2010年6月22日火曜日

抗議で死者が出たあと電力相が辞任

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☆★抗議で死者が出たあと電力相が辞任
Iraq electricity minister resigns after deadly protests
BBC(イギリス)  2010年6月11日付
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http://news.bbc.co.uk/2/hi/world/middle_east/10371581.stm

 幾つもの都市で停電に対する激しい抗議が吹き出たために、イラクの電力相は辞任を申し出た。

 カリム・ワヒード電力相は、国民の焦燥感と電力省の資金不足が発電不足の原因だと語った。

 気温が摂氏50度に跳ね上がるなかで、電力の供給は1日に数時間しかなく、国民の怒りは高まっている。

 19日のバスラ市では、電力不足に抗議する市民に警官が発砲し、2人が死亡した。

 ワヒード氏は、2006年にマリキが首相になってから、電力相に就任していた。

 彼はテレビ演説で、「私が起ちあげた電力不足解消プロジェクトで問題は解決されるのに、イラク国民は事態をガマンすることができず、また事態があらゆる方面で政治問題化されたために、私は意を決して辞任を発表することにした」と語った。

 バスラの警察は、州政府ビルに投石する抗議参加者を追い払うために、彼らに向けて発砲した。

 抗議参加者の掲げる横断幕には、「電気を寄越せ」とか、「バスラ市民は公共サービスと電気の提供を求める」などと書かれていた。

 バスラでの抗議に続いて、21日にはナシリヤ市でも同様の抗議が発生し、抗議参加者の投石で警官14人以上が負傷した。

 これに対して、警察は放水で抗議参加者を追い払おうとした。

 政府の報道官は、ワヒード氏の辞任が受理されるかどうか、22日に閣議で討議されるまでマリキ首相は決定しないだろう、と話した。

 3月の総選挙で明確な勝利者がなかったことから、イラクには苛立ちが募っている。諸政党は、首相その他の重要ポストに誰が就くか、合意できないでいる。

イラクの停電に抗議が噴き出す

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☆★イラクの停電に抗議が噴き出す
Iraq power outages provoke protests
アルジャジーラ  2010年6月21日付
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http://english.aljazeera.net/news/middleeast/2010/06/2010621141946159881.html

 イラク南部でひどい停電に抗議して怒りのデモが3日続いたあと、イラクの電力大臣が辞任を申し出た。

 カリーム・ワヒード電力相は21日、国営テレビで、「国民に仕えるために首相が命じることなら、何であれそれに従う用意はできている」と発言した。

 ディカル州の州都ナシリヤ市で大規模なデモが発生したあと、数時間後に、この電力相の発言となったが、ナシリヤでは群衆を州政府ビルから排除するために、興奮した警官が放水ポンプを使ったりした。

 この抗議行動のあいだに、10人以上の警察官が負傷した。

 バスラ市でも、抗議を展開する小グループが、州政府ビルの周囲に座りこんだ。

 湾岸地域の初夏の熱波が気温を摂氏50度以上に押し上げるなかで、イラク南部の多くの地域においては、1日に6時間程度しか電気が通じず、灼熱の天候となっている。

 ◆市民の憤懣

 21日のデモは、20日のナシリヤにおける小さめのデモ、そして19日のバスラにおける大規模なデモに続くもので、死亡者も1人でた。

 19日のデモでは何千人ものデモ参加者が市庁舎を取り囲み、石や空きビンを投げる者もいた。彼らはイラク電力相カリーム・ワヒードの辞任を要求していた。

 電力省の報道官ムサブ・アル・ムダリスは、停電の責任を地方の役所になすりつけた。

 マリキ首相はバスラに特使を派遣し、停電問題をめぐって現地当局者と協議した。

 タリク・アル・ハシミ副大統領は、20日にワヒードと会談し、電力状況を改善するために「重大な処置を進める」よう彼に命じた。

 19日のバスラにおける抗議デモでは、マリキ首相に反対するスローガンを叫ぶ者もいた。マリキ政府は、イラク国内の基本的公共サービスを改善できなかったことで、幅広い層から非難をされている。

 赤十字国際委員会の報告によると、停電は国中に広がり、国民の4人に1人は安全な飲み水を確保することができないでいる。

 ホシュヤー・ゼバリ外相は、抗議デモは政府の失政をめぐる国民的怒りの広がりを示している、と語った。

 「人々は公共サービスの欠如と対応の無策ぶり、そしてに政府の対応をめぐるテレビ討論のすべてに疲れきっている」と。

2010年6月13日日曜日

新たなシーア派会派=国民同盟

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☆★イラクで新たなシーア派会派=国民同盟
Iraqi merger forms new Shia bloc, the National Alliance
BBC(イギリス)  2010年6月11日付
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http://news.bbc.co.uk/2/hi/world/middle_east/10294271.stm

 イラクの2大シーア派グループが、先の選挙で躍進したことから、新しい国民議会において最大の会派を形成しようとしてきた。

 国民同盟と呼ばれるこの会派は、マリキ首相の率いる会派と、急進派であるムクタダ・サドルの支持者を含むシーア派会派が合併するものである。

 この会派も国民議会での絶対過半数には少し議席が足りないが、ライバルである世俗主義のスンニ派会派より抜きんでることになる。

 新しい国民議会は14日月曜日に招集される。

 シーア派の2会派は、数週間の交渉を経て、一つの会派を結成すると発表し、暫定議長も承認した、と、発表した。

 INA(サドルなどシーア派至上主義が中心の会派/訳注)のメンバーであるカリム・ヤコビは、新しいシーア派会派が過半数を占めるようにクルド同盟が合流するだろう、と語った。

 バグダッド駐在のBBC特派員は、シーア派陣営も世俗主義のスンニ派陣営も、どちらも与党となる権利を主張するだろうと語った。この問題についての憲法判断は不明である。

 特派員の見解では、いずれにしても、シーア派陣営はまだ誰を首相候補にするか決めていない。そこで考えられることは、まず第一段階として、国民議会の開会が宣言され、権力共有の交渉がまとまるまで、無期限に延期されるのではないか。

イラクの高給取り、トップ10

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☆★イラクの高給取り、トップ10
Iraq’s Top Ten Salaries
McClatchy Inside Iraq 2010年6月9日付
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http://blogs.mcclatchydc.com/iraq/2010/06/iraqs-top-ten-salaries-and-the-best-pension-in-the-world-i-guess.html

 イラクの高給取り、トップ10・・・そして多分世界一の恩給も

 アル・アラム新聞社に勤めるイラク人ジャーナリストであるサルマド・アル・タエは、イラク政府高官の給料を明らかにする記事を発表した。

 高給取りトップ10とは、イラク大統領と2人の副大統領、首相と2人の副首相、国民議会の議長と2人の副議長、そして最高裁長官である。

 イラク政府首脳の給料は公開されてはなく、そしてその俸給額を特定する法律があるわけでもない。

 タエとその同僚2人は奔走し、幾つかの数字を入手することに成功した。彼の説明によると、給料に多くの手当が加えられてとんでもない高額になるという。極めつけは優待手当というのもある!! 危険手当とかもある。したがって次に紹介するのは、ほんの一部である。

 イラク大統領: 年額約70万ドル

 イラク副大統領: 年額60万ドルだが、イラクの報道機関によると、アデル・アブドル・マフディ副大統領は総額で毎月100万ドルを受けとっていると語った。

 首相府は、マリキは年額36万ドルを受けとっていると発表した。しかし幾人かの高官から入手した情報では、首相の俸給は大統領の俸給と同額だという。つまり彼らは同じ給料を受けとるべきなのだ。

 最高裁長官は月額10万ドルとされ、手当については不明。

 副首相は年額約17万2000ドルとされ、特別手当は不明。

2010年6月8日火曜日

スンニ派民兵から武器を取り上げる

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☆★イラクはスンニ派民兵から武器を取り上げる
Iraq pulls weapons permits from Sunni tribal militias
ロイター 2010年6月6日付
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http://www.uruknet.de/?s1=1&p=66746&s2=07

By Hilmi Kamal

 バクーバ(イラク)発 -- イラク軍は5日、元スンニ派ゲリラ1万人から武器の携帯権限を奪ったが、これはイラクのテロ抑制に協力して信頼されたスンニ派戦士と治安部隊との間に亀裂を深めかねない動きである。

 覚醒会議ないし「イラクの息子」と呼ばれる運動の指導者は、これに直ぐに反応して、もし武器の携帯が認められなくなると、スンニ派の多いディヤラ州など不安定な地域で治安部隊に協力することを止める、と警告した。

 ディヤラ州の軍令部に配属されている広報担当は、「本日、6月5日、われわれは国防省の地上部隊司令部から命令を受けたが、それは覚醒会議の兵士に与えられた全ての徽章を取り上げ、武器の携帯が認められない新しい徽章ととりかえるというものだった」と語ったが、氏名は明かさなかった。

 軍の広報官によると、覚醒会議のメンバーは民間人とみなされ、「その結果、この州では約1万人の兵士が武器の携帯を認められなくなる」と説明した。

 ディヤラ州における覚醒会議の責任者ハリド・アル・ルハイビは、軍はこの命令を撤回すべきで、さもなければ自分の部下はイラク軍への協力を止めるだろう、と語った。

 「武器を携帯できないようでは、われわれの任務を遂行することは不可能だ」と彼は言った。「どうやって自分を守れというのか?」。

 「イラクの息子」という計画は、部族の指導者がイラクを分裂させかねない武装闘争の経歴を転換した2006年に始まったもので、彼らは米軍およびイラク軍に合流し、アルカイダその他の武装グループとの戦いに加わった。

 アルカイダとの連携を絶つという彼らの決定は、スンニ派のイスラム戦士を相手にするアメリカの戦争にとって転換点となった。

 イラク政府の指導部は、約9万人の覚醒会議メンバーに、政府の仕事を提供すると約束した。政府高官によると、約4万2000人の戦士が既に政府の省庁で職を得たという。

 しかし他の数万人は、3月7日の総選挙を経て、新政府が形成されるまで、各出身地の治安パトロール要員にとどまるよう指示された。

 選挙では勝利者を明確にすることができず、宗派によるイラクの分断をさらけだした。アラウィ元首相が率いる宗派横断の会派イラキーヤは、スンニ派教徒の強い支持を集めてわずかながら勝利を収めたが、与党を形成する過半数の議席を獲得した会派はなかった。

 選挙のあと、シーア派の2大会派が国民議会で最大勢力を築く計画を公表した。アラウィは、政府からイラキーヤを排除しようと策動したシーア派会派が、新たなテロの引き金をひくかもしれない、と警告した。

 「イラクの息子」に参加した戦士は、2006年から翌年にかけての最悪の宗派抗争以降、テロを抑制することに協力して信頼を得たが、その時数万人の人々が殺された。

 バグダッドの真北に位置するスンニ派優勢のディヤラ州は、ここ数ヶ月、他の地域以上にテロが増えてきた。

 5月12日、爆発物を積んだミニバンがハリスの町の混雑した市場で爆発し、30人以上の死者と80人の負傷者を出した。

 アルカイダとの戦いに参加する前、「イラクの息子」のメンバーはアメリカ軍とイラクの治安部隊を殺したとして告発されていた。彼らの元リーダーと戦士の中には、イラクの治安部隊に拘束されて弾劾された者、身を隠した者もいた。

 覚醒会議のメンバーは、最近の相次ぐ暗殺事件ではターゲットにされ、100人以上が殺された。

世俗派の候補者2人が殺される

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☆★世俗派の候補者2人が殺される
.2 candidates from Iraq's Sunni-backed party killed
By ADAM SCHRECK (AP), 年6月5日付
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http://news.yahoo.com/s/ap/20100605/ap_on_re_mi_ea/ml_iraq

バグダッド発

 イラクで3月に行われた国民議会選挙で最多議席を獲得したスンニ派の支持する会派の候補者2人が射殺された事件について、候補が所属する会派(イラキーヤ)は、5日、政治的に動機づけられた一連の暗殺事件の一環である、と語った。

 2人は得票が当選ラインに届かず、どちらも国民議会に議席を得ることはできそうになかった。しかし、この2、3ヶ月のうちに、世俗派であるイラキーヤの会派で暗殺された候補者は、これが3人目及び4人目であり、3月7日投票の選挙で最も多くの票を獲得した会派への政治的恫喝について、人々の関心が高まっている。

 モスル市では、事件が起こったとき候補者の自宅にいた弟(警察官)の話によると、ファリス・ジャシム・アル・ジュブリの射殺犯は軍服姿で、真夜中に候補者宅を訪れた。彼らはジュブリについて詳しく問いただし、彼が屋根に寝ているのを見つけて、3発撃って逃亡した。警察と死体管理所の職員が殺人であることを確認した。

 アンバル州にあるカイムの町では、殺人犯が道路脇爆弾を仕掛け、病院職員であるイハブ・アル・アニを殺害した、と警官が語った。このような爆弾事件では無差別殺人が多いが、アル・アニの場合は無差別殺人ではなく、イラキーヤと手を組んだために狙われたことが、最初の調べて明らかになった--警官はメディアに発表する権限を持っていないので、匿名でこう話した。カイムはバグダッドの西方320キロ(約200マイル)にある。

 イラキーヤの広報担当ものマイスーン・ダムルージは、2件の殺人ともイラキーヤの党員を狙った連続殺人事件の一環だと指摘した。

 「イラキーヤ会派は事態がエスカレートすることを望んではいないが、誰であれイラク国民が殺されるのを黙って見ていることはできない」とダムルージは言った。彼女は、「殺人は民主主義と政治プロセスを破壊するものだ」と非難した。

 アラウィ元首相に率いられたイラキーヤは、国民議会選挙が接戦となってからは、政争の中心に引き据えられてしまった。イラキーヤの会派が、マリキ首相率いるライバル会派より2議席上回ったものの、どの会派も政権与党に必要な単独で絶対過半数を得ることはなかった。

 マリキが率いるシーア派主導の政党は、次期政権運営に十分な議席を確保しようと、シーア派の宗教政党(会派)と合流した。

 イラキーヤは支持の多くをスンニ派から集めたが、スンニ派は2003年にサダム・フセインが倒されたことで統治者の座を追われた。イラキーヤが選挙に勝利したにもかかわらず、もし彼らが次期政権から排除されたら、スンニ派は疎外感を強め、特に政府系治安部隊に対する攻撃などテロが頻発するかもしれない。

 先週の土曜日(5月29日)、シーア派聖職者であるムクタダ・サドルがアラウィ、マリキ、タラバニ大統領の3人に、各自の違いは脇に置いて、翌週中に院政府に関する合意を作り上げようと呼びかけた。新しい国民議会が選出されたことで、タラバニは6月15日に任期切れとなるが、議員たちが次期首相と内閣を選出するには数ヶ月を要するだろう。

 マリキとアラウィは激しい政敵関係にあり、どちらも次期イラク首相の座を狙っている。

 現在はイランに滞在するサドルの呼びかけは、国民議会で彼らの会派が40議席を取ったとこで、彼の影響力が強くなっていることを印象づけることになった。

2010年6月2日水曜日

動画: イラク戦争の前と後

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☆★占領されたバグダッドは世界一住みにくい街
Occupied Baghdad is least livable city on planet
Party for Socialism and Liberation 2010年5月27日付
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http://www.pslweb.org/site/News2?page=NewsArticle&id=14049&news_iv_ctrl=1261

http://www.uruknet.info/?p=66421
(動画は各製作者/uruk-net)


PSL, Thursday, May 27, 2010
By: Derek Ford

 イラク戦争は、地域の前進と安定をめざすための戦争という名目のもとに、今なお政府と米国防総省によって推進されている。

 生活の質をめぐる比較調査は、バグダッドを「最も住みにくい都市」のリストの最後に位置づけた。この研究は政治、経済、エコロジー、社会、文化の全面的な要素を調査した。

 調査結果は、米軍の侵略によってもたらされた興廃を考えると、驚くほどのことではない。下水処理施設、工場群、学校、病院、博物館が破壊された。結果として、イラク国民は今も綺麗な水と電気に恵まれないでいる。

 社会基盤を壊滅させることは、帝国主義戦争において重要な戦術となっており、調査で明らかになったことがらの根源を説明するものである。「治安と安定が欠如しており、そのことがバグダッドにおける生活の質にマイナスの影響を及ぼしている」。

◆動画1: イラク戦争の前と後(ビフォー・アンド・アフター)
http://www.youtube.com/watch?v=FQl5xUMZMHI&feature=player_embedded

◆動画2: バグダッド、戦争の前
http://www.youtube.com/watch?v=dEDh4oz1hTw&feature=player_embedded

◆動画3: イラク、戦争の前
http://www.youtube.com/watch?v=Iy4uDGJmMWE&feature=player_embedded

◆写真で見るイラク(戦争の前)
http://www.youtube.com/watch?v=OXIgkmYejJg&feature=player_embedded

女と子ども専用の秘密監獄

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☆★女と子ども専用のイラクの秘密監獄
Secret Iraq prison for women and children
クリスチャン・サイエンス・モニター 2010年5月26日付
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http://www.csmonitor.com/World/Middle-East/2010/0526/Witness-Secret-Iraq-prison-for-women-and-children

By Jane Arraf & Mohammed al-Dulaimy
May 26, 2010

 イラクのムサンナ陸軍基地は、女性と子どもを秘密収容所に収監している、とイラク人目撃者が証言した。その中には、アルカイダの容疑をかけられた者の家族もいて、自白を迫られているという。

 ムサンナ陸軍基地のどの収容所にも、子どもが一緒に収監されている気配はなさそうだ。しかし、イラク治安部隊のメンバーが話したところでは、5月半ばまでは、ここにある仮設の拘留施設で子どもが遊んでいるのを目にした、という。

 彼は幼児の泣き声とチバという3歳児のことを思い出しながら、「子どもたちが釈放されたのならよいが」と言った。「こんなこと自分の妻子には話せない」。

 ムサンナの施設は、基地内の別の収容所が閉鎖されたあと、何週間も運営されていたように思われる。閉鎖された収容所には400人以上が投獄され、拷問された者も何十人もいた。

 信頼できるといわれる目撃者は、自分と何人かの同僚はつかまった女性と子どもを見て悩んだ末に、危険をおかして西側諸国の出版関係者に話をした、と語った。彼は匿名を条件に話した。

 「女性とその子どもたちが拘束されている場所には、近づくことができない。女性の尊厳はイラク人の尊厳である」と彼は言う。

 少なくとも6人の女性と8人の子どもが収容されていて、そのなかにはイラクのアルカイダ指導者と見られている容疑者2人(オマル・アル・バグダーディとアブ・アユブ・アルマスリ)の妻が含まれている。その2人の女性は、夫が4月の空爆で殺されたとき、子どもと一緒に捕らえられた。

 国防省の広報担当官は当時、子どもが収容されていることを認めていた。もし母親が逮捕された場合は、3歳未満の子どもは同じ収容施設に居ることが許される。

 <妻を連れてこい>

 女性たちは容疑者の可能性があれば尋問されるが、そうでなければ夫から自白を引き出すために利用される。男たちに自白させるため、女性に恫喝が加えられることは、人権グループからしばしば報告がなされている事例である。

 「4日前、ある男が自白を拒否すると、彼ら(=尋問者/訳注)は妻を連れてこいと言った。彼らは妻を近くの部屋に入れて殴ったので、男には妻の悲鳴が聞こえた」という目撃証言がある。「彼らは男のところへ戻り、もし自白しなければ、今度は妻をレイプするぞ、と脅した」。

 イラク軍第6師団の第54旅団には、暫定的な拘留を行うための部隊が付設されていると言われる。その部隊はバグダッドで対ゲリラ作戦を主導してきたが、さらに全国的に展開している。この旅団の情報収集部隊に所属する尋問官は、尋問を行うに際しては、バグダッドの作戦司令部にある中央調査本部から指示を受けて女性を脅迫していると言われる。

 国防省の人権担当官と司法省は、この問題へのコメントを控えた。

 彼もその同僚も、国際的な人権団体が収容所を訪問するのを見たことがないという。あるとき、人権省の職員がその旅団の収容所を訪問し、ある収容者が消えたことについて尋ねたが、釈放するように言われたと回答があった。

 証言者は、イラク軍は米軍と共同の作戦本部を設置しているが、イラク兵は米軍に拷問には目をつむるよう求めている、と言った。

 彼は、鉄の棒に手錠でつながれたり、電線のつながった黒い頭巾をかぶせられて電気ショックを加えられていたり、容疑者が拷問されているのを4例目撃したと語った。最後に見たのは今年4月だった。

 「私はこうした拷問を見たとき、自分に自問自答したよ。サダムの時と何が違うんだ? もし自分がこんな拷問を受けたら、拷問をやめさせるたには何でも<白状>するだろう」。