--------------------------------------------------------------------
☆★なぜファルージャ住民はアラウィに投票したのか?
--アラウィ=米軍にファルージャを破壊させた男
Why Did Iraqis in Fallujah Vote For the Man Who Let the U.S. Destroy Their City?
IWPR(戦争と平和の報告研究所) 2010年3月31日付
--------------------------------------------------------------------
http://www.alternet.org/story/146256/
Institute for War and Peace Reporting (IWPR)
By Uthman al-Mukhtar and Fadhil al-Badrani
March 31, 2010
アブドラー・メシルがゲリラ活動をしていた時期、彼はファルージャの聖職者たちがアラウィ元首相を不信心で裏切り者だと貶す(けなす)のを耳にしたことだろう。
しかし先月行われた国民議会の選挙で、ファルージャに住むメシルと何千もの支持者はアラウィをリーダーとして称賛し、彼が選挙で勝利することに貢献した。その政治家こそ、かつてスンニ派アラブ人の抵抗拠点だったファルージャに、凶悪な猛攻撃を指図した人物である。
IWPRがインタビューしたファルージャ市民は、自分たちがアラウィに投票したのは、イランに支援されたシーア派政党が主導権を握ることを恐れたからであり、復興のペースがのろいことが不満だったからと話した。
6年前にファルージャを破壊した張本人と非難された人物は、今日の再建計画には最適の人物なんだと彼らは言った。
メシルは銃を手放してからは鍛冶屋をしているが、「私たちの抱える最大の問題は失業問題であり、2004年の戦闘で破壊された財産への補償金が未解決なことだ」という。
「中央政府の予算から補償金をしぼり出すことのできる、力のある首相を国民は求めている」と彼は言い、それにはアラウィこそが適任だと付け加えた。
アラウィの出自はシーア派アラブ人ではあるが、彼が率いるイラキーヤ陣営は世俗主義(政教分離)を掲げ、国内のスンニ派アラブ人に人気のある指導者を多く擁立していた。
「世俗主義のシーア派教徒は、スンニ派のイスラム主義者や部族指導者よりも良い」とメシルは言ったが、それは市民多数の見解と共鳴するものだった。
先週公表された3月7日総選挙の最終結果は、イラキーヤが全国で最多議席を確保し、マリキ現首相の率いるライバル会派をわずかながら抑えた。
選挙結果はマリキとの激しい接戦を演じることになり、結果確定をめぐる議論と連立与党の形成に何ヶ月かかかりそうだ。
次の政府で誰が首班になるにせよ、イラキーヤはバグダッドの北と西の諸州で圧勝し、スンニ派アラブ人の強力な代表として自らを確立した。
ファルージャ市が属するアンバル州では、14議席のうち11議席をイラキーヤが確保した。ファルージャに配分された6議席のうち、イラキーヤが4議席だった。
2004年末のファルージャに対する米軍の攻撃は、何百人もの死者と何千人もの難民を生み出した。この軍事作戦は当時首相だったアラウィの後押しを得て、ファルージャを統治する実権をとり戻すことが狙いだった。
2005年の国民議会選挙では、アンバル州の有権者の多くはスンニ派の指導者に投票したが、彼らはイランと結びついたシーア派政党の支配するバグダッドの政治家連中に手玉にとられてきた。
宗派抗争がピークに達した時期、イランは最大の外敵という位置づけを、アメリカからイラク国内のスンニ派アラブ人に切り替えた。
アンバル州の反政府ゲリラは、そのうち、米軍に支援された覚醒会議と呼ばれる部族の武装グループに抑えられた。その武装グループの指導者たちは、昨年の地方選挙で見返りにありついた。
しかしながら、先月の選挙では、ファルージャ住民はイラキーヤに投票し、彼らはその理由を、古手の指導者たちでは戦災の復興という難問に取組めないからだ、という。
彼らはまた、シーア派の影響や汚職の一掃に取り組む指導者を求めていると話す。それは2004年11月に米軍がファルージャを包囲して以後、スンニ派アラブ人の発言権が低下したことを反映している。
ゲリラ活動に参加したために2年間投獄されたカリム・アッ・ドレイミは、ファルージャ市内の電気と水道設備はそっくり取り替える必要があると話す。彼はさらに、ファルージャ攻撃以来ずっと災難つづきの子どもの健康問題について、病院に治療を求めても住民の要求は何一つとりあげられない、と不満を述べた。
「汚職も深刻な問題になっている」と彼は言う。「秩序を重んじるという口実で、族長たちが市の実権を握っている。彼らは自分を法律の上にあると考えている・・・。私たちがイラキーヤに投票したのは、彼らが汚職にまみれた役人を解雇し、私たちの苦難の根源を一掃すると約束したからだ」。
ドレイミもメシルも、選挙でアラウィに投票するなんて、以前だったら考えられない、と2人とも口をそろえた。「以前なら、彼は今回の得票の半分も獲得できなかっただろう。当時は誰もが、ファルージャの人道的危機はアラウィのせいだと非難していた」とドレイミが説明した。
米軍は今年、兵力の半分を撤退させる計画だが、多くのスンニ派アラブ人は、イランに後押しされる政治家がバグダッドで(イラク政府の中で)さらに力を増すだろう、と心配している。
アラウィはイランの干渉について、遠慮のない批判をしてきた。選挙期間中は、フセインのバース党とつながりがあると難癖をつけて候補者をパージ(公職追放)した黒幕はイラン政府だと非難した。
ファルージャの有権者たちは、アラウィをイランに立ち向かうことのできる指導者として称賛し、また宗派主義(特にシーア派至上主義)を拒否するために彼を支持することにした。
教師をしているナイフ・ジャバルは、不公正と宗派主義と貧困を一掃するためにアラウィに期待した、と語った。「アラウィに投票することによって、アンバル州の住民は、宗派にこだわって指導者を選ぶシーア派に反対し、宗派至上主義にノーを突きつけた」と彼は言った。
タクシー運転手をしているマフムード・カリムは、家の中の全財産を2004年の戦闘で焼かれたが、それでもアラウィに投票した、と話した。 「彼はどのセクトにも所属してない。しいて言えば、イラクだ」と。
主婦であるメヤアド・サラムは、シーア派政党がイランの手引きをすることを恐れ、アラウィが宗派主義に立ち向かっていることを評価した。「彼は世俗派の指導者だ」と彼女は言った。
前に投獄されたことのあるドレイミは、アラウィは昔はアメリカの傀儡(かいらい)と見られていたが、今はイランの影響が強まることに対する好敵手と見られている、と述べた。「イランの手先になるより、アメリカの手先になる方がいい」というのが彼の言い分だ。
ファルージャ攻撃においてアラウィの果たした役割を許す人間は、ファルージャには1人もいない。ジャシム・アル・ジュワイミは、2004年の戦闘で息子と家を失った。
彼は、「ここの者は間抜けだ。彼らはアラウィが何をしたかを、もう忘れてしまった。彼はテロとの戦いを口実に、私たちの子どもを米軍に殺させたんだぞ」と批判する。
ジュワイミはさらに、アラウィはいったん権力を手にすると、支持者を裏切るだろう、と付け加えた。「アラウィが連立政府交渉のためにシーア派の指導者と連携するとき、スンニ派住民は自分たちの大きな間違い」に気づくだろう」と。
ファルージャ出身の政治アナリストであるハリド・アスワドは、アラウィ陣営は大衆的人気のある新人を候補者に採用し、ライバル陣営の裏をかいた、と解説した。
アスワドに言わせると、「アラウィの戦略は、選挙戦が公式に始まる何ヶ月も前から実行された。街で尊敬される人物、例えば医師や技術者、教師などを候補者名簿に挙げ、それで有権者を自分の陣営に惹きつけることができた」。
ファルージャではイラキーヤと競いあった陣営もイラキーヤに勝利の祝意を送ったが、それでも、地方政治においては自分たちが決定的役割を持ち続けることを強調した。