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☆★マフディ軍が活動再開
The return of the Mahdi Militia
The Mesopotamian /Hussein Anwarのブログ 2010年5月1日付
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http://nebuchadnezzar-ii.blogspot.com/2010/05/return-of-mahdi-militia.html
May 1, 2010
この記事はアラビア語から英語に翻訳したものである。
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ムクタダ・サドルが昨日、モスクに来る礼拝者を守るために、自分の民兵組織であるマフディ軍の活動再開を呼びかけたことで、イラクは再び宗派抗争の様相を呈してきた。それはバグダッドにあるシーア派のフセイニヤ・モスクが攻撃され、何十人もの死傷者が出たためだが、治安当局はこの事件を指導者を殺害されたアルカイダの報復だと見ている。
バグダッドではモスクを狙って6台の自動車爆弾事件が発生し、死者57人、負傷者117人以上の犠牲者が出た。イラクのある治安当局者は、人々を混乱させ宗派間の内戦という雰囲気を作りだすために、次にはスンニ派のモスクが狙われることもありうると警告した。
サドル・シティーは2台の自動車爆弾で攻撃され、1台はサドル事務所の近く、もう1台はモスクの近くだった。また市場内で発生した爆弾事件では、39人が死亡し、56人が負傷した。このほかザッファラニヤ(バグダッドの南部)、フリヤー地区(バグダッドの西部)、アミーン(バグダッドの東部)でも爆発があり、20人が死亡、50人が負傷した。
バグダッドの作戦運用室で広報を担当するカシム・アッタは、「金曜日に攻撃した意味は明らかだろう」と語った。彼は攻撃の背後にある狙いについて、宗派間抗争の雰囲気をかもしだすためだと見なし、イラクTVに、「次の攻撃目標はスンニ派のモスクじゃないか」と警告した。
アッタなど治安当局者と政治家たちは、爆弾事件はアルカイダを攻撃し指導者を殺したことへの、アルカイダ側からの反撃だ、と説明した。
そのためサドルは、金曜礼拝においてモスクを守るようマフディ軍に指示したが、これは2007年に民兵組織が凍結されて以降、初めて民兵を復活させる公式声明だと見られる。
爆発事件の数時間前、アル・ハヤト紙の質問に対してサドルの代理人サラハ・アル・オバイディは、サドル運動は「テロがよみがえることはない」と、民兵の復活を心配しているバスラ市民に約束する、と答えていた。
しかし爆発事件の後には、オバイディは、サドルがマフディ軍にモスク防衛とサドル派の事務所を守るよう指示したことを説明した。サドル運動の指導的人物であるハジム・アラジは、マフディ軍の活動凍結は、国家が役割を果たす機会を提供するものだったが、国は安定を実現することができないようだと指摘し、それがモスク防衛をマフディ軍に指示した理由だと語った。
また、イラク政府高官はロイター通信に、「当局は秘密監獄を閉鎖したが、そこには400人以上が収監され、ほとんどがスンニ派教徒で、裁判にもかけられることなかった。当局は監獄を管理していたイラク軍の担当将校3人を逮捕した。秘密監獄を管理していた部隊は、マリキ事務所から直接命令を受けていたが、マリキの側近は秘密監獄の存在などを知らされず、連絡もとってなかった」と語った。
その一方で、人権省の報道官カメル・アミンは、「3人の将校が尋問と拘留を受け持っていたが、最大の問題は、秘密監獄が閉鎖されて今では過去の問題となったことだ」と語った。秘密監獄の閉鎖は、選挙のあとも首相ポストにとどまるためにマリキが苦闘している微妙な次期に決定された。
秘密監獄が明らかになった時、人権省も調査のために担当幹部を派遣したが、収容されていた人々は、そこで虐待されたり家族とも会えなかったこと、法の支援も受けられなかったことを訴えた。アミンの話では、収容所には431人が拘束されていたが、そのうち100人が釈放され、残りのメンバーは司法省が管理する監獄に移送されたという。軍の高官は、監獄に収容されていた者全員に逮捕状が出ていた、と反論した。
http://www.uruknet.info/?p=65577
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3 か月前
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