2010年5月23日日曜日

殺人がクルドのイメージを汚す

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☆★殺人がクルドのイメージを汚す
Killing Taints Iraqi Kurdistan's Image
ニューヨーク・タイムズ 2010年5月20日付
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http://www.nytimes.com/2010/05/19/world/middleeast/19iraq.html?pagewanted=print

By SAM DAGHER

 スレイマニヤ発 -- イラクのクルド人記者と人権弁護人は、若いジャーナリストが拷問・殺害されたことに抗議し、安全と民主主義を自慢してきたクルド地域において、言論の自由がひどく制限されていることを物語る、と訴えた。

 その反応は冷たかった。殺人に抗議して先週行われたデモの途中、大手のある雑誌編集者の携帯にメッセージの言葉が届いた。その編集者が読んだメッセージには、「お前を犬のように殺してやる」と書かれていた。

 今月初め、ジャーナリストのザルダシト・オスマン(23歳)が、取締りの厳重なアルビル(クルド地方の首都)で誘拐され、その後、西に50マイル離れたモスル市近くの路上で、頭部に2発の銃弾を撃ちこまれて死んでいるのが発見された。

 彼の友人たちは、彼の書いた痛烈な批判記事がクルド自治区を長年支配してきた2大政党を怒らしたのだ、と確信している。特にそのうちの1つは、クルド地方大統領マスード・バルザニの娘と結婚して、貧しい生活環境から抜け出せないものかと空想するものだった。

 今では、彼の死は表現の自由の限界を教えたものとなり、ジャーナリストが自分の生命をかけて発表することをめぐって激しい議論を呼び起こしている。多くの者が、イラクのこの一角に本物の民主主義があるのか疑問を抱いている。過去7年間に国内の他地域では多発したのに、暴力と治安の不安定は語られないで、事業と投資の楽園だと見なされていた。

 クルドの中立紙『アウィーネ』の編集長アソス・ハルディは、「2つの勢力の間の抗争だ」と指摘した。「1つは民主主義と開かれた社会を信念に掲げる陣営で、もう一つは家族・政党・全体主義的な心情を守ろうとうする陣営である」。

 ハルディ氏と彼の同僚は、クルドの著名な記者や知識人の一部と同様に、オスマンの事件に焦点を当てようと決心している。彼らはテレビやラジオでの討論をはじめ、抗議や記事でキャンペーンを開始し、「私たちは沈黙しない」と呼びかけた。

 そのキャンペーンは、クルド地方のジャーナリストに困難を強いることになった。彼らは日常的に嫌がらせを受け、脅迫され、逮捕され、そして統治権力を持つ政党に忠誠を誓った治安部隊から攻撃を受けている。

 バルザニを含む高官たちは、ジャーナリストを起訴する資料を作ってきた。2つの支配政党に批判的な記者と、野党勢力につながりを持つ者は、しばしば裏切り者とか外国政府の代理人というレッテルを貼られてきた。支配政党は、数え切れないテレビ局と新聞を発足させて中立の報道機関をたちいかなくさせ、また高額の給与や臨時収入で記者を買収したりしている。

 しかし、イラクの他の地域と違って、ジャーナリストが殺されることは稀(マレ)であったし、越えてはいけない一線がどこにあるのかという議論も多くあった。

 クルド地域で最初の中立紙『ハウラチ』の編集長カマル・ラウーフは、オスマン記者は地域の支配関係とバルザニ及びバルザニ一家について、痛烈で不敬な記事を書いたために、その1線を越えたのだ、と語った。

 別のクルド人記者も、2年前、同じような1線を越えた。調査報道を得意としたソラン・ママ・ハマは、キルクーク市内のクルド人支配地において、両親の家の外で2008年7月に殺された。クルド高官が売春組織とつながっていた疑惑について書いた後だった。

 スレイマニヤに拠点を置いているアメリカ人学者デニス・ナタリによると、「越えてはならない1線」には、クルドの支配者2人バルザニ氏とジャラル・タラバニの家族への批判も含まれるという。タラバニはイラク大統領という形式的なポストに就いている。

 クルド地域の報道に関する法律は、表現の自由を保障しているが、「宗教的な信念やシンボルを侮辱」し、「憎悪と確執」をあおり、一般市民の私生活を侵害する記者には制裁を科している。

 クルド地方政府の当局者は、地域内には何百というメディア取次機関があるが、「名誉の殺人」を当然視するほど保守的で部族社会に深く根ざしたなかでは、ジャーナリズムとしての基本的標準にかなっているものはわずかしかないと語った。彼はオスマンの死を正当化していると見られたくないという理由から、匿名を条件に話したが、「ほんとにエゲツナイ状況だ」と述べた。

 クルド人作家バクティヤル・アリは、アルオスマン殺害について感情のこめた記事のなかで、権力を持つ者が設定した許容範囲は、彼らの利益にかなうように書き換えが続けられるだろう、と警告した。

 アリは自分のウェブサイトに掲載した記事のなかで、「ザルダシトを殺した者は私たちのなかにいる」と書いた。「彼らは別のところで、別の誰かを、また殺すのだろう」。

 ハウラティは特に挑戦的なコラムを先週書き、「私もバルザニの息子に恋している」というタイトルをつけた。

 女性のコラム作家アリャン・ウミードは、「このコラムの筆者も死に値するのだろうか、それとも、名誉も尊厳も傷つけるものではない以上、わが国では通常の作品なのだろうか」と書いた。

2010年5月22日土曜日

イラク3分割案--クルドが踏み絵迫る

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☆★イラク3分割案--クルドが踏み絵迫る
Dividing Iraq
アルジャジーラ 2010年5月14日付
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http://english.aljazeera.net/programmes/insideiraq/2010/05/201051385530402985.html

◆最近行ったクルド人指導者マスード・バルザニのインタビュー
 (動画あり)

 イラクのクルド地域を支配するマスード・バルザニは、最近のインタビューにおいて、どの連立パートナーであれ、産油都市キルクークに関するクルドの主張と、クルドの軍事組織ペシュメルガ(要するに民兵/訳注)の役割を受け入れることが必要になる、と語った。

 バルザニが宣言したことは、安定を求めるイラクの希望は国を3つに分割することにかかっている、というものであった。

 彼はバグダッドを連邦の首都とすることを提案した。クルドの指導者はさらに、強力な統一国家という話はすべて夢物語であると付け加えた。

 イラク分割という構想は、多くのイラク人からだけでなく、トルコ、シリア、サウジ、イランといった近隣諸国からも拒否されるようだ。

 今週、私たちはバルザニの声明の背後に何があるのか、将来バグダッド(連邦政府)とアルビル(クルド政府)の間に紛争が見込まれるのか、について討論する。

 番組参加者は、モハンマド・イッサン(クルド地域政府の代理人)、フィリドゥン・ヒルミ(クルド問題アナリスト)。

アラウィは第一党だが後手に回る

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☆★アラウィは第一党だが後手に回る
Allawi ahead, but falls behind
アジア・タイムズ 2010年5月20日付
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http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/LE20Ak01.html

May 20, 2010
By Sami Moubayed

 ダマスカス発--3月のイラク総選挙において、一部再集計においても、最高裁決定においてもアラウィ元首相が勝利したものの、彼が次期首相になるという保証は何もない。

 また月曜日(17日)には、バース党との結びつきを理由に失格とされた9人の当選者も、再審理によって当選を宣告された。そのうち7議席はアラウィのイラキーヤ陣営だったために、これでイラキーヤ陣営は国民議会に91議席を確保し、最大会派となった。

 マリキの法治国家連合は不幸なことに89議席にとどまり、現職であるマリキ首相とその支持者は、選挙の不正を申し立て、票の数え直しを求めたのだった。そしてマリキは、バース党関係者の失格宣言を企んだ政府機関を督励したのだった。

 しかし法廷がアラウィの明確な勝利を宣言したことは、司法が中央行政府からの独立性と中立性を示したものと評価された。他方、再集計は選挙委員会の株を押し上げた。マリキは法治国家連合が首都で過半数を制したはずだと主張したが、数え直しの結果は最初の数字とほぼ同じものであった。

 マリキが属するシーア派社会においてさえ、マリキへの祝福は期待されてなかった。シーア派聖職者であるサドルは、マリキがブッシュ政府と親密になったとき彼と仲違いした。

 それでもマリキはあきらめなかった。彼はシーア派の宗教政党であるINA(イラク国民合意)と連携することで自分の立場を誇示した。INAとマリキの会派が連合することで、国民議会の過半数である163議席に4議席足りないだけになった。

 イラクの選挙法では、議会の最大会派が新政府樹立の提案を主導することになっている。現時点では、議会の最大会派は選挙で第1党になったアラウィではなく、選挙では2番手だった現職のマリキとなった。

 INAは過去にマリキと口論したにもかかわらず、両者が共有する共通の地盤を失うことはなかった。INAの宗教的なルーツは、INAであれマリキであれアラウィとも共通するもので、サドルもまた主要メンバーである。アラウィ自身は元バース党員で世俗主義者であり、宗教勢力が政府を掌握することを憂慮している。

 INAとマリキ周辺は、どちらも、テヘランにならって、神権政治のミニ政体をバグダッドに築きたいと熱望している。両者とも、スンニ派社会と和解するうえで、サダム・フセイン政権を生み出したスンニ派に貸しがある。彼らは2003年のフセイン政権崩壊まで何十年もフセインとたたかったのだ。新しい連合会派はイランの影響を深く受けており、フセイン政権の30年間、イランが彼らに資金提供したうえ、安全地帯を提供していた。クリストファ・ヒル米国大使は、この連合を「シーア派巨大政党」と呼んだ。

 この権力バランスのせいで、アラウィが首相になれない可能性がでてきた。アラウィは国民議会選挙で最多議席をとったものの、主要な政治勢力が彼を承認しなければ、政府を形成することはできないだろう。

 もし影響力の大きい政治家が野党側に転じる決意をしたら、それはアラウィにとって地獄となり、彼を引きずり下ろそうとして暴動やデモが展開されるだろう。もっと悪い展開だと、彼らは主要都市の街頭に惨状を生み出すだめに自派の民兵を使うこともありうる。

 スンニ派教徒はアラウィを拒否しないし、世俗主義を拒否することもないが、マリキの運命と一蓮托生の保守的シーア派は、アラウィ首班の内閣には参加を拒否するだろう。またアラウィがためらうことなく、イラク国内へのイランの影響拡大を抑制しようとするなら、イランもアラウィの仕切る政府を承認しないだろう。

 色とりどりのイラクの政治家たちは、皆マリキに近い人物だが、3月の選挙のあとに、テヘランに招待された。アラウィはイランから招待されず、その替わりにダマスカス(シリアの首都)とリヤドを訪問して、自分の立場を鮮明にした。

 バグダッドには国民の意志だけがあるのではない。重なりあったり対立したりする利益の数々が何層にもあり、それが次期首相の任免を左右している。国民が望んでいること以上に、イラン、サウジ、シリア、アメリカがイラクに何を求めるかにかかっている。

2010年5月19日水曜日

報道の自由をめぐり外国特派員がクルドに苦言

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☆★報道の自由をめぐり外国特派員がクルド政府に苦言
Foreign reporters rap Kurdish authorities over press freedom
Zawya/AFP  2010年5月16日付
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http://www.zawya.com/story.cfm/sidANA20100516T175748ZSHF96

By Shwan Mohammed

 スレイマニヤ発、5月16日(AFP)
 イラクのクルド地域から長年報道してしてきた外国の特派員記者18人は、5月16日、クルお人記者の仕事環境が悪化していることについて、クルド地域政府を厳しく非難した。

 彼らは、クルド自治区のマスード・バルザニ大統領とイラクのジャラル・タラバニ大統領(クルド人)に宛てた公開書簡の中で、クルド自治政府を批判した若いジャーナリストが今月初めに暗殺された事件が未解決であることを指摘した。

 独立系のクルドの新聞『アウィーネ』に掲載された公開書簡には、「イラクのクルド地域から長年報道してきた記者として、私たちはクルド人記者が自由に報道しコメントする権利が目に見えて悪化していることに懸念を抱いている」と書かれていた。

 公開書簡は、既に処刑された為政者サダム・フセインをひきあいに出して、「クルド人の記者仲間に連帯し、クルドの友人であるという立場から、私たちは貴職に皆さんが長年反抗した政権の抑圧政策をまねることのないよう要請する」と述べた。

 「あなた方が山中に隠れたり亡命したりしたとき、お二人とも私たちに、新しい国では、報道への抑圧を含めて自由の濫用に終止符を打つつもりだ語っていた。」

 「今日、貴職に書簡を届けた私たち(の立場)は、反対勢力ではなく友人として、また貴職が権力を奪おうとしていた時期に貴方の言葉を信じていた特派員として、さらにクルド人の自由について言及したかつての貴職の言葉を慎んで思い浮かべているジャーナリストとして、である。」

 この公開書簡に署名した者のなかには、長年BBCの特派員をしているジム・マイアー、元ガーディアン紙記者デービッド・ハースト、米国人ジャーナリストであるジム・ホーグランド、ジョナサン・ランダル、クイル・ローレンス、チャールズ・グラス、フランス人記者ジェラルド・チャリアンド、クリス・クッチェラー、マーク・クラベツなどがいる。

 署名者たちは、「イラクのクルド地区で活動していたフリー・ジャーナリストのなかで最も新しい犠牲者」として、今月暗殺されたサルダシト・オスマンの死に言及した。

 22歳のオスマンは、雑誌『アシティナミ』(クルド語で平和を求める手紙)の記者をしており、英語とクルド語の翻訳家でもあった。彼の遺体は、5月4日に大学構内から誘拐されたあと、24時間たって発見された。

 オスマンが最も強い非難をおこなった記事の一つは、「マスード・バルザニの娘に恋している」というタイトルで、『クルディスタン・ポスト』に掲載された。これはロマン的な夢に言寄せて、いわゆるクルド指導部の汚職を批判したものである。

 「私がバルザニの婿養子となるときには、婚礼の夜はパリで迎え、それから叔父の宮殿に訪問して数日間はアメリカに滞在するだろう」と彼は書いた。

 「貧しいアルビルの住宅地とおさらばして美しい街に移住し、夜はアメリカじこみの警察犬とイスラエルの警備員に護衛される」と彼は書き、バルザニの裕福な生活スタイルと普通のクルド人の生活を挑発的に対比したのだ。

 10月に出版された『報道の自由2009』では、国境なき記者団はイラクを175ヶ国のなかで145番目に報道の自由がない国だと位置づけた。

 また、先月発行されたジャーナリストを守る委員会の2010年の目録によると、記者が殺害されるという問題では、イラクは世界中の国のなかで最悪の記録を有している。

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 訳注)Zawya: 中東及び北アフリカのビジネス界むけに、事業・投資・金融関係の情報を提供する。ドバイに本社を置き、レバノン、クウェート、マレーシア、シンガポールで販売されている。

2010年5月18日火曜日

再集計でもイラキーヤ勝利--マリキは時間稼ぎ成果

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☆★再集計でもイラキーヤの勝利確認--マリキは時間稼ぎで成果
Iraq Recount Affirms Win for Sunni-Backed Bloc
ABC News -AP-  2010年5月16日付
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http://abcnews.go.com/International/wireStory?id=10658841

By SAMEER N. YACOUB Associated Press Writer
BAGHDAD May 16, 2010 (AP)

 イラクの選挙委員会は16日、シーア派教徒である首相が不正を申し立てたために一部を数えなおした結果、3月に行われた選挙でスンニ派が支持した勢力(=イラキーヤ/訳者補足)が勝利したことを確認した。

 結果はマリキ首相の敗北で、彼は小差ながら第2党となった。しかし別のシーア派会派と連携したことで、彼にはもう4年権力の座を維持する可能性が出てきた。

 選挙委員会の広報担当であるカシム・アル・アバウディは、バグダッドの得票の再集計結果が発表されたあと、「すべての政治勢力が、選挙は公正に行われ、不正と詐欺の申し立てを取り下げることを受け入れてほしい」と記者会見で語った。

 アル・アバウディは、「法律に従って、各会派と候補者は選挙結果に異議を申し立てることができるが、そうする者がいないことを願う」と言った。

 得票の再集計や選挙結果への異議申し立てによって、国民議会の新たな325議席の確定がなされず、不満分子が政治的空白につけこんだり、政治的口論の期間が長引いてテロが相次ぐことが危惧されている。

 バグダッド在住のアナリストであるハジ・ジャロは、再集計を要求したマリキの狙いは、当選議席数を変えることではなく、この機会に乗じて、アラウィをだしぬき権力の座にとどまるためにシーア派連合と取引することだった、と指摘した。

 「マリキはINA(サドル派などシーア派の宗教勢力/訳注)との連携を強めるために、もっと時間を稼いで、アラウィを脇に追いやり、アラウィが他の会派と連携する動きを封じ込めたいのだ」と、ジャロは言う。

 マリキの法治国家連合は選挙に負け、世俗主義者のアラウィ率いるイラキーヤが91議席を獲得したのに対し、89議席にとどまった。しかし両会派とも政府樹立に求められる163議席(過半数)に達しなかった。

 バグダッド州に割り当てられた議席数は多いので、最終得票数に大きな変化があれば、マリキに都合のよい結果になりかねないものだった。

 マリキの願いは潰えたものの、アラウィに次期政権を担うことを委ねたのでもない。マリキは現在、再集計が始まった2週間前より、もっと良い位置にいるとアピールする。

 彼の会派は、別のシーア派会派、すなわちイランの後押しを受けたINA(イラク国民合意)と取引した。2会派の連携で、過半数に2議席足りないだけになっている。

マリキが権力の座に近づく

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☆★マリキが権力の座に近づく
Iraq's Maliki edges nearer power
AFP 2010年5月15日付
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http://news.yahoo.com/s/afp/20100515/wl_mideast_afp/iraqpolitics_20100515194636

by Hassan Abdul Zahra Hassan Abdul Zahra
Sat May 15, 3:46 pm ET

ナジャフ (イラク)発 --シーア派の最高権威がマリキの現職続投を妨げるつもりはないと発言したことで、イラクのマリキ首相は権力の座にとどまる方向へ大きな一歩を獲得した。

 イランに滞在中のモクタダ・サドルの代弁者は、AFPの取材に、サドル運動は逮捕されている自派のメンバーが釈放されるなら、マリキ首相が続投を模索することに反対しない、と語った。

 2ヶ月前に投票された総選挙でマリキが敗北したあと、サドルはマリキが首相の座にとどまることに反対し、彼の側近たちも声明のなかでマリキに強い批判を向けていた。

 しかし両者の協議が行われたあと、5月15日に出された声明は、マリキにチャンスを与えることに力を貸し、その障害となっているハードルを取り除くものだった。

 すなわち、サドル運動のスポークスマンであるサレハ・アル・オバイディが、聖地ナジャフでAFPに、「もしマリキがわれわれの懸案事項、とりわけサドル信奉者の逮捕をやめると確かに保証するなら、その時はわれわれも彼が2期目に名乗りをあげることに邪魔はしない」と語ったのだ。

 しかし彼は、約束が守られない場合への警告も忘れなかった。

 マリキの法治国家連合も加わって最近発足したシーア派連合にサドル運動も参加しているが、シーア派聖職者のグループは2008年に武装武門であるマフディ軍への攻撃を承認したマリキに嫌悪感を抱いてきた。

 サドル運動の姿勢の変化は、マリキの顧問であるアリ・ムサウィから、「連立与党の形成にむけて他の政治勢力とも合意する道を開くものだ」と歓迎された。

 ムサウィは、正式に犯罪行為で起訴されたサドルは運動員の事件にマリキが干渉することはできないが、「無実なのに逮捕されている者はできる限りすみやかに釈放されるよう・・・委員会が発足している」と述べた。

 (以下、略)

2010年5月13日木曜日

イラクでテロ続発、背後に政治家の思惑

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☆★テロの背後に政治家がいる、イラク治安部隊員が指摘
Iraqi security forces say politicians were behind Iraq attacks
クリスチャン・サイエンス・モニター 2010年5月11日付
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http://www.csmonitor.com/World/Middle-East/2010/0511/Iraqi-security-forces-say-politicians-were-behind-Iraq-attacks

By Jane Arraf, Correspondent / May 11, 2010
The Christian Science Monitor

Baghdad

 5月11日、治安悪化の恐怖をもたらした一連のテロのために、イラクの治安部隊も一般市民も崖っぷちに立たされ、政府は連立与党の形成にかまけて市民を保護することができてないという非難が高まった。

 11日のテロで100人以上が死亡し、イラクでは今年最悪の日となったが、イラク政府の高官たちは事件をアルカイダの犯行と決めつけた。

 アメリカ国務省は、これらの事件はイラク国民が政府と治安部隊に寄せている信頼を傷つけるものだ、と非難した。しかし、事件は治安部隊に対するイラク国民の信頼を失わせたばかりでなく、イラク政府に対する治安部隊の信頼をも失わせたようだ。

 多くのイラク国民が、警官と兵士も含めて、テロ事件の背後に自国の政治家がいると考えている、という。

 攻撃を受けた検問所の現場近くにいた警官は、「治安対策の悪いイメージを広めたくないので、悪く言うことはできないが、正直なところ、治安は良くない」と語った。「これは権力争いなんだ。気づいてない者は1人もいない。国民は誰もがその事態を目にして理解することができる。私は今回の事件は政府のせいだと思う」。

 ◆選挙から2ヶ月、再集計でイラクは泥沼に

 総選挙から2ヶ月以上が過ぎて、イラクはまだマリキ首相が要求した再集計の泥沼のなかにある。マリキ率いる法治国家連合は、その最大のライバルで世俗主義を掲げるイラキーヤ陣営より、2議席少なかった。マリキは別のシーア派会派と連立を組むにしろ、イラキーヤへの投票者が多かったスンニ派教徒と手を組む方策を模索しなければならない。

 「特定の政党を糾弾することはできないが、どの政党も今の情勢を利用して、やりたいことをやっている」とある警官は語った。彼は本名が出ると拘束されたり懲罰を受けるのが恐くて、アマルと呼ぶように求めた。

 ◆一連の事件で治安部隊が狙われる

 ヒッラ市とバスラ市というシーア派の多い都市で、犠牲者が最多となる事件が起こった。このテロ事件はシーア派住民を狙ったもので、宗派主義の抗争を再現させようといているようだ。

 バグダッドの南方にあるヒッラでは、2台の自動車爆弾が繊維工場の外で爆発し、50人以上が死亡した。2年前に治安部隊がシーア派民兵を一掃してからは、安全な都市の一つと見られていたバスラでは、市場で3件の爆弾事件があり、30人以上が死亡した。

 しかし、検問所に対する未明の連続攻撃があったのはバグダッドで、この事件では治安部隊が計画的に狙われた。市内6ヶ所の検問所で、同時刻に、消音器を付けたマシンガンを持った男たちが、近距離から7人の警官を射殺した。

 ある襲撃現場近くにいた警官は、どの襲撃事件もアルカイダらしい痕跡がない、と証言した。

2010年5月11日火曜日

クルド指導者を茶化した記者が拷問・射殺される

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☆★指導者を茶化したクルド人記者が拷問・射殺
Kurdish writer tortured and shot in the head for mocking leaders
Global Newsroom 2010年5月6日付
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http://www.unfreemedia.com/mideast/2010/05/kurdish-writer-tortured-and-shot-in-the-head-for-mocking-leaders.html

By Leonard Doyle on May 6, 2010

 イラクのクルド自治区の首都であるアルビルで、クルド人記者が誘拐されたが、拷問されたあと、頭部に2発の銃弾を撃ちこまれて幹線道路に捨てられているのが発見された。

ザルダシト・オスマン(25歳)は、クルド地域の2大政党を傷つけたとして殺された。その政党には有力者バルザニの氏族が含まれている。オスマンは大学生で、インターネットで仮名を使うフリーランスの記者だった。

 彼が書いた痛烈な文章には、「私はバルザニの娘に恋している」と書かれていたが、それはクルド自治区大統領であるマスード・バルザニの娘の名前を口にするという、タブーを犯す行為だった。オスマンはバルザニの娘の一人と結婚できないかと大きな声をあげていた。

 目撃者の話によると、英語・英文学を専攻していたオスマンは、物理的な暴行を受ける前に、銃を持った正体不明の男たちによって、大学の正門前で誘拐され、ナンバーを隠した白色のバン(現代自動車)に連れ込まれた。

 オスマンの友人と家族は、クルド人政党に支配されるペシュメルガ(民兵組織の名前/訳注)または治安部隊の犯行だと非難した。

 ペシュメルガのアブドル・ハミドは、モスルの警官の証言だと、「遺体のポケットに大学の記章が入っていた」という。

 「遺体は手足を縛られており、口の中で発砲される前に、ひどい拷問を受けていた」と彼は言った。

 クルド地区ではジャーナリストの殺害は珍しい事件で、ここでは役所の仕事は事業を推進し、石油と天然ガスの投資を増やすことだと考えられていて、アメリカ人を含めて数千人の外国人が生活している。

 その1人であるピーター・ガルブレイスは、アフガニスタンで米国人ナンバー2の職務にあった人物で、この地域に大きな石油利権を持っている。

 今回のジャーナリスト殺人事件は、治安部隊の犯行とされている。殺された記者は、政権の座にある2大政党のもとで汚職がはびこっている構図を批判していた。

 75人のクルド人ジャーナリスト、編集者、知識人が署名した5月6日発表の声明文には、「この犯行は1人の人物や小さなグループにできる範囲を超えている」と書かれていた。

 「私たちはクルド地域政府と治安部隊にまず責任があると考えるもので、ついで、彼らは今回の悪行を摘発するためにあらゆることをすべきである。」

 ニューヨークタイムズが掲載したアルビル発の記事によると、オスマンは4日朝、サラハッディン大学芸術学部正門の向かい側に降りたあと、すぐに男たちから白いミニバスで連行された。彼は6月に英語の学位をとって大学を卒業することになっていた。

 サルダル・オスマンは、弟はファイン・アーツ・センター前から連れ去られたが、そこには常時ペシュメルガの熟練兵士6人以上が警備に配置されていた。学生たちは、オスマンが連行されたあと、センター長が現れて路上に散乱したオスマンの本とノートを拾っていた、と報告した。

 家族は5日になって、オスマンの遺体がモスル市にあるクルド愛国同盟の事務所前に捨てられている、と電話で知らせを受けた。アルビルからは50マイルの距離にある。オスマンは4月に、「1週間以内にアルビルを出て行かないと殺されるぞ」と電話で脅迫されていた。

 彼は2年間近く、スウェーデンに本部を置く『クルディスタン・ポスト』に、サロ・ザルダシトの仮名で記事を書いていた。『クルディスタン・ポスト』は、クルドの2大政党とその指導者に対しても、痛烈な批判記事を書くことで知られている。

 オスマンはさらに、5ヶ月前から、『サマル・ポスト』というアルビルを拠点にする雑誌に書き始め、スレイマニアを拠点にする中立系の新聞『ハウラチ』にも何本かの記事を載せていた。

 これまでもクルドのジャーナリストは、治安部隊によって嫌がらせを受けたり、脅迫されたり、物理的に痛めつけられてきた。クルド・ジャーナリスト協会によると、そのようなテロ行為は昨年だけでも357件あった。

2010年5月8日土曜日

新シーア派同盟はメイド・イン・イラン

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☆★新シーア派同盟はメイド・イン・イラン
Iraqiya: Shia alliance made in Iran
アルジャジーラ 2010年5月5日付
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http://english.aljazeera.net//news/middleeast/2010/05/201055161551418941.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

Aljazeera.net
May 5, 2010

 3月7日の国民議会選挙で最多議席を獲得したイラキーヤは、シーア派を基盤とした2つの会派が同盟したのは「イランの指揮のもと」での宗派至上主義の動きだ、と主張した。

 イラキーヤの広報担当ハイダル・アル・ムッラーはアルジャジーラの取材に、「この同盟が結成され発表された経過には、イランの指紋が鮮明に残っている」と語った。

 アヤド・アラウィ元首相に率いられスンニ派の支持を得たイラキーヤは、現職のマリキ首相が権力の座に執着して、イラク国民に負担を負わせている、と非難した。

 ムッラーは、「われわれは決して宗派主義の政府に参加することはない。イラク国民は、その過半数がわれわれの会派に投票した時点で、宗派至上主義を拒否したのであり、われわれの会派にはあらゆるイラクの党派、宗教、民族、宗派が含まれている」と語った。

 法治国家連合・の共同創設者であるハリド・アル・アサディは、その主張に反論し、「実際には、われわれの会派を宗派主義と言いつのる者こそ宗派主義者だ」とアルジャジーラに述べた。

 「われわれはこうした非難を宗派主義者の挑発だと受け止めている。われわれはイラクに文明国家をうち建てる愛国者である」。

 ◆シスタニの最終判断

 両会派の合意協定は、勢力間の論争が生じれば、アリ・アル・シスタニ(シーア派聖職者のなかで最高位にあるイラン生まれでイラク在住の聖職者)が最終判断を下すだろう、と規定している。

 カーネギー財団で中東プログラムの理事長を務めるマリナ・オットウェイ女史は、このような動きを不幸なことだと表現した。

 「イラクの政党でありながら、最終判断を議員以外の人物に委ねるというのは不幸なことだ。シスタニは議員に選出されてないし、選挙に立候補もしてない」と彼女は指摘した。

 「特にイラキーヤほか他のイラクの諸政党にとっては、これはひじょうに危険な動きだ。スンニ派教徒は、シスタニに最終判断を委ねるような政府を、受け入れないだろう。他方、クルドはすべてに目をつむるかもしれない。なぜなら、スンニ派教徒が参加しないなら、大統領ポストはまたクルドに回ってくるだろうから。」

 イラク国内のシーア派2大会派が5月4日に交わした協定は、最多議席を獲得したが議会の過半数には満たない世俗主義のイラキーヤを脇にやることで合意した。

 ◆主導権をめぐる駆け引き

 誰が首相になるかについての協議がシーア派の政党間ですすめられてる、とアル・アサディがアルジャジーラに語った。

 しかし、マリキが首相続投に固執しないことを法治国家連合が受け入れるまで、合意が日の目を見ることはない、と、広く考えられている。

 アル・アサディは、「マリキ氏は判断を会派の指導部に委ねた。すぐにも首相候補を選出する確かな方法があり、誰もがそれを尊重するだろう」と述べた。

 アメリカはこれに直ぐには反応しなかったが、先週、アメリカはイラクの政治家たちに、小異を捨てて、国を治める連立与党づくりを急ぐように要求した。

 新しいシーア派連合会派は国民議会の過半数163議席に4議席足りないが、それでも与党になる可能性はある。

 暫定的な選挙結果では、国民議会325議席のうち、法治国家連合が89議席、シーア派の宗教勢力であるINAが70議席を獲得した。イラク北部の自治区を支配してきた2大政党の連合会派であるクルド同盟は43議席を確保し、前記2大勢力が違いを乗り越えるなら、その連立に参加するだろうと前に述べたことがある。

 しかし、選挙委員会がバグダッドの得票を再集計しており、最終獲得議席は変わるかもしれない。バグダッドは70の議席定数を擁し、選挙のカギを握る州である。

 さらに9人の候補者が当選が有効かどうか裁定を待っている。そのうちの1人はイラキーヤに所属しており、既に失格を言い渡された。


http://www.uruknet.info/?p=65692

これはシーア派の首相選出委員会なのか?

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☆★これはシーア派の首相選出委員会なのか?
Is This the PM Committee of the New Shiite Bloc?
Gulf Analysis/Posted by Reidar Visser 2010年5月6日付
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http://gulfanalysis.wordpress.com/2010/05/06/is-this-the-pm-committee-of-the-new-shiite-bloc/

 最近イラクの報道機関に回覧されている観のあるこのニュースは、真偽のほどは確かでないが、イランの報道機関IRIBによって今も作られている。その基本的内容は、10人で構成される委員会が、全シーア派を網羅する新会派(既に結成された)のために、首相候補の選出作業をすすめている、というものだ。それは10人の指導者のうち8人の同意で決定され、ヌーリ・マリキ、バヤン・ジャバル・ソラ、アデル・アブダル・マフディ、イブラヒム・ある・ジャファリの中から選ばれるだろうと見られている。

 もしそれが本当なら、この話でもっと興味深いことは、首相選出に関与する委員会の構成であろう。それは次のようになっている。

1.タリク・ナジュム(ダーワ党)
2.アリ・アル・アディブ(ダーワ党)
3.アブダル・ハリム・アル・ズハイリ(ダーワ党)
4.ハサン・アル・スナイド(ダーワ党)
5.フダイル・アル・フザイ(ダーワ党/タンジム)
6.アハマド・チャラビ(INC)
7.フマム・ハムド(ISCI)
8.ファラハ・アル・ファイヤド(イスラー/ジャファリ)
9.クサイ・アル・スハイル(サドル派)
10.ハサン・アル・シャマリ(ファディラ)

 新シーア派会派の25%を占めるサドル派はひどく過小評価され、その一方でチャラビとジャファリが過大評価されている。ダーワ党は数は多いが、ここに名前が出たほぼ全員がダーワ党がINAに合流することを求めており、昨年8月マリキがその方向を拒否したことに怒っていた。

 もっとも、これまでのところ、上述のニュースがISCI(イラク・イスラム最高評議会)の報道機関であるブラサやフォラトなどで報じられていないことも、付け加えておくべきだろう。新会派結成への祝辞を表明する時間がなかったわけではなかろう。

 首相候補として挙げられた名簿も少々時代遅れのようだし、サドル派が行った人気投票で支持率が低かったソラとマフディを、ISCIがまだ引き立てるというもの少し変だ。

 さらに言えば、今日のイラクには流言が飛び交っており、シーア派の新会派についても信憑性がさまざまに疑われている。「イラクの統一」(会派名/訳注)がまだ法治国家連合およびイラキーヤとの連携を模索しているとか、また親INAのコメンテーターがマリキ首相にイラキーヤと交渉したというウワサについて返答を求めてるという流言もある。

2010年5月6日木曜日

バドル旅団の暗殺部隊

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☆★バドル旅団の暗殺部隊
Death Squads of the Badr Brigade
The Mesopotamian /Hussein Anwarのブログ 2010年5月2日付
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http://nebuchadnezzar-ii.blogspot.com/2010/05/death-squads-of-badr-brigade.html

May 2, 2010

 この情報は、イラクの適切な人々の監修のもとに、みずからも困難な状況にありながら収集された。

 ◆バドル旅団とマフディ軍の指導体制

 1.モハンマド・アリ・ハッサン・アッバス・アルハッサニ(通称アブ・アハメド)が、ムサンナ州におけるバドル旅団暗殺部隊の分隊指揮官である。

 2.バドル旅団のメンバーであるハフィズ・アブドル・ジャリルは中等学校を中退し、8歳の時にイランの諜報機関でスパイ活動に参加した。何十人ものイラク人(ペルシャ人の末裔)がイランに逃亡した1991年の事件に参加し、戦争の後にバドル旅団のメンバーとしてイラクに来た。(原注/彼は現在バビロン州知事)

 3.サドル・シティーのハッジ・アル・カイム55街区にあるモスクで導師となっているラスーン・ハッサン・サアディは、マフディ軍のなかで粛正および殺害を担当するグループを率いている。

 4.サドル・シティー29街区に住むハッサン・サリムは軍の将校であり、現在はマフディ軍に属するグループを率いて、同じ地区にある学校で拷問と処刑を担当している。

 5.ヒクマ・モスクの導師であるナジ・アブドアイタンは、マフディ軍の指導的人物で、サドル・シティー住民でもあり、同モスク内で粛正と拷問を担当するグループを率いている。

 6.ナジャフ出身のハッサン・アブド・アイタンは、イランの諜報機関に協力した罪で追放された家族の一員だったが、中佐にとりたてられてバドル旅団と一緒に仕事をしている。彼は占領後にイラクに来て、現在はナジャフの副知事として、ナジャフのバドル旅団を指揮している。またバグダッドにおける暗殺を担当しており、彼のグループは多くのイラク人を殺害し、ついにはバース党ナジャフ支部の指導的人物であるモハメド・カバア、アブ・サビンを殺害した。

 7.モハメド・サビト・アッ・サアディは、ナジャフにあるシーア派の学校ハウザの学生だが、現在はバグダッドに住み、マフディ軍のために働き、暗殺と誘拐を担当するグループを率いている。ヒズボラのイラク支部として知られるイランの諜報機関から指令を受けている。

 8.モハメド・アル・ハイダリはイラン人の末裔でモスクの導師をしている。彼とその家族は追放され、80になってイランの諜報機関のために働くようになった。イラン国内で仕事をしたあと、占領後にイラクに来て、バドル旅団とともにバグダッドで最初に暗殺部隊を編成し、イラン諜報機関に奉仕した。バグダッドに来て最初の数ヶ月は、カラダ地区にある元印紙局を処刑と尋問の仕事場にし、バース党員や自衛に参加する者、旧軍の将校などの殺害命令を出した。彼のグループはバグダッドほかの州で数百の作戦を遂行しており、イラクにおいてこれまでで最もきわだった暗殺部隊のリーダーである。

 ◆暗殺部隊アル・ラサファ分隊

 バドル旅団のメンバーであるフセイン・カセム・シャヒール・アル・イタビは、フダリヤ地区の住人で、2003年よりも前にバグダッドでロケット弾を発射した事件に関与して、イランに逃亡していた。イランの諜報機関のメンバーとなっていたが、任務を受けてマフディ軍の指導的人物となった。現在は以下の地域で活動するマフディ軍の指揮官である。ラサファ、フダイリヤ、カマリヤ、ラアサ、オバイデイ、フサイニヤ、ウールファッリ。

 フダリヤ地区の出身で甥にあたるフアイ・シャヒール・アル・イタビという名の学生を手下にして、前のイラク当局(=フセイン政権)から指名手配されていたナラズ者であり、占領後に第3の人物ジュマア・アルハムラニと一緒にバグダッドに帰ってきた。

 これらの者たちは、アマル・アル・ハキムやハヂ・アル・アミリからの支援を得て、上述の人物らとも直接的な連携をとっており、アダミヤ地区にあるシーア派のブラサ・モスクを拠点にするジャラルディン・アル・サギルから指令が出ている。ここに屯’たむろ)する者の一部はグリーンゾーンにも出入りし、イラク調和戦線、国民対話戦線の国民議会議員、イラクの諜報機関幹部らの判断もあおいでいる。このグループがバグダッドでは最大勢力である。

 中核となるグループは、内務省の作戦室長モハメド・ジュマ・アル・シャラシュと連携を取っていて、彼がバドル旅団の司令官(大将)、バシル・ナシル・アロンディがバドル旅団の副官で内務局担当の内務副大臣、アハメド・アル・ハファジがバスラ担当の内務副大臣。彼らは内務省および国家警護隊、緊急展開部隊の幹部のなかに大勢の手下を持っており、彼らの犯罪を隠すためにジャラルディン・アルサギルから多額の金銭を受けとっている。その人数は何百人にのぼると見られ、それぞれの司令部はすべて、フダリヤ、オバイディ、ジャミーラ、タリク、シャマイヤ、革命広場に集中している。

 これらのグループのなかに、マジド・ハミド・アル・アサディ(イランの諜報機関で働いていたアブ・ムスタファ・アル・シェイバニの従兄弟)に指揮されるグループがあり、米軍に指名手配されている。彼は元々バスラの出身で、父親はバスラ警察の総監だった。1991年のバスラでの事件に参加したため、バスラからバグダッドへ逃亡した。

 彼は今、アル・シャブ地区とサドルシティーの郊外数カ所を活動範囲にして、幾つかのグループは従兄弟であるアブ・ムウタファの弟に指揮を任せている。

 この殺人グループは、彼の義兄弟が指揮をとっており、彼はモハメド・アル・ムサウィと呼ばれる教師で、ルサファ地区の教育長をしている。彼らは配下に内務省のメンバー、国家警護隊のメンバーを抱えており、彼ら自身のために働く特殊部隊員もいる。彼らがバグダッドの街頭で最も多くの誘拐と殺人を遂行した下手人である。

 カルク・グループはナイル・ムサウィ陣営のマフディ軍指揮官に率いられているが、彼らの仕事を支援し監督している人物こそ、現在のバグダッド州知事(フセイン・アル・バグダーディまたはアブ・ハナ)である。彼はバドル旅団の指導的人物の1人であり、イラン諜報機関のメンバーでもある。

 バドル旅団に配置されたアル・ハキムの側近は、士官学校手下に通ったこともない部下を士官に昇進させている。

 アブドル・アジズ・アル・ハキムは、資格や経歴もない部下を士官に昇進させ、内務省と国防省の編成に当たらせたうえ、自らも所属する宗派主義政党のメンバーを大佐クラスの階級に抜擢し、内務省や軍、あるいは諸州の国家警護隊の幹部に配置した。

 またフセイン・アル・サリ内務相とダーワ党の配下にあったヒズボラ運動とバドル旅団は、次のような行為も行っている。

 1.米軍に押収されたり捜索されりすることを恐れ、また不測の事態に備えるために、それぞれの司令部と重要文書をナジャフ州とワシト州に移した。

 2.自派のメンバーがイランとイラクの間を自由に行き来することができるように、マイサン州のイラン国境に配置された警察と軍の部隊を掌握している。それはまた、仲間が米軍に指名手配されたら簡単に密出国できるようにし、イランの諜報機関から受けとった証拠物件が発覚いたときには亡命できるようにするためである。

 3.アル・ハキムは、秘密司令部の存在と、これまで3ヶ所が発見されたことを強調した。

 a) ディカル、ワシト、マイサンの3州にまたがる三角地帯はサイド・シャンディ司令部と呼ばれ、それ統括している人物はアブダマド・ムハイミード・アッ・ダラジという名のバドル旅団の指導的人物である。彼はバドル旅団の高級幹部であり、大佐の階級を与えられ、現在はマイサン州の軍の司令官である。

※訳者補足: イラクの詳細地図
http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/DetailedMap_of_Iraq.html


 b) ディカル地区は、アリ・フセイン・ジャズと呼ばれるヒズボラのメンバーと、タリア党のマフディ・ジャッバル・アル・アクダウィらが統括しており、彼らの司令部はナシリヤにあって、多数の大型兵器庫があると言われている。

 c) ナジャフ州では、指揮官はアブダルフセイン・アブタンと呼ばれ、ナジャフ州のバドル旅団の指導的人物だが、イランの諜報機関で中佐の地位にあって、占領後にイラクに来たペルシャ人の末裔である。

イラキーヤ広報担当: 首相府から死の脅迫文が届いた

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☆★イラキーヤ広報担当: 首相府から死の脅迫が届いた
Iraqiya Spokesman:
I Received A Death Threat from the Prime Minister's Office
アッシャルクル・アウサト 2010年5月2日付
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http://www.aawsat.com/english/news.asp?section=1&id=20802

Baghdad, Asharq Al-Awsat

 バグダッド発 -- イラキーヤの広報担当ハイダル・アル・ムッラーによると、イラクの次期政府編成をめぐるバグダッドの政争は、大っぴらな死の脅迫が届けられる事態にまで至った。彼はイラク首相ヌーリ・マリキの事務所から直接、死の脅迫の受けとったと言う。

 ムッラーはアッシャルクル・アウサトの取材に、午後10時、マリキ首相が率いるダーワ党の高官から電話があり、マリキ首相によるコメントに対してイラキーヤ陣営が発表した声明とコメントには、どんな背景があるのかと詰問された、と話した。ムッラーによると、ダーワ党の高官は、「君たちはなぜ緊張を高めるのか?」とも問いただされたという。

 ムッラーは続けて語った--その電話のあと1時間ばかりして、マリキ事務所の幹部が電話して来て、彼をののしった。その人物を彼は知っていて、その電話の前にもその人物と彼は電話で話していた。ムッラーの話によると、その幹部は次のように言った。「これはマリキから君宛のメッセージだ。君がイラクに戻ってくると、われわれは君の首と足を切り落とすぞ」と。

 電話を受けたとき、ムッラーはイラクの国外にいた。ムッラーはアッシャルクル・アウサトの取材に、自分はその幹部に来週の帰国予定を教えたので、彼は好きなようにうればよい、と語った。

 ムッラーはアッシャルクル・アウサトに、この電話の内容をイラキーヤの会合で知らされ録音したこと、その会議にはイラキーヤ会派のの主要メンバーが出席していたことを確認した。彼はその録音記録を裁判所に提出し、マリキを法廷に引っ張り出すつもりだと語った。

 アッシャルクル・アウサトは、マリキ首相のコメントを入手しようと試みたが、この記事が印刷にまわされた時点で、返答はいっさい返ってきてない。

2010年5月5日水曜日

マフディ軍が活動再開/秘密監獄は・・・

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☆★マフディ軍が活動再開
The return of the Mahdi Militia
The Mesopotamian /Hussein Anwarのブログ 2010年5月1日付
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http://nebuchadnezzar-ii.blogspot.com/2010/05/return-of-mahdi-militia.html

May 1, 2010

 この記事はアラビア語から英語に翻訳したものである。

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 ムクタダ・サドルが昨日、モスクに来る礼拝者を守るために、自分の民兵組織であるマフディ軍の活動再開を呼びかけたことで、イラクは再び宗派抗争の様相を呈してきた。それはバグダッドにあるシーア派のフセイニヤ・モスクが攻撃され、何十人もの死傷者が出たためだが、治安当局はこの事件を指導者を殺害されたアルカイダの報復だと見ている。

 バグダッドではモスクを狙って6台の自動車爆弾事件が発生し、死者57人、負傷者117人以上の犠牲者が出た。イラクのある治安当局者は、人々を混乱させ宗派間の内戦という雰囲気を作りだすために、次にはスンニ派のモスクが狙われることもありうると警告した。

 サドル・シティーは2台の自動車爆弾で攻撃され、1台はサドル事務所の近く、もう1台はモスクの近くだった。また市場内で発生した爆弾事件では、39人が死亡し、56人が負傷した。このほかザッファラニヤ(バグダッドの南部)、フリヤー地区(バグダッドの西部)、アミーン(バグダッドの東部)でも爆発があり、20人が死亡、50人が負傷した。

 バグダッドの作戦運用室で広報を担当するカシム・アッタは、「金曜日に攻撃した意味は明らかだろう」と語った。彼は攻撃の背後にある狙いについて、宗派間抗争の雰囲気をかもしだすためだと見なし、イラクTVに、「次の攻撃目標はスンニ派のモスクじゃないか」と警告した。

 アッタなど治安当局者と政治家たちは、爆弾事件はアルカイダを攻撃し指導者を殺したことへの、アルカイダ側からの反撃だ、と説明した。

 そのためサドルは、金曜礼拝においてモスクを守るようマフディ軍に指示したが、これは2007年に民兵組織が凍結されて以降、初めて民兵を復活させる公式声明だと見られる。

 爆発事件の数時間前、アル・ハヤト紙の質問に対してサドルの代理人サラハ・アル・オバイディは、サドル運動は「テロがよみがえることはない」と、民兵の復活を心配しているバスラ市民に約束する、と答えていた。

 しかし爆発事件の後には、オバイディは、サドルがマフディ軍にモスク防衛とサドル派の事務所を守るよう指示したことを説明した。サドル運動の指導的人物であるハジム・アラジは、マフディ軍の活動凍結は、国家が役割を果たす機会を提供するものだったが、国は安定を実現することができないようだと指摘し、それがモスク防衛をマフディ軍に指示した理由だと語った。


 また、イラク政府高官はロイター通信に、「当局は秘密監獄を閉鎖したが、そこには400人以上が収監され、ほとんどがスンニ派教徒で、裁判にもかけられることなかった。当局は監獄を管理していたイラク軍の担当将校3人を逮捕した。秘密監獄を管理していた部隊は、マリキ事務所から直接命令を受けていたが、マリキの側近は秘密監獄の存在などを知らされず、連絡もとってなかった」と語った。

 その一方で、人権省の報道官カメル・アミンは、「3人の将校が尋問と拘留を受け持っていたが、最大の問題は、秘密監獄が閉鎖されて今では過去の問題となったことだ」と語った。秘密監獄の閉鎖は、選挙のあとも首相ポストにとどまるためにマリキが苦闘している微妙な次期に決定された。

 秘密監獄が明らかになった時、人権省も調査のために担当幹部を派遣したが、収容されていた人々は、そこで虐待されたり家族とも会えなかったこと、法の支援も受けられなかったことを訴えた。アミンの話では、収容所には431人が拘束されていたが、そのうち100人が釈放され、残りのメンバーは司法省が管理する監獄に移送されたという。軍の高官は、監獄に収容されていた者全員に逮捕状が出ていた、と反論した。


http://www.uruknet.info/?p=65577

イラク民間人の死者数が4月に入って急増

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☆★イラク民間人の死者数が4月に入って急増
Iraq civilian death toll rises sharply in April
ロイター AlertNet 2010年5月1日付
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http://www.alertnet.org/thenews/newsdesk/LDE64000U.htm

 バグダッド発、5月1日(ロイター)

 イラクにおける戦闘ないしテロによる民間人死者数は4月に入って前の突きより急激に増えた。明確な勝者が生まれなかった選挙のあと、不穏分子が政治的緊張につけこもうとしているのかもしれない。

 政府が5月1日に発表した数字によると、爆弾事件その他の攻撃による民間人の死亡者総数は、3月の216人、2月の211人に比べて、4月は274人に増えた。この数字は2006年から2007年にかけての全面的な「宗派抗争」ほどではないものの、死亡者数は増えているといえる。

 世俗派のアラウィ元首相に率いられたスンニ派の支持する会派イラキーヤは、次期政府を樹立する機会を奪おうとする企みがテロ頻発の事態になっている、と警告した。

 シーア派のマリキ首相が率いる連合会派は、バグダッドの投票を数え直させることに成功し、再集計は3日に始まるが、選挙結果を変える可能性もある。

 シーア派主導の他の勢力は、バース党との結びつきを口実にして、当選した候補者の資格剥奪を策動している。対象に挙げられたほとんどがアラウィの率いるイラキーヤに所属している。

 内務省・国防省・保健省が発表した死亡者の月例統計によると、正規警官39人、兵士15人、不穏分子48人が4月に入って殺された。警官の死亡者数は、それ以前の月よりかなり減った。

 不穏分子による攻撃で先月目立った例は、バグダッド市内のシーア派居住地を狙った一連の自動車爆弾で、4月23日に市民56人が死亡した。

 連携した事件の可能性がある4月6日の爆破事件では、7つのビルが破壊され、市民35人が死亡した。外国大使館を狙った自動車による自爆事件では、その2日前に41人の死者が出た。

2010年5月1日土曜日

イラクの「秘密監獄」で恐ろしい拷問を受けた

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☆★イラクの「秘密監獄」で恐ろしい拷問を受けた
Iraq 'secret prison' inmates allege horrific torture
BBC 2010年4月28日
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http://news.bbc.co.uk/2/hi/8649528.stm

By Gabriel Gatehouse
BBC News, Baghdad

 バグダッドの秘密監獄に罪名も告げられないまま何ヶ月間も投獄された人々は、その期間、電気ショックや強姦などを含むゾッとする拷問を受けていた。

 その監獄にはイギリス人1人もまだ収監中だが、彼もこの虐待を告発したうちの1人である。

 BBCはその監獄に収容されたことのある人物に取材したが、彼は監獄内での組織的な虐待の映像を持っていて、アメリカに本部を置く人権監視グループによる報告で詳細が明かされた。

 ムサンナ空港にあったこの秘密監獄は、今は閉鎖されている。

 軍の兵舎を装った廊下と監房は空っぽになっている。

 しかし、4月の初めまでは、イギリス国籍をあわせ持つ男性1人を含めて、400人以上の囚人が野蛮きわまりない虐待を何ヶ月も受けていた。

 1人の男はBBCに、「奴らがナイロン袋を私たちの頭にかぶせ、窒息させようとしたのが最初だった」と話した。「その後は、私たちの全身に水をかけておいて、電気ショックの拷問をおこなった」。

 彼は昨年9月からムサンナ監獄に投獄されていたが、3月に秘密監獄の存在が明るみに出たあと釈放された。

 この男性は、報復を恐れて素性を明かすことを望まなかったが、BBCが取材した多くの人々と同じように、彼が受けた虐待も人権監視グループが行った報告をほとんど同じだった。

 「囚人の中には杖や金属パイプで犯されたものもいて、あそこに電気を流された者もいる。奴らは、もし私たちが自白しないなら、母親や妹も連れてきて、お前の目の前でレイプするぞ、と脅した」。

 秘密監獄に投獄されていたうち、300人以上がバグダッド市内の別の監獄に移され、虐待もやんで処遇は比較的改善されたようだ。

 そのなかにイギリスとイラクの二重国籍を持つ68歳の男がいて、彼は昨年、息子を捜しにイラクにやってきたと語った。

 人権監視グループが聞いた話では、彼は2009年12月に逮捕されてムサンナ監獄に収容され、虐待を受けることになった。

 彼は糖尿病患者で車イスに乗っており、医者の治療を受ける必要があった。

 バグダッドの英国大使館は、イギリスとイラクの国籍を持つ人物がバグダッドで投獄されていることを知って、大使館職員を面会に行かせていた。

 イラク政府は、秘密監獄が設置されているとか、国内の監獄で虐待が蔓延しているという話を、強く否定してきていた。

 法治国家連合から次期国民議会議員に当選したサアド・ユーシフ・アル・モッタリビは、「これが制度的なものでないことを保証する」と言った。「収容者を虐待する個別の事例はある。幾つかの報告もあがってきている。いかなるレベルでも、見逃すことのないケースだ」。

 だが人権監視グループは、ムサンナ監獄で行われていた虐待は、「日課となって、組織的に行われていた」と証言した。調査員のサミル・ムスカティは、「これは標準的に行われていたもので、尋問官が情報を得るために使う手段だった」と語った。

 彼は今週初め、ムサンナ監獄に収容されていた40人以上の人々と話をした。

 「私たちが会った者は誰もが同じ場所で同じ体験をしていた。つまり一つのパターンになっていたようだ」。ムスカティは収容者が法律で守られていないと指摘する。

 「政府の人間もその存在を知らないのだから、秘密監獄だったはずだ。家族さえどこに収容されているのか手がかりがなく、収容された者は法律に頼ることも、司法の裁きを受けることもない」。

 サダム・フセインの時代には、イラクの監獄には拷問部屋があると言われたものだが、今日では、サダムが失脚して7年もたつのに、虐待と拷問がまだ続いているようだ。

イラク政府の秘密監獄はアブグレイブより悪い

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☆★イラク政府の秘密監獄はアブグレイブより悪い
Secret Iraqi government prison was 'worse than Abu Ghraib'
ワールド・ニュース 2010年4月29日
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http://article.wn.com/view/2010/04/29/Secret_Iraqi_government_prison_was_worse_than_Abu_Ghraib_c/



 上記タイトルと関連するビデオ映像を紹介しているページ。

からい政府と外国企業の石油協定は無効

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☆★バース党及び聖戦と解放の最高司令部が外国企業に警告
  --傀儡イラク政府と契約する外国企業に告げる
The Baath Leadership and JLNSF warns the foreign companies
which deals with the puppet Iraqi government
アル・バスラ・ネット 2010年4月10日付
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http://www.albasrah.net/pages/mod.php?mod=art&lapage=../en_articles_2010/0410/ba3th_130410.htm

 イラク傀儡(かいらい)政府との間で結んだ石油協定は無効である。

 バース党ならびに<聖戦と解放と国民救済戦線=JLNSF>の最高司令部は本日(2010年3月25日)、イラクで操業している石油企業に対して強い警告を発するとともに、彼らが傀儡イラク政府との間で調印した協定は占領体制が崩壊するのに伴って崩壊するものと確認する。またJLNSFはこれらの企業が属する諸国に対しても、アメリカによるイラク占領の陰謀にまぎれてイラクの資源を略奪することをやめ、危険きわまりないリスクとひきかえにイラク国民に対してのみならず自国の利益にも背く恐ろしい犯罪を犯すことがないように、と警告した。

 その声明の全文を以下に紹介する。

 わが偉大なイラク人民の息子と娘たちよ!
 わが輝かしい国の息子と娘たちよ!
 勇敢な聖戦の戦士たちよ!

 アメリカの占領者とその同盟者は、占領よりも優先して、まさしく侵略の初日から、軍・民双方の統治者を使って、そして後には占領下のバグダッドに自分たちが連れてきた最悪のギャングどもを使って、イラクの天然資源を略奪してきた。

 この由々しい謀略は、米・英占領軍と同盟諸国の間で戦利品と影響力を共有するために、イラク侵略と占領の一環として遂行されている--今、あらゆる徴候がそのことを物語っている。

 この危険な陰謀によると、米・英占領軍はイランの手先をイラク国内に解き放ち、イランの覇権拡張と宗派主義の差別政策を推進させ、人口構成を変えてアラブ的なるものを消滅させてきた(占領者たちはテロリストでもあるスパイ組織とその代理人および手先をバグダッドの支配者および民兵として送り込んだ)。そうして彼らを愛国的なイラク・レジスタンスと戦わせ、イラク国内におけるアラブ的要素を一掃し、イラクを弱体化させ、国民を分断し、アメリカとイギリスのギャングたちがイラクの豊かな資源、つまり天然ガスと石油を掌握しようとした。
 
 米・英の武装ギャングがイラクの天然資源を奪ったことは、占領目的としては2番目で、目的の1番はイスラエルを保護し、イスラエルの安全保障と膨張政策を保証することである。彼らが経済部門とりわけ石油部門に、イラン出身の代理人を犯罪履歴まで取り消してまで配置した理由は、ここにある。石油の国有化は、イラク国民が何十年もかけて、バース党の指導とサダム・フセインおよびその勇敢な同志に率いられた革命によって、1972年に達成したものである。

 そのうえ、イランの代理人を使って油田を西側企業に売り渡したことで、占領者たちはイラクを石油国有化以前の時代に後戻りさせた。それは間違いなく、イラクの国民的利益に反しており、多国籍企業にイラクの経済を支配する主導権を与えるものである。

 国際法は、占領国が被占領国の石油資源を略奪することを許していないように、占領国が被占領国の法的・政治的・経済的な現状を変更することを許しておらず、したがって法的根拠のない政府との間に調印され、法的権限のない占領によって課せられたこの石油協定は無効である。

 占領当局は奪ったイラクの石油の分け前を、アメリカ企業と同盟国イギリス及び仲間である西側諸国の企業に与えていて、その実際を隠すために劇的な手法を採用し、イラク石油省を支配するイランの手先に指図して、占領を受け入れず侵略に反対した旧イラクの友好国(例えばマレーシア、中国、ロシア)の企業にはわずかな残り物を与えることにした。

 バース党指導部、愛国的民族的イスラム戦線、<聖戦と解放と国民救済戦線=JLNSF>最高司令部は、上記の諸国及び他のいかなる友好国に対しても、アメリカにつきしたがってイラクの富を略奪することをやめ、イラク国民に対してのみならず、自らの利益にも反する重大な過誤に関与することをやめるよう要請する。

 イラク国民運動は、武装レジスタンスはもとより政治、法律、学会、部族を基盤とした傘下の構成団体、そして愛国的政党や委員会など、占領に反対しているすべての勢力とともに、一致してこのような協定と談合を拒絶する。

 バース党とJLNSFは、非合法の傀儡政府との間に締結された契約は無効であり、占領者を追放してイラクを解放したあとには、イラクの愛国レジスタンスによって樹立された愛国的な正統政府がすべての契約を認めないことを宣言する。なぜなら、その協定に調印した勢力が崩壊することに伴って、協定そのものも崩壊するはずである。傀儡政府は、その保護者である占領者アメリカが追放された途端に、その地位にとどまることはできなくなるのだ。

 バース党とJLNSF最高司令部は、これらの企業の所業をアメリカによるイラク占領の拡張と見なしており、したがって占領と占領目的および全ての邪悪な陰謀に反対し、イラク国民の富を守り擁護するために、愛国的イラク・レジスタンスを正当な目標として掲げる。

 バース党
 聖戦と解放と国民救済戦線(=JLNSF)最高司令部
 2010年3月25日

 英訳:アブー・アッシュール(Abu Assur)
 原文(アラビア語):
 http://www.albasrah.net/ar_articles_2010/0410/qyada_100410.htm