進行中かもしれない、と日本政府高官が語った。壊滅的な地震と津波が1万人ほどの死者を出したあと、原子炉の操作スタッフは、福島第1原発の温度を下げようと必死の努力を続けている。

 枝野官房長官は、12日の記者会見で、福島3号炉では部分的なメルトダウンの「可能性が高い」と語った。

 原発から半径20キロ圏内の地域には、約17万人に退避命令が出された。


迫り来る日本の核危機
Japan's looming nuclear crisis
http://english.aljazeera.net/programmes/insidestory/2011/03/201131371952701327.html 

 (ここでも動画映像があります。)

世界が日本に救援チームを派遣
World sends relief team to Japan
http://english.aljazeera.net/news/asia-pacific/2011/03/201131215472352519.html


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☆★原発でメルトダウン発生の可能性
Meltdown may be occurring at nuclear plant, Japanese official says
ロサンゼルスタイムズ 2011年3月12日 米東部時間
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http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fgw-japan-quake-meltdown-20110312,0,2889362.story

 「可能性はある。われわれはメルトダウンの可能性を認める」と、日本の原子力関係機関の幹部がCNNとのインタビューで語った。そして彼は、12日夜に原発近くで行った放射能測定に基づいて話している、と付け加えた。
 
 しかし駐米日本大使は、CNNに、メルトダウンの兆候は何もないと語った。

 ・・・略


※補足: ここに登場する原子力関係機関の幹部というのは、記事にもこのあとに出てきますが、経産省原子力安全・保安院の坂内俊洋氏のようです。世界のマスコミが福島原発の事態に大きな関心を向けるのも、この「メルトダウン」発言のためのようですが、他方では、すぐに駐米大使が、その「メルトダウンの可能性」を確証にもとづくものではない、と否定した。

 事態を正確に、正直に公表すべきことが優先課題であるという事実は、民主党政府になっても一向に変わりないようです。もし「メルトダウンの可能性」が事実であるなら、これは文字通り、世界のトップニュース。それだけの非常事態であることは間違いありません。 



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☆★燃料棒の冷却に懸命の努力、2度目の爆発の可能性も
Workers scramble to cool reactors; official says 2nd blast possible
CNN 2011年3月13日 
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http://www.cnn.com/2011/WORLD/asiapcf/03/13/japan.nuclear.reactors/index.html?hpt=T1&iref=BN1

 日本政府が原発で2度目の爆発の可能性を警告するなかで、労働者は2つの原子炉で燃料棒を冷却するために懸命の努力を続けた。

 地震の影響は、死傷者の数から福島原発の核の懸念に至るまで、第2次大戦後の「日本で最も過酷で深刻な危機」に至らしめた。



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☆★日本は複数の原子炉のメルトダウン回避に懸命
Japan races to avert multiple nuclear meltdowns
AP通信 38分前 (現在は日本時間3月12日23:22)
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http://news.yahoo.com/s/ap/20110313/ap_on_bi_ge/as_japan_earthquake_nuclear_crisis

 政府が複数の原子炉のメルトダウンの危機回避に懸命になり、また放射能汚染の可能性が広がり17万人の住民が地震と津波に襲われた沿岸部から非難するなかで、日本の核危機は緊張を増している。

 原発の運転作業員は、部分的なメルトダウンの可能性が指摘された一連の原子炉で、事態が悪化するのを避けようと、温度を下げるために必死の努力を続けている。

2011年3月5日土曜日

バグダッドでも抗議デモ

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☆★抗議の群衆がバグダッドに集まる
Protesters converge on Iraq capital
アルジャジーラ.イングリッシュ 2011年3月4日発
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http://english.aljazeera.net/news/middleeast/2011/03/20113492534217409.html

 車両の通行止めによって、人々は首都の中心部にむけて何時間も歩くしかなかったものの、何千もの人々が汚職と失業に抗議するために、バグダッドのタハリール広場(解放広場)に集まった。

 アルジャジーラのジェーン・アラフ記者はバグダッドから、治安部隊が抗議の群衆に解散を要求しているため、状況は緊迫しつつある、とレポートした。政府機関が集中するグリーンゾーンに向かう橋は、通交禁止とされた。

 バグダッドじゅうの橋には、当局によって、コンクリートのブロックが設置された。

 「ここで私たちが目にしている光景は、民衆の要求が明確になったとき、政府がそれに回答するであろうことの一端である」とアラフは語った。

 イラクにおける抗議デモは規模が次第に大きくなっており、その理由の一つが、マリキ首相が樹立した連立政府の不安定性にある。

 イラク人は、フセイン政権が倒された後に出現した民主主義の実質に、ますます嫌悪感を強めている。

 「これは新しい民主主義であり、型破りの民主主義ではあるが、駆け引きでは全くない」と彼女は言う。

 「最初は、・・・人々はエジプトとチュニジアのデモを見守っていた。そこで彼らが触発されたことは、特に若者たちは、もし自分たちがデモを行って自分の権利を主張したら、おそらく、何かが変わるだろうということだった」。

 バグダッドで行われた抗議デモは、港町バスラや信仰の地ナジャフも含めて、金曜日にイラク全土で行われた多くのデモの一つであった。

 イラク南部のバスラでは、約1000人がバスラ州議会ビルに集まって、腐敗した役人と公共サービスの貧しさに抗議した。イラクの治安部隊は、民衆を解散させようとして、放水と警棒を使った。

 バスラでは、先週の抗議デモによって、州知事を辞職に追い込んだ。今週は、民衆は州議会の解散と水・電気などの供給改善を要求している。

 抗議デモは、先月来、イラクでも行われているが、抗議の民衆は、米軍が侵攻してサダム/フセインを追放した後の8年間、民衆の日々の生活に改善の兆しが見えないことに不満を強めている。

 最も大きな抗議デモは、先週の金曜日に行われたもので、この時、少なくとも17の都市と町でイラク人がデモを行った。この日、(治安部隊との)衝突によって、合計で16人が殺され、130人以上が負傷した。

 エジプトとチュニジアの革命に魅せられた民衆は、要求を行政サービスの改善と賃金の保障、汚職の一掃に集中させた。

 「この8年間、わが国は崩壊し、政府は国民に公共サービスを提供できなかった。何千人もの若者が失業している。」と、バグダッドでデモに参加したバヒャト・タリブは指摘した。

 彼は、バグダッドの東側に広がるサドル・シティーから、8個所の検問所をすりぬけて広場にやってきた。治安部隊には、仕事に行くのだと説明しなければならなかったが、そうしなければ通してもらえなかっただろう、と彼は言った。

 彼はタハリール広場に集まった500人のうちの1人だが、取り囲む治安部隊の方が多そうに見えた。

 カラダ地区の近くからタハリール広場まで歩いてきたファイサル・ハミドは、「政府が宗派至上主義者に根ざしている以上、国民は改善を見届けるまで抗議を続けるだろう」と言った。

 イラク政府は、デモが統制できなくなる可能性を恐れており、デモに参加する人数を制限するために、取り締まりを厳しくしている。

 広場に向かう脇道は治安部隊の車両によって封鎖され、バグダッド市内の上空にはへりが旋回している。

 デモが始まる前に、イラク政府はデモに汚名を着せようとして、参加者の背後にはフセイン支持者かアルカイダがいる、と非難した。この警告は、人々をデモから遠ざけ、参加者には疎(うと)ましいレッテルを貼ろうとするものだった。

 財務省の職員アマル・ジアドは、このような当局の試みを一蹴し、「われわれはバース党員ではないし、公共サービスのような、単純な権利を要求しているだけのイラク人だ」と語った。

 デモ参加者は自分たちを守る手段を講じたが、それは多くの人々が治安部隊に感じている不信感を示していた。

 サドル・シティーの住民であるカミル・アル・アサディは、広場に集まってくるデモ参加者をチェックする委員会を起ち上げた。彼らは治安部隊がデモ参加者の中に手先を送り込んで、やっかいごとを引き起こさせるのを警戒していたのである。

 「僕たちはイラクの治安部隊を信じてないので、委員会を作って、ナイフや武器を持ち込む者がいないように参加者をチェックした」と彼は説明した。

 

2011年2月27日日曜日

報道されないイラクの「怒りの日」

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☆★報道されないイラクの「怒りの日」
What you won't read in the mainstream press
regarding Iraq's National Day of Rage
Dirk Adriaensens 2011年2月25日発
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http://www.uruknet.info/?p=75341

February 25, 2011

 次に紹介するコメントや声明は、いろんなイラク人から届けられたものである。イラク人が立ち上がっている抗議デモを報道しないメディアに、反論しておく必要がある。デモはこれまでも、イラクのほとんどの主要都市で続けられてきた。「全国民の怒りの日」である今日、2月25日(金曜日)、勇敢なイラクの若者によって、抗議は絶頂に達した。 ニュースを広げよう。 イラクで何が起こっているかを、世界に知らせよう。

 前日の夜遅く、というより、2011年2月25日早朝だろうか。全イラク人は、この日を、「怒りの日」と呼ぶことにした。これは破壊と略奪、強姦などありとあらゆる破滅に対して、過去8年間という時間をかけて、イラク国民が蓄積してきた怒りが導いた結果である。

 イラク国民は、汚職と絶対的な貧困、失業、公共サービスの停止、占領、に反対して、抗議のデモを行っている。そのなかでも大問題なのは、政府ぐるみで年じゅう行われている贈収賄である。

 彼らはまた、自由と人間の尊厳を求めて、そして占領の即時停止を求めてデモを行っている。彼らはイラクのためにデモを行い、イラク人として手を携えているのである。

 昨日の事態は、金曜日にデモを行わないよう国民に要請した、マリキのあのアホな演説に端を発した。マリキは、デモを「自由に対する敵」と批判した! 「他の日ならいつでもよいが、金曜日はダメだ」と彼は言い、ほんとうに恐れているように見えた。

 マリキ政府は取材を禁止し、バグダッド市内の通りを封鎖した。

 ヒート出身の将軍で、モスル市民を恐怖に陥れてきたナシル・アルガニム大将が、450人の兵士を連れて逃亡した。兵士たちの階級は知らないが、このニュースがリークされており、事実は後に確認されるだろう。

 追伸を一つ。

 内務省のハミード・カヂム大佐。彼は警官の訓練部長だが、デモ参加者を殴りつける命令を拒否して、辞職した。アブ・ヌワス通りからタハリール広場にかけて、暴動に対処する6個部隊が配置され、デモ参加者を叩きのめすよう命令されていた。そしてダーワ党の民兵で構成される暴動鎮圧部隊も、タハリール広場に投入された。

 当局側は一軒一軒を回って、住民が外出してデモに参加しないようにし、残念なことに、国会の会派であるイラキーヤに所属する議員までが、アンバル州とアダミヤ地区(バグダッド市内)で同じことをした。IDカードが没収されて、若者が検問所を通過できないようにし、ひいてはデモに参加できないようにされたのだ。

 ムサンナ連隊はアブグレイブ地区(バグダッドとファルージャの中間/訳注)を包囲し、戸別に押し入って、この地区のデモの指導者からIDカードを奪った。ここでは夜間外出禁止令も出された。

 すべての車両がバグダッド中心部に入ることを禁じられ、テレビの取材チームは中継をリレーした。フィルドス広場は、整備工事を理由に閉鎖された。

 ムンタサル・アル・ザイディは、アダミヤ地区で逮捕された。バグダディヤTVの記者であるミーナスは、タハリール広場で、私服姿の警察に逮捕された。彼はタハリール広場では、群衆に飲み込まれてカメラマンと一緒ではなかった。

 政府高官が120万米ドルを持って飛行機に乗る前、バグダッド空港で逮捕され、その金も押収された。

 バグダッド在住の友人でもあるジャーナリストは、バグダッドが寒々としてきたと言い、私は「ここも同じだよ。かつて脅迫が行われていた頃と同じだ。今日は暴動鎮圧警官の訓練を目にし、マリキの演説を聞き、サドルとシスタニの声明を聞いた。狂ってる」と応じた。

 政府高官や大臣、国会議員たちが、相次いで国外に脱出していると報道されている。

 バグダッドの州議会議長は、政府及び地方議会のメンバーに辞職を求めるスローガンを禁止する、と発表した。

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ムンタサル・アル・ザイディの兄弟からのメッセージ:

 イラクの素晴らしい若者たちへ

 今日2011年2月24日、マリキの傭兵たちが来て、私の弟をデモに参加させまいと、逮捕した。

 私自身はというと、2週間前に彼らから足を折られたばかりである。それにしても、このたびの革命(デモのこと)には指導者とか代表というのがいないことを理解できないとは、彼らは愚かとしか言いようがない。

 もし今回のインティファーダ(民衆蜂起)の指導者を全員逮捕したいのなら、彼らは100万人の若者を逮捕する必要がある。

 ・・・ (略)

イラクでは「怒りの日」に23人の死者

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☆★イラクでは「怒りの日」に23人の死者
23 killed in Iraq's 'Day of Rage' protests
ワシントンポスト 2011年2月25日 
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http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2011/02/25/AR2011022502781.html

Washington Post Foreign Service
Friday, February 25, 2011; 8:05 PM

 バグダッド発 -- イラク国内では10以上の都市において、金曜日(25日)に街頭デモが行われ、州の庁舎に押し寄せたり、現地役人の辞任を要求したり、政治犯の釈放を求めて、数万人が街頭にあふれ出た。

 ※デモの模様は次のURLで動画を見ることができる。
 http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/video/2011/02/25/VI2011022504370.html

 もよりの政府高官に憤懣をぶつけようとして、イラク人が治安部隊と衝突したさい、少なくとも23人が殺された。スンニ派教徒も、シーア派教徒も、クルド人も、キリスト教徒も、彼らは同じ要求、すなわち十分な電気と安全な水、まともに機能する病院、そして公正な行政を求めた。

 手製のプラカードと平和を意味するオリーブの枝を手にした何千人もの市民を、軍のヘリコプターと狙撃兵が監視するなかで、サルマ・ミカヒル(48歳)は、「要求がある!」と叫んだ。「マリキが私の抗議を受け入れるかどうか、それを見届けたい」。ミカヒルは、1ドルの価値も持たなくなった1000ディナールの札束を、マリキ首相の事務所の方へ差し出して言った。「首相はこれでいいと思っているのか?」

 イラクの「怒りの日」に登場した抗議の群衆は、宗派至上主義の民兵や自爆犯などとは違った、新しいタイプの人々である。政府の治安部隊が抗議の民衆やジャーナリストに殴りかかり、発砲までして、何百人もが負傷しているのに、なぜ彼らが政府に敵対する隊列に加わってきたのか、それを知りたがっている者も多い。

 ファルージャでは6人が殺され、モスルでも別の6人が殺されたほか、イラク国内では他に5件の死亡事件が公式に確認されている。報道では、ほとんどの犠牲者が治安部隊の発砲によるものと認めた。

 取り締まりの対象となった民衆のデモは、エジプトやチュニジア、リビアでの反乱を模してはいたが、地方規模のもので、革命ではなく改革を求めるものであった。群衆は、南部のバスラでは州知事の辞任を求め、ファルージャでは市議会全体の解散を求め、モスルでは国民議会議長の兄弟でもある知事を追放した。

 デモは平和的に始まったが、次第に攻撃的になっていった。怒った群衆は、クルクークでは警察署を占拠し、モスルでは州庁舎に放火し、ティクリートでは市長公邸のフェンスを揺さぶり、治安部隊に実弾の発砲が促された。そうして遂に、ティクリートでは3人の死者が出て、キルクークでも3人が殺された。

 バグダッドでは、デモを解散させるために、治安部隊は放水や大音響を浴びせかけ、大通りや路地まで追いかけまわして、目撃者の証言によると、とうとう3人以上を殺害した。

 北部のクルド地方でも、2人が殺されたと報道された。

 バグダッドのアメリカ大使館は、金曜日のできごとについて、マリキの強硬姿勢に対するのと同様に、軽く見てやりすごそうとしている。

 大使館の広報担当者は、「(イラクの治安部隊は)一般的に言って、平和なデモには軍を出動させることはない」と言った。「われわれはイラク人が政治的見解を自由に表明する権利を支持する」と。

 「怒りの日」に集まった数は、デモ参加者にとっても驚きだったようすで、夜間外出禁止令のあとになっても、車や自転車さえも通交が禁止されたなかを、歩いて参加してきたし、何キロも歩いてきた人もいた。そしてマリキ政府からも、ムクタダ・サドルを含むシーア派の聖職者からも脅迫されている、と訴えるプラカードがあった。