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☆★イラクでは「怒りの日」に23人の死者
23 killed in Iraq's 'Day of Rage' protests
ワシントンポスト 2011年2月25日
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http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2011/02/25/AR2011022502781.html
Washington Post Foreign Service
Friday, February 25, 2011; 8:05 PM
バグダッド発 -- イラク国内では10以上の都市において、金曜日(25日)に街頭デモが行われ、州の庁舎に押し寄せたり、現地役人の辞任を要求したり、政治犯の釈放を求めて、数万人が街頭にあふれ出た。
※デモの模様は次のURLで動画を見ることができる。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/video/2011/02/25/VI2011022504370.html
もよりの政府高官に憤懣をぶつけようとして、イラク人が治安部隊と衝突したさい、少なくとも23人が殺された。スンニ派教徒も、シーア派教徒も、クルド人も、キリスト教徒も、彼らは同じ要求、すなわち十分な電気と安全な水、まともに機能する病院、そして公正な行政を求めた。
手製のプラカードと平和を意味するオリーブの枝を手にした何千人もの市民を、軍のヘリコプターと狙撃兵が監視するなかで、サルマ・ミカヒル(48歳)は、「要求がある!」と叫んだ。「マリキが私の抗議を受け入れるかどうか、それを見届けたい」。ミカヒルは、1ドルの価値も持たなくなった1000ディナールの札束を、マリキ首相の事務所の方へ差し出して言った。「首相はこれでいいと思っているのか?」
イラクの「怒りの日」に登場した抗議の群衆は、宗派至上主義の民兵や自爆犯などとは違った、新しいタイプの人々である。政府の治安部隊が抗議の民衆やジャーナリストに殴りかかり、発砲までして、何百人もが負傷しているのに、なぜ彼らが政府に敵対する隊列に加わってきたのか、それを知りたがっている者も多い。
ファルージャでは6人が殺され、モスルでも別の6人が殺されたほか、イラク国内では他に5件の死亡事件が公式に確認されている。報道では、ほとんどの犠牲者が治安部隊の発砲によるものと認めた。
取り締まりの対象となった民衆のデモは、エジプトやチュニジア、リビアでの反乱を模してはいたが、地方規模のもので、革命ではなく改革を求めるものであった。群衆は、南部のバスラでは州知事の辞任を求め、ファルージャでは市議会全体の解散を求め、モスルでは国民議会議長の兄弟でもある知事を追放した。
デモは平和的に始まったが、次第に攻撃的になっていった。怒った群衆は、クルクークでは警察署を占拠し、モスルでは州庁舎に放火し、ティクリートでは市長公邸のフェンスを揺さぶり、治安部隊に実弾の発砲が促された。そうして遂に、ティクリートでは3人の死者が出て、キルクークでも3人が殺された。
バグダッドでは、デモを解散させるために、治安部隊は放水や大音響を浴びせかけ、大通りや路地まで追いかけまわして、目撃者の証言によると、とうとう3人以上を殺害した。
北部のクルド地方でも、2人が殺されたと報道された。
バグダッドのアメリカ大使館は、金曜日のできごとについて、マリキの強硬姿勢に対するのと同様に、軽く見てやりすごそうとしている。
大使館の広報担当者は、「(イラクの治安部隊は)一般的に言って、平和なデモには軍を出動させることはない」と言った。「われわれはイラク人が政治的見解を自由に表明する権利を支持する」と。
「怒りの日」に集まった数は、デモ参加者にとっても驚きだったようすで、夜間外出禁止令のあとになっても、車や自転車さえも通交が禁止されたなかを、歩いて参加してきたし、何キロも歩いてきた人もいた。そしてマリキ政府からも、ムクタダ・サドルを含むシーア派の聖職者からも脅迫されている、と訴えるプラカードがあった。
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