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☆★指導者を茶化したクルド人記者が拷問・射殺
Kurdish writer tortured and shot in the head for mocking leaders
Global Newsroom 2010年5月6日付
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http://www.unfreemedia.com/mideast/2010/05/kurdish-writer-tortured-and-shot-in-the-head-for-mocking-leaders.html
By Leonard Doyle on May 6, 2010
イラクのクルド自治区の首都であるアルビルで、クルド人記者が誘拐されたが、拷問されたあと、頭部に2発の銃弾を撃ちこまれて幹線道路に捨てられているのが発見された。
ザルダシト・オスマン(25歳)は、クルド地域の2大政党を傷つけたとして殺された。その政党には有力者バルザニの氏族が含まれている。オスマンは大学生で、インターネットで仮名を使うフリーランスの記者だった。
彼が書いた痛烈な文章には、「私はバルザニの娘に恋している」と書かれていたが、それはクルド自治区大統領であるマスード・バルザニの娘の名前を口にするという、タブーを犯す行為だった。オスマンはバルザニの娘の一人と結婚できないかと大きな声をあげていた。
目撃者の話によると、英語・英文学を専攻していたオスマンは、物理的な暴行を受ける前に、銃を持った正体不明の男たちによって、大学の正門前で誘拐され、ナンバーを隠した白色のバン(現代自動車)に連れ込まれた。
オスマンの友人と家族は、クルド人政党に支配されるペシュメルガ(民兵組織の名前/訳注)または治安部隊の犯行だと非難した。
ペシュメルガのアブドル・ハミドは、モスルの警官の証言だと、「遺体のポケットに大学の記章が入っていた」という。
「遺体は手足を縛られており、口の中で発砲される前に、ひどい拷問を受けていた」と彼は言った。
クルド地区ではジャーナリストの殺害は珍しい事件で、ここでは役所の仕事は事業を推進し、石油と天然ガスの投資を増やすことだと考えられていて、アメリカ人を含めて数千人の外国人が生活している。
その1人であるピーター・ガルブレイスは、アフガニスタンで米国人ナンバー2の職務にあった人物で、この地域に大きな石油利権を持っている。
今回のジャーナリスト殺人事件は、治安部隊の犯行とされている。殺された記者は、政権の座にある2大政党のもとで汚職がはびこっている構図を批判していた。
75人のクルド人ジャーナリスト、編集者、知識人が署名した5月6日発表の声明文には、「この犯行は1人の人物や小さなグループにできる範囲を超えている」と書かれていた。
「私たちはクルド地域政府と治安部隊にまず責任があると考えるもので、ついで、彼らは今回の悪行を摘発するためにあらゆることをすべきである。」
ニューヨークタイムズが掲載したアルビル発の記事によると、オスマンは4日朝、サラハッディン大学芸術学部正門の向かい側に降りたあと、すぐに男たちから白いミニバスで連行された。彼は6月に英語の学位をとって大学を卒業することになっていた。
サルダル・オスマンは、弟はファイン・アーツ・センター前から連れ去られたが、そこには常時ペシュメルガの熟練兵士6人以上が警備に配置されていた。学生たちは、オスマンが連行されたあと、センター長が現れて路上に散乱したオスマンの本とノートを拾っていた、と報告した。
家族は5日になって、オスマンの遺体がモスル市にあるクルド愛国同盟の事務所前に捨てられている、と電話で知らせを受けた。アルビルからは50マイルの距離にある。オスマンは4月に、「1週間以内にアルビルを出て行かないと殺されるぞ」と電話で脅迫されていた。
彼は2年間近く、スウェーデンに本部を置く『クルディスタン・ポスト』に、サロ・ザルダシトの仮名で記事を書いていた。『クルディスタン・ポスト』は、クルドの2大政党とその指導者に対しても、痛烈な批判記事を書くことで知られている。
オスマンはさらに、5ヶ月前から、『サマル・ポスト』というアルビルを拠点にする雑誌に書き始め、スレイマニアを拠点にする中立系の新聞『ハウラチ』にも何本かの記事を載せていた。
これまでもクルドのジャーナリストは、治安部隊によって嫌がらせを受けたり、脅迫されたり、物理的に痛めつけられてきた。クルド・ジャーナリスト協会によると、そのようなテロ行為は昨年だけでも357件あった。
ガザの入植地
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