2010年4月10日土曜日

私たちは市民を撃てと言われた・・・

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☆★イラク戦争帰還兵が証言:
  私たちは市民を撃てと言われた、上官がもみ消すからと
Iraq War Vet: "We Were Told to Just Shoot People, and the Officers Would Take Care of Us"
ダール・ジャマイルの中東速報 2010年4月7日付
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Wednesday 07 April 2010
by: Dahr Jamail, t r u t h o u t | Report
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 http://www.truthout.org/iraq-war-vet-we-were-told-just-shoot-people-and-officers-would-take-care-us58378

 4月5日(月曜日)、Wikileaks.org (ウィキリーク)がイラクからのビデオ映像をウェブに公開したが、それは2007年7月1日に米軍のアパッチ攻撃ヘリから撮影されたもので、同乗していた兵士が市民12人を殺し、子ども2人を負傷させたときのものだ。死亡者のなかにはロイター通信のスタッフ2人が含まれていた。写真家のナミール・ヌル・エルディーンと運転手のサイードである。

 米軍もビデオの信憑性を確認した。

 映像はいわれのない虐殺であることを明白に示しており、兵士たちの何気ない会話を聞きながらこれを見るのは、ショッキングである。

 イラクにおいて米兵によるこの種の行為は珍しいものではない。

 アメリカの占領軍によって無実のイラク人が虐殺されるという、同じようにゾッとする体験を見聞した兵士たちと、私は何度も話したことがある。

 米海兵隊のジェイソン・ワシュバーン伍長は、イラクに3度派遣されたが、「1人の女性が歩いていた姿を忘れられない」と話しだした。メリーランド州のシルバー・スプリングで、2008年3月13日から16日にかけて開かれた、<冬の兵士>の公聴会でのことである。「彼女は大きなバッグを持っていて、私たちの方へ向かっている来ているようだったので、MK19自動擲弾銃で彼女を撃ったが、ほこりが消えると、バッグには食料品が詰められていた。彼女は私たちに食べ物を差し入れようといていたのに、私たちは彼女を粉々に吹き飛ばしたのだった」。

 ※訳注..MK19 大型機関銃のように三脚に据え、40ミリの擲弾を毎分300発以上発射できる。厚さ5センチの装甲を貫通する威力で、対人・対装甲車両の両用に使用される。

 <冬の兵士>の公聴会は、占領体験の真相を米国内のメディアと共有するために、イラクとアフガニスタンからの帰還兵に演壇を提供するものだった。

 ワシュバーンは登壇者の1人として、イラクでの軍の交戦規定(ROE)について話し、実際には存在しないのと同じくらいに希薄になっている、と証言した。

 ワシュバーンの証言はさらに続いた。「私が3度派遣された間に、交戦規定は大きく変わった。危険性が高まるほど、私たちに許される模範的対応もヒドイものとなった。ウィンクしたり小突いたりして口裏を合わせてきた例をあげると、落とすための武器を持ち運んだり、3度目の派遣では落とすためのシャベルもあった。そんな武器やシャベルを持ち運ぶのは、もしウッカリして民間人を銃撃したら、死体の上にそれらの武器を置いて、彼らを反政府ゲリラのように見せかけるためだった。」

 陸軍の第82空挺師団に所属して1年間イラクで軍務についたハート・ビゲスは、無線で受けた命令について話した。

 「ある時は、敵がタクシーを使っているという理由から、すべてのタクシーを銃撃せよと命令された。狙撃兵の1人が聞き返した、「なんだって? それは本当か? 全部のタクシーを撃つのかい?」と。中佐からの返答は、「聞こえただろう。全部のタクシーを撃て」だった。その後、この町では全部隊が車に発砲した。これが私の体験した最初の戦争であり、派遣されている間は、ずっとそんな調子だった」。

 シリア国境に近いイラクのカイム地区に1年いた海兵隊のビンセント・エマヌエルは、敵を見分けようともせずに街中で弾倉がカラになるまで撃ったこと、死体の上を巡回車両で走ったこと、死体といっしょに「勝利」の記念撮影をいたこと、などを証言した。

 「イラクでよくやったことと言えば、走りすぎる車を蜂の巣にすることだった」と彼は言った。「これは特別なできごとではなく、8ヶ月の派遣期間に最もよくやったことだった」。

 
(つづく)

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