2010年5月6日木曜日

バドル旅団の暗殺部隊

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☆★バドル旅団の暗殺部隊
Death Squads of the Badr Brigade
The Mesopotamian /Hussein Anwarのブログ 2010年5月2日付
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http://nebuchadnezzar-ii.blogspot.com/2010/05/death-squads-of-badr-brigade.html

May 2, 2010

 この情報は、イラクの適切な人々の監修のもとに、みずからも困難な状況にありながら収集された。

 ◆バドル旅団とマフディ軍の指導体制

 1.モハンマド・アリ・ハッサン・アッバス・アルハッサニ(通称アブ・アハメド)が、ムサンナ州におけるバドル旅団暗殺部隊の分隊指揮官である。

 2.バドル旅団のメンバーであるハフィズ・アブドル・ジャリルは中等学校を中退し、8歳の時にイランの諜報機関でスパイ活動に参加した。何十人ものイラク人(ペルシャ人の末裔)がイランに逃亡した1991年の事件に参加し、戦争の後にバドル旅団のメンバーとしてイラクに来た。(原注/彼は現在バビロン州知事)

 3.サドル・シティーのハッジ・アル・カイム55街区にあるモスクで導師となっているラスーン・ハッサン・サアディは、マフディ軍のなかで粛正および殺害を担当するグループを率いている。

 4.サドル・シティー29街区に住むハッサン・サリムは軍の将校であり、現在はマフディ軍に属するグループを率いて、同じ地区にある学校で拷問と処刑を担当している。

 5.ヒクマ・モスクの導師であるナジ・アブドアイタンは、マフディ軍の指導的人物で、サドル・シティー住民でもあり、同モスク内で粛正と拷問を担当するグループを率いている。

 6.ナジャフ出身のハッサン・アブド・アイタンは、イランの諜報機関に協力した罪で追放された家族の一員だったが、中佐にとりたてられてバドル旅団と一緒に仕事をしている。彼は占領後にイラクに来て、現在はナジャフの副知事として、ナジャフのバドル旅団を指揮している。またバグダッドにおける暗殺を担当しており、彼のグループは多くのイラク人を殺害し、ついにはバース党ナジャフ支部の指導的人物であるモハメド・カバア、アブ・サビンを殺害した。

 7.モハメド・サビト・アッ・サアディは、ナジャフにあるシーア派の学校ハウザの学生だが、現在はバグダッドに住み、マフディ軍のために働き、暗殺と誘拐を担当するグループを率いている。ヒズボラのイラク支部として知られるイランの諜報機関から指令を受けている。

 8.モハメド・アル・ハイダリはイラン人の末裔でモスクの導師をしている。彼とその家族は追放され、80になってイランの諜報機関のために働くようになった。イラン国内で仕事をしたあと、占領後にイラクに来て、バドル旅団とともにバグダッドで最初に暗殺部隊を編成し、イラン諜報機関に奉仕した。バグダッドに来て最初の数ヶ月は、カラダ地区にある元印紙局を処刑と尋問の仕事場にし、バース党員や自衛に参加する者、旧軍の将校などの殺害命令を出した。彼のグループはバグダッドほかの州で数百の作戦を遂行しており、イラクにおいてこれまでで最もきわだった暗殺部隊のリーダーである。

 ◆暗殺部隊アル・ラサファ分隊

 バドル旅団のメンバーであるフセイン・カセム・シャヒール・アル・イタビは、フダリヤ地区の住人で、2003年よりも前にバグダッドでロケット弾を発射した事件に関与して、イランに逃亡していた。イランの諜報機関のメンバーとなっていたが、任務を受けてマフディ軍の指導的人物となった。現在は以下の地域で活動するマフディ軍の指揮官である。ラサファ、フダイリヤ、カマリヤ、ラアサ、オバイデイ、フサイニヤ、ウールファッリ。

 フダリヤ地区の出身で甥にあたるフアイ・シャヒール・アル・イタビという名の学生を手下にして、前のイラク当局(=フセイン政権)から指名手配されていたナラズ者であり、占領後に第3の人物ジュマア・アルハムラニと一緒にバグダッドに帰ってきた。

 これらの者たちは、アマル・アル・ハキムやハヂ・アル・アミリからの支援を得て、上述の人物らとも直接的な連携をとっており、アダミヤ地区にあるシーア派のブラサ・モスクを拠点にするジャラルディン・アル・サギルから指令が出ている。ここに屯’たむろ)する者の一部はグリーンゾーンにも出入りし、イラク調和戦線、国民対話戦線の国民議会議員、イラクの諜報機関幹部らの判断もあおいでいる。このグループがバグダッドでは最大勢力である。

 中核となるグループは、内務省の作戦室長モハメド・ジュマ・アル・シャラシュと連携を取っていて、彼がバドル旅団の司令官(大将)、バシル・ナシル・アロンディがバドル旅団の副官で内務局担当の内務副大臣、アハメド・アル・ハファジがバスラ担当の内務副大臣。彼らは内務省および国家警護隊、緊急展開部隊の幹部のなかに大勢の手下を持っており、彼らの犯罪を隠すためにジャラルディン・アルサギルから多額の金銭を受けとっている。その人数は何百人にのぼると見られ、それぞれの司令部はすべて、フダリヤ、オバイディ、ジャミーラ、タリク、シャマイヤ、革命広場に集中している。

 これらのグループのなかに、マジド・ハミド・アル・アサディ(イランの諜報機関で働いていたアブ・ムスタファ・アル・シェイバニの従兄弟)に指揮されるグループがあり、米軍に指名手配されている。彼は元々バスラの出身で、父親はバスラ警察の総監だった。1991年のバスラでの事件に参加したため、バスラからバグダッドへ逃亡した。

 彼は今、アル・シャブ地区とサドルシティーの郊外数カ所を活動範囲にして、幾つかのグループは従兄弟であるアブ・ムウタファの弟に指揮を任せている。

 この殺人グループは、彼の義兄弟が指揮をとっており、彼はモハメド・アル・ムサウィと呼ばれる教師で、ルサファ地区の教育長をしている。彼らは配下に内務省のメンバー、国家警護隊のメンバーを抱えており、彼ら自身のために働く特殊部隊員もいる。彼らがバグダッドの街頭で最も多くの誘拐と殺人を遂行した下手人である。

 カルク・グループはナイル・ムサウィ陣営のマフディ軍指揮官に率いられているが、彼らの仕事を支援し監督している人物こそ、現在のバグダッド州知事(フセイン・アル・バグダーディまたはアブ・ハナ)である。彼はバドル旅団の指導的人物の1人であり、イラン諜報機関のメンバーでもある。

 バドル旅団に配置されたアル・ハキムの側近は、士官学校手下に通ったこともない部下を士官に昇進させている。

 アブドル・アジズ・アル・ハキムは、資格や経歴もない部下を士官に昇進させ、内務省と国防省の編成に当たらせたうえ、自らも所属する宗派主義政党のメンバーを大佐クラスの階級に抜擢し、内務省や軍、あるいは諸州の国家警護隊の幹部に配置した。

 またフセイン・アル・サリ内務相とダーワ党の配下にあったヒズボラ運動とバドル旅団は、次のような行為も行っている。

 1.米軍に押収されたり捜索されりすることを恐れ、また不測の事態に備えるために、それぞれの司令部と重要文書をナジャフ州とワシト州に移した。

 2.自派のメンバーがイランとイラクの間を自由に行き来することができるように、マイサン州のイラン国境に配置された警察と軍の部隊を掌握している。それはまた、仲間が米軍に指名手配されたら簡単に密出国できるようにし、イランの諜報機関から受けとった証拠物件が発覚いたときには亡命できるようにするためである。

 3.アル・ハキムは、秘密司令部の存在と、これまで3ヶ所が発見されたことを強調した。

 a) ディカル、ワシト、マイサンの3州にまたがる三角地帯はサイド・シャンディ司令部と呼ばれ、それ統括している人物はアブダマド・ムハイミード・アッ・ダラジという名のバドル旅団の指導的人物である。彼はバドル旅団の高級幹部であり、大佐の階級を与えられ、現在はマイサン州の軍の司令官である。

※訳者補足: イラクの詳細地図
http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/DetailedMap_of_Iraq.html


 b) ディカル地区は、アリ・フセイン・ジャズと呼ばれるヒズボラのメンバーと、タリア党のマフディ・ジャッバル・アル・アクダウィらが統括しており、彼らの司令部はナシリヤにあって、多数の大型兵器庫があると言われている。

 c) ナジャフ州では、指揮官はアブダルフセイン・アブタンと呼ばれ、ナジャフ州のバドル旅団の指導的人物だが、イランの諜報機関で中佐の地位にあって、占領後にイラクに来たペルシャ人の末裔である。

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