2010年8月24日火曜日

オバマの「任務達成」宣言

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☆★オバマの「任務達成」宣言
Obama’s “Mission Accomplished”
by Bill Van Auken, WSWS  2010年8月20日
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http://www.wsws.org/articles/2010/aug2010/pers-a20.shtml

World Socialist Web Site
August 20, 2010

 ホワイトハウスと米国防総省は、報道機関の奴隷根性に助けられて、さる19日にストライカー旅団がイラクから撤退したことを、イラクにおける「戦闘任務」を完了したと誇張し、7年前にブッシュ大統領が演出したあの呪われた宣言を思い出させた。

 しかし、ウソの宣伝を演出するのはブッシュよりオバマの方が上手で、前任者(ブッシュ/訳注)の失敗から学んでいたことは確かである。2003年5月1日、ブッシュは声明を発表するにあたって、「任務達成」と大書された垂れ幕の下、米空母エイブラハム・リンカーンの甲板に降り立ち、イラクでの「主要な戦闘作戦」は完了した、と宣言した。海軍で任務に当たった者たちは、笑顔に満ちたエキストラ役として、その甲板上に集められた。

 オバマはといえば、クウェートに飛んで装甲車両の上から同様の演説を行うことをしなかっただけ、ブッシュよりも賢かった。オバマはホワイトハウスから声明を発表しただけで、テレビの放送網と「エンベッド」記者たちにまかせた。記者たちは、クウェートへと国境を超える「最後の旅団」に同行して、政府と軍がお膳立てしたプロパガンダを繰り返したのである。

 ブッシュが演説を行った7年前、イラク戦争での米軍兵士の戦死者は139人だった。その後、4300人近くが戦死した。「衝撃と畏怖」作戦における空爆と、2003年3月からのイラク侵攻によって、イラクは切り裂かれ、虐殺の修羅場と化し、アメリカの仕掛けた戦争で100万人以上の命が失われ、その何倍もが負傷し、約400万人が家を失って難民化し、そしてアブグレイブのように米軍の管理する監獄では何千人もが囚われて拷問された。

 イラクにおける武力事件は、先月、過去2年間で最悪のレベルに達した。しかし、ここ何週間の流血の惨事で、イラク人犠牲者の数は先月を上回る趨勢である。実際、最後のストライカー旅団が撤退する模様はと言えば、同行記者たちは秘密にすることを誓約させられたが、F16戦闘機と機関砲を備えた攻撃ヘリが上空から援護しなければならない状況であり、そのこと自体がイラク人武装勢力による脅威が続いていることを物語っていた。

 イラク人自身にとっては、この数年のあいだは、社会的な破滅と人道的危機が深まるだけであった。人口の半数以上が失業し、仕事をしている者でも4分の1以上が極貧ラインである1日2.2ドル以下の収入しかない。ほとんどのイラク人が、清潔な水、十分な公衆衛生、まともな住居、そして医療からは無縁という状態で、電気もほとんど通じることがない。

 このように血に汚れた犯罪的な遺産こそが、オバマの演説を、言葉は慎み深いものの、エゲツなさではブッシュの虚勢を上回るものにしている。

 オバマは18日の演説で、「われわれの戦闘任務は今月で終わり、われわれは思い切った兵力の撤収を完遂する」と述べた。「そしてイラク政府との合意のもとに、全兵力を来年末までにイラクから引き揚げる」と。

 彼は第2歩兵師団第4ストライカー旅団の撤退を、アメリカの対イラク軍事侵略を終わらせる「一里塚」だと宣言した。

 アメリカの報道機関は、こうした演説の短い断片を、アメリカ流儀のミリタリズムを祝う旗の波で飾り立て、この戦争が始めから侵略戦争(戦争犯罪)であった事実、「大量破壊兵器」が存在せずイラクとアルカイダは無関係だった点でもアメリカ国民はウソでだまされてきた事実を曖昧(あいまい)なものにした。

 オバマはその演説のなかで、「責任をもってイラク戦争を終わらせる」という決断を定式化すると繰り返したが、アメリカ国民への責任については何も触れなかった。

 ・・・・(中略)

 これらの短い言辞は、一連のウソとつながっている。今回の米軍の部分撤退は、オバマが大統領選挙のキャンペーンで行った公約とは異なっている。当時、彼は16ヶ月以内にイラクから全米軍部隊を引き揚げると言っていた。今オバマが口にしている撤退期限は、2008年にイラク政府と結んだ(米軍駐留の)地位協定にブッシュが盛り込んだ内容である。

 撤退期限の件を棚上げするにしても、イラクから全部隊を撤退させるというオバマの公約は、2011年末までイラクに5万人の米軍兵力を残すというものにスリ替えられている。居残り部隊も、今回クウェートに引き揚げた部隊も、違いがあるわけではない。居残り部隊は、イラクに残って「助言と支援」を行うだけの「過渡期」な兵力だと呼び名が変わっただけで、彼らも戦闘作戦を遂行する完全な能力を持っていることに変わりはない。

 米軍の飛行部隊と攻撃ヘリは、今もイラクの領空を支配しており、2011年12月までずっとその任務を続けるだろう。そして特殊部隊も、対ゲリラ作戦と「標的を定めた」殺人任務を遂行(要するに暗殺/訳注)するために、イラクに残っている。

 しかも、2011年12月を期限として、全米軍部隊の撤退が実現すると信じる者は、軍事や外交政策に関わる機関の中には一人もいない。

 さらに、ニューヨーク・タイムズが19日付で報道したところによると、アメリカの国務省は、自前の兵力として民間人7000人からなる「警護要員を雇い入れる」計画を策定中である。そうした傭兵部隊は、植民地スタイルの要塞に配置されたり、「緊急即応部隊」として編成され、軍の一翼を担うもので、国務省が国防総省に配置転換を要請している。

2010年8月8日日曜日

生きているというより死んでないだけ

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☆★生きているというより死んでないだけ
'We're Not Living, Just Not Dying'
By Jake Hess < IPS News   2010年8月4日付
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http://ipsnews.net/news.asp?idnews=52374

By Jake Hess
IPS News - Iraq and the Middle East

 スレイマニヤ(イラク)発、2010/08/04 - イラク北部に国内移住したクルド人に比較すると、シャマル・カディルは幸運といえる。7月1日の空襲の真っ最中に、トルコ軍が彼の住むクジン村に進行してからは、彼はある学校の校舎に寝泊まりしている。教室の温度は快適で、基本的なものには不足しない。

 「私の家族は1996年、クジン村に土地を買って家を建てようとした。それは子どもたちのためで、そうすれば子どもたちは将来にわたって住む家を確保できることになる」とカディルはIPSの取材に答えた。「しかし、今ではその夢は奪われてしまった」。

 5月24日以降、トルコ軍とイラン軍の砲爆撃がイラク北部の国境地帯にあるクルド人居住地を脅かすなかで、カディルは居住地を追われたクルド人6500人のなかの一人である。移住のやむなきにいたったクルド人の3分の2は、不毛の山岳地帯に点在するテント村に住んでおり、彼らの生活必需品は地方行政当局と国際援助機関によってかろうじて補われている状況だ。

 サンガサル町のドリ・サヒダン地区に住む国内移住民ハリマ・イスマイル(女性)は、「劣悪な環境なので、ラマダンの早い時期に住民はここで死ぬだろう」と説明した。

 ドリ・サヒダンの住人であるシャム・アハメット(92歳)は、「私は着の身着のままで逃げてきた」という。「援助組織がテントを届けてくれるまで、私たちは何日も野宿した」。

 イラク北部の都市スレイマニヤにある国連難民機関の事務所は、「秋雨で川の水量があがるので、ドリ・サヒダンに住む約500家族は3ヶ月以内に再び移住することになるかもしれない」と言う。

 国内移住民キャンプに住む人々は、支援が貧弱だとか、健康管理体制あるいは夏の猛暑、そして電気が来ないことについて不満を募らせている。多くの者が、収入源だった農作物の作付け時期に土地から追われたので、経済的にも破局に直面している。

 ゴジャル国内移住民キャンプに住む男性アブドッラーは、「畑も穀物もブドウ園も、すべてが爆撃で焼き払われた」とIPS記者に語った。「ここでは収入が得られない。生活といえる状況ではない。生きているというより、死んでないだけ」。

 スレイマニヤに駐在する赤十字の職員は、このキャンプでは、現在のところ、差し迫った人道危機という状況はないが、適切なトイレ施設がなく、ゴミ処理にも問題を抱えているので、衛生状態が悪化しかねない中程度の脅威が存在する、と指摘する。

 それにここは攻撃にもさらされている。最近の砲爆撃の結果、少なくとも子ども2人が死亡したほか、数人の住民が負傷した。

 トルコ政府は、この攻撃は左翼ゲリラであるクルド労働党(PKK)を狙ったものだという。PKKはトルコに住むクルド人の自由と権利の拡張を要求している。トルコ政府は、PKKが軍事作戦を開始するよりも早い時期から、イラク北部を定期的に砲撃してきた。

 他方イランは、国境越えの砲撃について、クルド自由党PJAKを狙ったものだと主張する。PJAKは、イラン国籍クルド人の武装組織で、イデオロギー的にも組織的にもPKKと結びついている。

 2007年には、ブッシュ政府はPKKをアメリカ及びトルコ、イラクの「共通の敵」と見なしていた。アメリカ政府は、国境をまたいで活動するPKKの拠点に関する生きた情報を、トルコ政府に提供し始めた。それ以降、トルコとイランはそれぞれイラクとの国境に近いクルド人集落に対して、連携しながら爆撃と砲撃を繰り返している。

 トルコ軍の参謀長イルカー・バスブグは、2008年当時、「彼ら(イラン)が作戦を開始すると、われわれも同じようにする」と発言していた。「彼らは国境のイラン側から、われわれは国境のトルコ側から作戦を展開するのさ」。

 PKKの歴史でもある『血と信念』の著者アリサ・マルコスは、イラク北部から国境を超えて攻撃する能力に対しても、新人を惹きつけるという面でも、こうした攻撃がPKKに甚大なダメージを与えているとは思えない」という。「地形が険しいためにトルコ軍の飛行機が彼らを攻撃するのは容易ではなく、ゲリラに死亡者が出ることは滅多にない」。

 しかし村人や援助機関のスタッフたちは、トルコ軍とイラン軍の爆撃はますます激しくなり、近年の状況と比べると一般市民の居住地にも近づいている、とレポートしている。

 トルコ政府は最近になって、イラクとの国境沿いにPKKと対峙するため新たな特殊部隊を派遣し、国境地帯に150の新しい陣地を構築する計画を発表した。米軍もまた、トルコ軍のPKK攻撃を支援するために、イラク領空に空域を拡大しはじめた。

 「われわれは武器供与を含めて、トルコ支援となりうる別の手段を模索している」と、アメリカの駐トルコ大使ジェイムズ・ジェファリーは説明する。われわれは基本的に、トルコのために、できるだけ速やかに、可能な限り多くの成果を挙げようと努力している」。

 PKKは一方的に宣言した停戦通告を6月1日に取り消し、それ以後はトルコ軍陣地への定期的な攻撃を行うだけになっている。