2011年2月27日日曜日

報道されないイラクの「怒りの日」

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☆★報道されないイラクの「怒りの日」
What you won't read in the mainstream press
regarding Iraq's National Day of Rage
Dirk Adriaensens 2011年2月25日発
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http://www.uruknet.info/?p=75341

February 25, 2011

 次に紹介するコメントや声明は、いろんなイラク人から届けられたものである。イラク人が立ち上がっている抗議デモを報道しないメディアに、反論しておく必要がある。デモはこれまでも、イラクのほとんどの主要都市で続けられてきた。「全国民の怒りの日」である今日、2月25日(金曜日)、勇敢なイラクの若者によって、抗議は絶頂に達した。 ニュースを広げよう。 イラクで何が起こっているかを、世界に知らせよう。

 前日の夜遅く、というより、2011年2月25日早朝だろうか。全イラク人は、この日を、「怒りの日」と呼ぶことにした。これは破壊と略奪、強姦などありとあらゆる破滅に対して、過去8年間という時間をかけて、イラク国民が蓄積してきた怒りが導いた結果である。

 イラク国民は、汚職と絶対的な貧困、失業、公共サービスの停止、占領、に反対して、抗議のデモを行っている。そのなかでも大問題なのは、政府ぐるみで年じゅう行われている贈収賄である。

 彼らはまた、自由と人間の尊厳を求めて、そして占領の即時停止を求めてデモを行っている。彼らはイラクのためにデモを行い、イラク人として手を携えているのである。

 昨日の事態は、金曜日にデモを行わないよう国民に要請した、マリキのあのアホな演説に端を発した。マリキは、デモを「自由に対する敵」と批判した! 「他の日ならいつでもよいが、金曜日はダメだ」と彼は言い、ほんとうに恐れているように見えた。

 マリキ政府は取材を禁止し、バグダッド市内の通りを封鎖した。

 ヒート出身の将軍で、モスル市民を恐怖に陥れてきたナシル・アルガニム大将が、450人の兵士を連れて逃亡した。兵士たちの階級は知らないが、このニュースがリークされており、事実は後に確認されるだろう。

 追伸を一つ。

 内務省のハミード・カヂム大佐。彼は警官の訓練部長だが、デモ参加者を殴りつける命令を拒否して、辞職した。アブ・ヌワス通りからタハリール広場にかけて、暴動に対処する6個部隊が配置され、デモ参加者を叩きのめすよう命令されていた。そしてダーワ党の民兵で構成される暴動鎮圧部隊も、タハリール広場に投入された。

 当局側は一軒一軒を回って、住民が外出してデモに参加しないようにし、残念なことに、国会の会派であるイラキーヤに所属する議員までが、アンバル州とアダミヤ地区(バグダッド市内)で同じことをした。IDカードが没収されて、若者が検問所を通過できないようにし、ひいてはデモに参加できないようにされたのだ。

 ムサンナ連隊はアブグレイブ地区(バグダッドとファルージャの中間/訳注)を包囲し、戸別に押し入って、この地区のデモの指導者からIDカードを奪った。ここでは夜間外出禁止令も出された。

 すべての車両がバグダッド中心部に入ることを禁じられ、テレビの取材チームは中継をリレーした。フィルドス広場は、整備工事を理由に閉鎖された。

 ムンタサル・アル・ザイディは、アダミヤ地区で逮捕された。バグダディヤTVの記者であるミーナスは、タハリール広場で、私服姿の警察に逮捕された。彼はタハリール広場では、群衆に飲み込まれてカメラマンと一緒ではなかった。

 政府高官が120万米ドルを持って飛行機に乗る前、バグダッド空港で逮捕され、その金も押収された。

 バグダッド在住の友人でもあるジャーナリストは、バグダッドが寒々としてきたと言い、私は「ここも同じだよ。かつて脅迫が行われていた頃と同じだ。今日は暴動鎮圧警官の訓練を目にし、マリキの演説を聞き、サドルとシスタニの声明を聞いた。狂ってる」と応じた。

 政府高官や大臣、国会議員たちが、相次いで国外に脱出していると報道されている。

 バグダッドの州議会議長は、政府及び地方議会のメンバーに辞職を求めるスローガンを禁止する、と発表した。

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ムンタサル・アル・ザイディの兄弟からのメッセージ:

 イラクの素晴らしい若者たちへ

 今日2011年2月24日、マリキの傭兵たちが来て、私の弟をデモに参加させまいと、逮捕した。

 私自身はというと、2週間前に彼らから足を折られたばかりである。それにしても、このたびの革命(デモのこと)には指導者とか代表というのがいないことを理解できないとは、彼らは愚かとしか言いようがない。

 もし今回のインティファーダ(民衆蜂起)の指導者を全員逮捕したいのなら、彼らは100万人の若者を逮捕する必要がある。

 ・・・ (略)

イラクでは「怒りの日」に23人の死者

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☆★イラクでは「怒りの日」に23人の死者
23 killed in Iraq's 'Day of Rage' protests
ワシントンポスト 2011年2月25日 
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http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2011/02/25/AR2011022502781.html

Washington Post Foreign Service
Friday, February 25, 2011; 8:05 PM

 バグダッド発 -- イラク国内では10以上の都市において、金曜日(25日)に街頭デモが行われ、州の庁舎に押し寄せたり、現地役人の辞任を要求したり、政治犯の釈放を求めて、数万人が街頭にあふれ出た。

 ※デモの模様は次のURLで動画を見ることができる。
 http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/video/2011/02/25/VI2011022504370.html

 もよりの政府高官に憤懣をぶつけようとして、イラク人が治安部隊と衝突したさい、少なくとも23人が殺された。スンニ派教徒も、シーア派教徒も、クルド人も、キリスト教徒も、彼らは同じ要求、すなわち十分な電気と安全な水、まともに機能する病院、そして公正な行政を求めた。

 手製のプラカードと平和を意味するオリーブの枝を手にした何千人もの市民を、軍のヘリコプターと狙撃兵が監視するなかで、サルマ・ミカヒル(48歳)は、「要求がある!」と叫んだ。「マリキが私の抗議を受け入れるかどうか、それを見届けたい」。ミカヒルは、1ドルの価値も持たなくなった1000ディナールの札束を、マリキ首相の事務所の方へ差し出して言った。「首相はこれでいいと思っているのか?」

 イラクの「怒りの日」に登場した抗議の群衆は、宗派至上主義の民兵や自爆犯などとは違った、新しいタイプの人々である。政府の治安部隊が抗議の民衆やジャーナリストに殴りかかり、発砲までして、何百人もが負傷しているのに、なぜ彼らが政府に敵対する隊列に加わってきたのか、それを知りたがっている者も多い。

 ファルージャでは6人が殺され、モスルでも別の6人が殺されたほか、イラク国内では他に5件の死亡事件が公式に確認されている。報道では、ほとんどの犠牲者が治安部隊の発砲によるものと認めた。

 取り締まりの対象となった民衆のデモは、エジプトやチュニジア、リビアでの反乱を模してはいたが、地方規模のもので、革命ではなく改革を求めるものであった。群衆は、南部のバスラでは州知事の辞任を求め、ファルージャでは市議会全体の解散を求め、モスルでは国民議会議長の兄弟でもある知事を追放した。

 デモは平和的に始まったが、次第に攻撃的になっていった。怒った群衆は、クルクークでは警察署を占拠し、モスルでは州庁舎に放火し、ティクリートでは市長公邸のフェンスを揺さぶり、治安部隊に実弾の発砲が促された。そうして遂に、ティクリートでは3人の死者が出て、キルクークでも3人が殺された。

 バグダッドでは、デモを解散させるために、治安部隊は放水や大音響を浴びせかけ、大通りや路地まで追いかけまわして、目撃者の証言によると、とうとう3人以上を殺害した。

 北部のクルド地方でも、2人が殺されたと報道された。

 バグダッドのアメリカ大使館は、金曜日のできごとについて、マリキの強硬姿勢に対するのと同様に、軽く見てやりすごそうとしている。

 大使館の広報担当者は、「(イラクの治安部隊は)一般的に言って、平和なデモには軍を出動させることはない」と言った。「われわれはイラク人が政治的見解を自由に表明する権利を支持する」と。

 「怒りの日」に集まった数は、デモ参加者にとっても驚きだったようすで、夜間外出禁止令のあとになっても、車や自転車さえも通交が禁止されたなかを、歩いて参加してきたし、何キロも歩いてきた人もいた。そしてマリキ政府からも、ムクタダ・サドルを含むシーア派の聖職者からも脅迫されている、と訴えるプラカードがあった。

2011年2月14日月曜日

大統領辞任後、エジプト軍が事態を掌握

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☆★エジプト軍が議会を解散、憲法を停止
Egypt's military dissolves Parliament, suspends constitution
CNN 2011年2月13日 (米東部時間)
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http://www.cnn.com/2011/WORLD/meast/02/13/egypt.revolution/index.html

February 13, 2011 2:44pm EST
Cairo, Egypt (CNN)

 ムバラク長期政権が倒されたあと、2月13日(日曜日)、エジプト軍は国会を解散し、憲法の執行を停止すると発表し、それは選挙が行われるまでの6ヶ月間の措置だと国民に説明した。

 訳注: ムバラクのもとでの憲法は、大統領が辞任した場合は国会の議長が大統領の職務を代行すると規定しているほか、国会議員の選挙には実質的に与党系候補しか立候補できないようになっており、そうした規定を無効にする措置と解釈される。

 軍の最高評議会は、憲法の改正を提案するための委員会を発足させ、改正案は投票にかけられる、と発表した。国営テレビが伝えたコミュニケによると、憲法改正委員会は権力移行の期間中、新しい法律を発令する権限を有することになる。

 シュクリ駐米エジプト大使は、同日、治安の回復と経済の復活に、最優先事項として取り組むと語った。彼はCNNの番組で、「現在の体制(軍による掌握)は、基本的に、日々のできごとに対処する実務的行政機構で、治安の流動化には細心の注意を払うとともに、経済に関する問題にも対処する」と述べた。

 しかし、ムバラク続投に反対したリーダーの一人は、2月13日、軍は権力移行の見通しについて詳細を説明すべきで、そうでなければムバラクを退陣させたデモが再発するだろう、と指摘した。

 エルバラダイは、「彼ら(軍指導部)は司令部から出てきて、市民と対話し、われわれのために何をする用意があるのか説明する必要がある」と言った。

 さらに、今回の革命が勃発するのに貢献したことで知られるエジプト人活動家は、新政府の樹立に長い時間がかかることに警告を発した。

 「現在の最大の過ちは、国民の得るものがあまりに少なく、あまりに遅いということだ。信頼を取り戻すには、もっと速く対処すべきだ」とワエル・ゴニンはツイッターで発信した。

 30年近いムバラクの統治に反対して、市民が18日間の示威行為をおこなったあと、ムバラクは2月10日になって辞任を表明した。現在は紅海に面したリゾート地であるシェルム・アル・シェイクに滞在している。長期に政権の座にあった彼自身も、1950年以降、エジプトを支配してきた軍が擁立したのだったが、彼の辞任もタンタウィ国防大臣が主宰する軍の最高評議会に委ねられた。

 訳注) エジプト軍最高評議会: 通常だと大統領が最高司令官役で議長もつとめ、国防相、参謀総長、各軍の司令官ら(大将レベル)で構成する。今回はタンタウィ国防相が議長となり、大統領の全県を委譲されている。 

 2月13日(日曜日)に発表された軍のコミュニケは、エジプト国民議会の選挙と大統領選挙が同時に行われると、と述べている。

 一方、政府の閣僚は、ムバラクに報告してのと同じように、現在は軍の最高評議会に報告を行っている。アハメド・シャフィク首相は記者団との会見に応じ、その発言は国営テレビで中継された。国民に受け入れられない者が任命されることはない、という言葉もあった。

 13日は、ムバラク追放後、最初の出勤日だった。1月25日に大衆行動が始まってから、初めて、タハリール広場の周囲でも交通の流れが規制されなかった。一部の人々は、13日も震源地だったタハリール広場にとどまって、エジプトが市民によって統治されるまで抗議を続けると誓った。

 エジプトの軍事政権は、若者の大量失業と経済的な停滞という、革命の発端となった経済問題に、取り組まなければならない。大衆蜂起でエジプト経済は麻痺したので、観光収入も以前のように復元させる必要がある。

 エジプト中央銀行の経営陣に反発する抗議は、タリク・アミル会長と2人の副会長を更迭すると発表した。13日の辞任表明が認められたもので、CNNと銀行の従業員もこれを確認した。

 銀行の従業員は、ムバラク一族の者が経営陣に居座り、とてつもない高給をせしめていたことに反発していた。中央銀行は水曜日(16日)まで閉鎖され、カイロにおける元閣僚や取り調べを受けている実業家の取引は、水曜日まで凍結される。

 内務省の外では、不満を抱く警察官数百人が、エジプト軍兵士なみの福祉水準と、勤務時間短縮、給料の増額を要求した。現在の警察の給与水準は、1ヶ月当たりエジプト通貨で500ポンド(約85米ドル)で、同じような経歴の軍人と比較すると4分の1にすぎない。しかも残業手当なしの勤務を拒否すると、懲役刑になる。(改善を求める)抗議行動には、身分の低い景観から幹部職員までが参加した。

2011年2月7日月曜日

変革を求める声はイラクでも

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☆★水と電気を要求してイラク各地でデモ
Iraqis demonstrate over lack of basic services
ロイター Reuters  2011年2月6日 日曜日
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http://news.yahoo.com/s/nm/20110206/wl_nm/us_iraq_protests

By Aseel Kami - Sun Feb 6, 10:34 am ET

 バグダッド発(ロイター)

 アラブ世界に不穏な空気が広がるなかで、基本的社会サービスの改善と政府の現場役人の辞任を求めて、1月6日(日曜日)、イラク人数百人がデモを行った。

 バグダッドでは、貧困層の多いババッ・シャム地区に約250人が集まり、基本サービスがないがしろにされていることに講義した。 「これでは悲劇だ。中世においても、こんな状況では人は生活できない」とフラート・アル・ジャナビ(技師)は訴えた。

 「基本サービスを」と書いた棺桶を担いだ者がいる一方で、この地域の現地役人全員の辞任を求める者もいた。

 アメリカのイラク侵略から8年近くがたって、イラクの社会基盤(インフラストラクチャー)は今なお破壊されたままである。全国が慢性的な水不足になり、電力の供給は途切れがちで、下水は道路に溢れている。

 イラクが侵略されたあと宗派抗争から抜け出し、独裁政治から解放されたという以上、基本的社会基盤の整備という課題が政府に課せられている。

 産油地帯であるバスラは、バグダッドから南に420キロのところだが、州知事と市議会議員の辞任を求めて、100人ばかりが抗議の声をあげた。

 デモ参加者はサッカーの試合で審判が警告するカードになぞらえて、イエロー・カードを手に手に掲げた。

 6人の子どもの父親で、建設現場で日雇い労働をしているヌーリ・ガズハン(43歳)は、「私も子どもも食糧配給に頼っている。それがなければ餓死するだろう。仕事を見つけて働いたが、10日たっても賃金をもらえない」と訴えた。

 「灯油を探し求めて1ヶ月になるが、まだ入手できない。もうゴメンだ。役人たちは何をやってるんだ。彼らが市民に目をむけないなら、私たちは自分の身を焼くしかないのか?」。

 先月、大統領を辞任させたチュニジア国民のデモは、一人の若者が、自らの置かれた境遇に抗議して焼身自殺をしたことに端を発した。それ以後、アラブ世界には焼身自殺が相次いでいる。

 イラク西部の都市ラマディや、イラク南部のディワニヤ市近郊の町でも、デモが発生した。北部の都市モスルでも、小さなデモが発生した。

 一連のデモは穏やかなものだが、12月に再任を決めたマリキ首相が、3万ドルの月給は半分しか受け取らないつもりだ、と発表した後に発生している。

 先週の木曜日(1月30日)には、ディワニヤ市の近郊で、電気と水を求めてデモを行った数百人の市民に対して、イラク警察が解散させようと発砲し、3人の負傷者が出た。

 (訳者註:死者も1人出たという報道があって、事実関係を確認中。警察は負傷者を確認したが、死亡者はないと発表)

2011年1月23日日曜日

イラクは毎日血を流している

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☆★イラクは毎日血を流している
Iraq Is Bleeding Every Day
Firedoglake 2011年1月3日 月曜日
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http://www.uruknet.info/?p=73545

FDL, January 3, 2011

 イラクは2011年を迎えた。今年、アメリカ軍は、イラク占領中に被った甚大な被害もろともに、とうとうイラクから撤退すると想定されているが、イラク人は占領がもたらした災厄のなかで生きるのである。

 例えば、今も頻発しつづけるテロである。欧米メディアは、犠牲者の数は戦時中の多さほどではないと市民に思いこませるが、しかし2010年(昨年)の1年間、イラク政府の発表にもとづいて控えめに推測しても、テロによる死傷者の数は耐え難いほどである。

 Aswat al-Iraq(イラクの声、独立系メディア/訳者) に届いたレポートによると、「2010年1月1日から同12月31日までに報告された統計では、殺人、暗殺、身元不明の死体、治安部隊の虐殺による犠牲などをテロ行為によって、4561人の死亡者と1万2749人の犠牲者が報告された」という。

 イラク人のクリスチャンに対する襲撃と脅迫は、エスカレートしつつある。

 内務省高官が昨日、それぞれ異なるクリスチャンの家で、合計15発の爆弾事件があった、と発表した。

 11件の爆発があり、「二人のクリスチャンが死亡し、16人が負傷した」。死亡したのはバグダッド中心部のアル・ガデアに住んでいる、イブラヒム(80歳)とその妻ジャネットで、そこはクリスチャンの多い所である。

 ある隣人は匿名を条件に、この夫婦は別のカソリック家族と一緒に住んでいた、と語った。

 「午後7時、彼らは玄関に置かれたバッグを見つけた。家人の一人は、それをイブラヒム夫人のものだと考えたが、夫と一緒にカバンを開けてみると、中に隠されていた爆弾が破裂した。

 その爆発で夫妻は死亡し、イブラヒム家のほかの家族3人も負傷した。「夫妻は40年もここに住んでいて、地域の住民からも慕われていた」と隣人は言った。

 過去に使われた爆弾による殺人も続いている。< International Journal of Environmental Research and Public Health>に発表された最近の研究とWHOの次回研究報告は、米軍が使用した弾薬によって、ファルージャ市内で新生児への被害が急増しているという。

http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/middleeast/iraq/8234159/War-contamination-could-be-causing-deformities-in-Iraq.html

http://www.mdpi.com/1660-4601/8/1/89/

 2010年5月だけでも、547人の新生児のうち15%が奇形児であったほか、14%は自発的に中絶することになり、11%は30週以下での出産であった。

 奇形児の出生率は世界平均の約11倍といわれ、まだ増えている。2010年の新生児に関する最初のレポートは、奇形児の出生率は前例のないレベルに達しており、大人が残留(放射能)汚染にさらされつづける限り、もっと多くの奇形児が生まれるだろう、と示唆している。

2011年1月16日日曜日

イラク駐留米米兵が相次いで死亡。1日に3人

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☆★イラク駐留米米兵が相次いで死亡。1日に3人
Three killed on deadly day for US troops in Iraq
by Prashant Rao  AFP 2011年1月15日 土曜日
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http://news.yahoo.com/s/afp/20110115/wl_afp/iraqusmilitarytoll

by Prashant Rao Prashant Rao - Sat Jan 15, 2:15 pm ET

 バグダッド発(AFP) 1月15日、訓練センターでイラク兵が米兵2人を射殺し、またこれとは別の事件で3人目の米兵が殺された。昨年7月以降では、米兵がもっとも多く殺された日となった。

 アメリカ政府は昨年8月をもってイラクでの戦闘任務は終わったと宣言してきたが、1月15日の状況は、5万人のアメリカ兵がイラクでまだ危険な任務に就いているという、厳しい現実を思い出させるものとなった。

 15日の最悪の事件では、米兵2人が射殺され、負傷者も1人でた。米軍発表によると、「モスル近郊にあるガズラニ訓練センターにおいて、イラク軍兵士1人がアメリカ兵に発砲したとき、15日の午前8時30分ころだった」という。

 「事件は米軍の指揮下で訓練が行われている最中に発生した。」 そしてさらに、「発砲したイラク兵は、(米兵から)撃たれて死んだ」という。

 米軍発表は、そもそも発砲事件がなぜ起こったのか、詳細には触れず、死亡および負傷した米軍兵士についても、また発砲したイラク軍兵士についても、詳細を明かさなかった。

 発砲の様相も、イラク人情報源から聞いたものとは、わずかながら相異がある。あるイラク軍将校は、発砲したイラク兵は2人で、2人とも逮捕された、と話した。

 ニネベ州(州都モスル)の治安部隊の作戦本部に勤務する別の将校は、2人のうち1人はその場で米軍に射殺され、もう一人は拘束された、と語った。

 イラクの北部地域で、アメリカ兵がイラク兵に銃撃されるのは、4ヶ月ぶりのことである。昨年9月7日、米兵2人が射殺され、9人が負傷するという事件が発生した。

 また1月15日には、詳報は伝えられなかったが、「イラクの中央地域で作戦遂行中の米兵が殺された」と、米軍が発表した。

 イラク戦争での犠牲者を集計している独立系サイトによると、アメリカ兵の死亡数が3人というのは、7月2日に、「非敵対的」な別々の事件で3人が死亡して以来の多さである。

 米兵4人の死亡となると、2009年9月8日まで逆のぼらなければならず、そのときは2件の道路脇爆弾の爆発がバグダッドとサラハディン州で発生した。

 イラクで死亡したアメリカ兵の数は、AFPのデータを集約すると、1月15日の事件で4435人に達した。

 公式発表では、二国間の安全保障協定にもとづいて、今年末の完全撤退に向けて、戦闘作戦は昨年8月末で終わり、イラクに残留する米兵はイラク軍に対する訓練と助言が主であるとされる。

 しかしイラク駐留米軍も、イラク軍と一緒に対テロ合同作戦に参加し、自分の身を守るために武器を使用することが認められている。

1920革命旅団が米軍基地にミサイル攻撃

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☆★イラク・レジスタンス情報 1月14日
1920革命旅団が米軍基地にミサイル攻撃
1920 Revolution Brigades Targets US Occ. Base
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http://www.heyetnet.org/eng/iraqi-resistance/5810-1920-rb-targets-us-occ-base.html

 「聖戦と変革戦線」の構成組織である1920年革命旅団は、バグダッドにある米軍基地に2発のミサイルを撃ち込んだ。声明によると、ミサイルは目標に正確に直撃した。

 この攻撃の目撃者は、煙が空にのぼり、サイレンが鳴り響くのが聞こえ、ミサイルの発射地点を確認しようと、ヘリコプターが飛来したと述べた。

 一方、米軍はいつものように、攻撃を受けたことにコメントを発表することなく、沈黙を守っている。

 次に今回の作戦の映像を紹介する。

http://kawlfasl.org/ktb/File122-1-8P.rmvb